2017年3月27日月曜日

天六は銀行天国だった!?

年度末って年末より忙しくてバタバタする印象だったのですが、今年はいつもに増して忙しくて忙しくて、時間ばっか過ぎていく感じなのです。
まだまだ落ち着く気配がなく、睡眠時間が少なくなりつつあるので、通勤時の運転は十分気をつけようと思います。

さて、今日のブログ「天六は銀行天国だった!?」ですが、先日古〜い住宅地図を見つけました。よく角戸に配布される住宅地図です。

どこを見ても、制作や発行日が書いていないので、いつの時代のものかわからないのですが、興味深く見ていたら、「天六って銀行が多いっ」ってことに気づきました。

現在では、天六交差点に
「三井住友銀行 天六支店」
「りそな銀行 天六支店」
「三菱東京UFJ銀行 天六支店」
「みずほ銀行 梅田支店天六出張所」

がありますが、この地図でも

「大和銀行 天六支店」
「住友銀行 天六支店」
「日本勧業銀行 天六支店」
「三和銀行 天六支店」
「協和銀行 大阪北支店」
が存在しています。銀行の統廃合などがあったとはいえ、今より1行多かったのですね。
みずほ銀行が窓口業務をしていないとはいえ、ここまで集中して都市銀行が集中しているのは珍しいことと思います。
何より、多くの都市銀行と取引している自分としては、ありがたい存在です。
銀行が特に集中して多かった
 下欄の広告も共同で掲載されており、銀行同士もうまく商売していたのではないでしょうか。その後時を経て、統廃合を繰り返すとは思ってもみなかったでしょうね。
こういう地図は取っておいて、たまに見るのも面白いなぁと思った年度末の繁忙期でしたww





2017年3月21日火曜日

泉布観

大阪に現存する最古の洋風建築といえば、天満にある泉布観。
数年前に外観補修工事が終わって、毎年3月の今時分に一般公開があったはずだけれども、今年はどうなってるんでしょうかね?
ま、それはともかくとして、ちょっと歴史などを。

泉布観は、1871年(明治4年)、造幣局の応接所として建てられてます。
設計は、造幣局を建てたイギリス人技師ウォールトス。
この人は、東京の銀座煉瓦街も設計してる、明治初期の日本を代表する建築技師ですな。
ところでこの人、イギリス人と紹介されてますが、アイルランド人と紹介している文献もあります。当時の英連邦がどうなってたのかは知らんのですが、このへんは国が時代によって変わってるから、ややこしいですな。ちなみに、ウォールトスという名前は、どーみても、アイルランド系です…。

完成の翌年、1872年(明治5年)に天皇が行幸し、そんときに「泉布観」の名称を天皇自身が命名してます。「泉布」は「貨幣」を意味し、「観」は「大きな館」を意味する、と。…そういわれても、なんやピンと来ませんが、そーゆーことになってます(笑)

造幣局が日本の殖産興業を代表する施設やったこともあるとは思うんですが、明治天皇は、この場所がえらくお気に入りやったらしく、3度、ここに来てはります。それ以外にも、皇族やら外国の要人やら、数々のエラいさんが、ここを訪れてます。

西洋建築屋のに屋根に瓦を葺いているという和洋折衷がすごいですが、不思議と調和がとれてますね。このあたりのまとめかたは、素晴らしいと思いますわ。
まだ西洋建築のノウハウがない時代ですから、設計がイギリス系やとはいえ、日本の大工さんは苦労したでしょうな。

構造は煉瓦造りの2階建て。建物の周りにベランダを配した、「ベランダ・コロニアル」という洋式やそうです。たしかに、コロニアル風ですね。
耐火煉瓦を除く構造用の煉瓦はすべて国産品で、兵庫や堺など大阪周辺のほか広島でも製造されてます。造幣局を建築するときに各地に煉瓦製造の炉が造られてますから、それらを使ってるんでしょうな。

1893年(明治26年)に、第四師団長北白川宮能久親王が住居の一部として使用し、その前後に改築してます。
1917年(大正6年)、大阪市の管轄に移り、実科女学校の校舎の一部として利用されたこともあります。

1956年(昭和31年)、洋風建築物としては全国に先駆けて国の重要文化財に指定されてます。

なんちゅーか、文明開化の華、ですな。




















こんなところに住みたいけど、掃除が大変やろな(笑)



2017年3月13日月曜日

彼女とキタのラブストーリーのその後のお話

3月13日のつひまぶグログです。

大淀号でラブストーリーに登場いただいた、木下真弓さん。
取材時にうかがったお話も、つい先日のことのように覚えています。
が、大淀号から2年たった今。
あの時、これからやりたいと語られたことをどんどん実現されています。

当時、認知症予防の体操教室をされていること、発展して高齢者が集まれる場所がつくりたいというお話や、児童館がないので、学校と家以外に子どもが集まれる場所をつくりたいというお話をうかがっていました。そして、「高齢者が集まる場所も、子どもが集まる場所も、同じところでやりたい。高齢者にとっても子どもにとっても触れ合うことは大切だから」と語っておられました。

3月5日、中三会館で卓球大会がありました。
10代から80代まで、20人ほどの人が集まって、ワイワイと。
その前の時間帯には子どもメインでもおこなわれていたのでした。
あっという間に時間が経つとはこのこと!
ダブルスで1セットずつ交代で。勝っても負けても楽しい、気持ちのいい時間でした。

そして昨日は映画大会がありました。午前に時代もの、午後からアニメでした。
こちらは参加できなかったのですが、2部制になっているのは、「みんなが来れるように」という思いから。
中三会館を舞台に、高齢者も子どもも集まれる場所をつくろうとされています。
卓球も映画も初めての試みなんだそうです。
「なにが喜ばれるか、わからないからね!」とにかくやってみる!
心意気が伝わります。

マンションが建ったりして人が増えているけれど、新しくまちに来た人は孤立しがち。
そんな人たちにも気軽に来てもらいたいと話されました。
住めば、同じまちの人なんだから、という思いを感じます。
「このまちで老いていきたい。老いてもこのまちで生きていきたい」というお話もありました。

まちは、自分たちの手でつくっていくんだという熱い思いを、お話ししながら感じつづけていました。熱血ほっこりは、言い得ていますね。

ひとつひとつの活動が、2年前うかがったお話の続きなんだと強く感じました。
これからどんな活動をされるのか、まちがどんなふうになっていくのか。

これからも楽しみで仕方ありません。

2017年3月6日月曜日

天神橋のたもとは天神祭が感じられる

3月に入って、三寒四温の日が多くなってきたような気がします。
でもって、安心していたらこの時期にインフルエンザに掛かってしまいました。
そして苦しかったインフルエンザも治ったと思ったら、病み上がりにぎっくり腰まで起こしてしまう始末。
気をつけないといけないなぁ、と肌で感じたこのごろです。

さて、今日は「天神橋のたもとは天神祭が感じられる」です。
普段、移動は電車がバスか自動車がほとんどなので、北区の橋もほとんどがクルマで通過しているんです。
あ、歩行者専用の川崎橋は、実を言いますと未だに渡ったことがないんです。

そんななか、歩いて天神橋を渡る機会があったので、ちょっとだけ堪能してきました。
南のたもと(南詰)から北を望む
橋からたもとには、階段で降りられる構造となっており(それすら知らなかった…)大川沿いに歩けるルートに出られます。
船渡御のかがり火です
階段の壁には、タイル貼りの天神祭を見ることができます。
周囲は、きれいに整備されており、ゴミひとつ落ちていませんでした。落書きもなかったので、しっかり管理されているんだろうなぁと感心してしまいました。
陸渡御の鳳神輿です
7月25日のこの場所は、人でごった返すのでしょうか?
北のたもと(天神浜)から船渡御が始まるので、この辺りは絶好の撮影スポットでしょうね!
鳳神輿の上には御鳳輦が描かれています
地元の方々の天神祭に掛ける思いは、並々ならぬものだと改めて感じさせられました。
このきれいな環境を皆で守っていきたいものですね!
カッコいい階段形状です