2017年3月21日火曜日

泉布観

大阪に現存する最古の洋風建築といえば、天満にある泉布観。
数年前に外観補修工事が終わって、毎年3月の今時分に一般公開があったはずだけれども、今年はどうなってるんでしょうかね?
ま、それはともかくとして、ちょっと歴史などを。

泉布観は、1871年(明治4年)、造幣局の応接所として建てられてます。
設計は、造幣局を建てたイギリス人技師ウォールトス。
この人は、東京の銀座煉瓦街も設計してる、明治初期の日本を代表する建築技師ですな。
ところでこの人、イギリス人と紹介されてますが、アイルランド人と紹介している文献もあります。当時の英連邦がどうなってたのかは知らんのですが、このへんは国が時代によって変わってるから、ややこしいですな。ちなみに、ウォールトスという名前は、どーみても、アイルランド系です…。

完成の翌年、1872年(明治5年)に天皇が行幸し、そんときに「泉布観」の名称を天皇自身が命名してます。「泉布」は「貨幣」を意味し、「観」は「大きな館」を意味する、と。…そういわれても、なんやピンと来ませんが、そーゆーことになってます(笑)

造幣局が日本の殖産興業を代表する施設やったこともあるとは思うんですが、明治天皇は、この場所がえらくお気に入りやったらしく、3度、ここに来てはります。それ以外にも、皇族やら外国の要人やら、数々のエラいさんが、ここを訪れてます。

西洋建築屋のに屋根に瓦を葺いているという和洋折衷がすごいですが、不思議と調和がとれてますね。このあたりのまとめかたは、素晴らしいと思いますわ。
まだ西洋建築のノウハウがない時代ですから、設計がイギリス系やとはいえ、日本の大工さんは苦労したでしょうな。

構造は煉瓦造りの2階建て。建物の周りにベランダを配した、「ベランダ・コロニアル」という洋式やそうです。たしかに、コロニアル風ですね。
耐火煉瓦を除く構造用の煉瓦はすべて国産品で、兵庫や堺など大阪周辺のほか広島でも製造されてます。造幣局を建築するときに各地に煉瓦製造の炉が造られてますから、それらを使ってるんでしょうな。

1893年(明治26年)に、第四師団長北白川宮能久親王が住居の一部として使用し、その前後に改築してます。
1917年(大正6年)、大阪市の管轄に移り、実科女学校の校舎の一部として利用されたこともあります。

1956年(昭和31年)、洋風建築物としては全国に先駆けて国の重要文化財に指定されてます。

なんちゅーか、文明開化の華、ですな。




















こんなところに住みたいけど、掃除が大変やろな(笑)