2017年2月27日月曜日

さようなら、龍踊りの申し子、小西登紀子さん

昨年7月に発行した「つひまぶ 踊る北区号」にご登場いただいた、天神祭・龍踊りのカリスマである小西登紀子さんが、亡くなられました。
享年59歳です。誕生日を目前に控えた、あまりにも早すぎる、突然のご逝去でした。

龍踊りの申し子のような人でした。
元来、地車講の龍踊りは、女人禁制です。しかし、彼女こそが、その禁を破り、地車講の龍踊りを新しい時代のものへと歩みを進めました。
今では、講元の血族だけは、女性でも龍踊りを踊ることができます。小西さんの娘さん、お孫さんも、踊っています。
ご自宅にお邪魔すると、囃子の鉦が小さいサイズから大きいサイズまで、5種類くらいあるのです。子供さんの成長に合わせて、その鉦を使ってきたとのこと。小西家では、生まれたときから龍踊りの英才教育がはじまるのです。

昨夏の天神祭の船渡御では、地車講の船に乗せてもらい、小西さんの龍踊りを堪能しました。
そのとき、彼女は足首を傷めており、ドクターストップがかかっているなかで、渾身の龍踊りを披露したのでした。



35年前、妊娠されていたときも踊られました。まだ安定期に入る前です。
そのとき小西さんのお腹にいた娘さんもまた、天神祭と出産予定日が重なったため、帝王切開で1ヶ月前に出産してなお、天神祭で龍踊りを踊っています。

美しい方でもありました。
50歳を過ぎてなお、ご自身のグラビア写真を撮り、カレンダーやメモ帳にしてみんなに配り、みんな大迷惑していました(笑)
なにかの大真面目な定時総会の場で、勝手にオンステージを敢行したと聞きます。

あらゆる意味で、熱狂の渦の中心におられた方です。
しかもその熱狂は、彼女自身がつくりだしたものです。
この世知辛くも窮屈な世の中にあって、これほどの規格外、破天荒な人を、僕は見たことがありません。
圧倒的な生命の熱を放ちながら、なぜ、神さまは彼女のような人を天に召されるのか。

告別式は、生前、彼女が信仰していたキリスト教のカソリックにて執り行われました。
牧師さんは、
彼女が素晴らしいからこそ、神は、神の元に彼女を置きたかったのでしょうか、と、僕たちに語りかけました。

圧倒的な生命の炎を放ちながら、彼女は、今生の生を全うしたのでしょうか。
それにしても、若すぎます。

人が集まる輪のなかにいるのが好きな方でした。
つひまぶ「踊る北区号」には、何人かのダンサーを紹介させていただきましたが、そのなかのお一人が、同じ号に載ったというそれだけのご縁で心に留めてくださっており、僕に訃報を知らせてもくれました。
そうやって、彼女の存在そのものが、人と人とをつなぐような人でもあったのです。

告別式での最後、地車講による、龍踊りが披露されました。
小西さんの妹さん、娘さん、お孫さん…、女衆ばかりが龍踊りを踊り、男たちは鉦と太鼓を打ちます。
惜別の龍踊りは、これまで見てきたどの龍踊りよりも魂がこもっており、見守る人のすべての胸を打つ、渾身の龍踊りでした。

さようなら、小西登紀子さん。
あなたに出会い、熱風を受けた日々は、僕にとっても楽しい日々でした。

2017年2月20日月曜日

げんつきげんちゃんは銅像なのか?

2月20日のつひまぶブログです。
つひまぶのコラム「北区銅像巡礼」を担当しているのですが、北区は銅像が本当にたくさんありますね。
銅像にまつわるお話をうかがっていると、銅像になっている人の偉大さとか、すごさばかり注目してしまうのですが、話してくださる方の「こんなにすごい人なんですよ!」という熱意に打たれることがあります。かと思えば、記録がほとんど残っておらず、建てられた経緯さえわからないようなかなしい銅像もあります。それもこれも聞いてみなくちゃわからないので、やっぱりやっていてとても面白いのです。

そんな風に、毎回楽しく取材している「北区銅像巡礼」ですが、たまに「これは銅像なの?オブジェなの?」というものにも出会います。
いい例が、梅田の一等地に建てられている「げんつきげんちゃん」。


大阪駅の真向かい、第一生命ビルディングの地上に「げんつきげんちゃん」はいます。像の前にある板に「鍾馗様由緒」が書かれていて、「げんつきげんちゃん」という名前の鍾馗様像だということがわかります。そして、調べてみると、鍾馗様はもともと、中国の実在した人のようなのです。顔が怖すぎて官吏登用試験だった科挙に落ちてしまいます、そのせいで亡くなってしまうのですが、手厚く葬られたのだそうです。その後、病に倒れていた、唐の玄宗皇帝の夢に現れて病を治したんだそうです。夢の中で玄宗皇帝が「お前は誰だ?」と聞くと、「科挙試験に落ちて死んだ身だけれど、手厚く葬ってもらったことに恩を感じているものだ」と答えたんだそうです。それで、玄宗皇帝は夢で見た鍾馗様の姿を絵師に描かせて神様として祀ることにした、とかなんとか。鍾馗様のこのお話が日本に伝わったのは、明治時代のようですが、厄除けなどとして屋根に人形が飾られたり、五月人形になったりとずいぶん浸透したようです。
鍾馗様像はだいたい、鬼のような強い顔をして、長い髭を生やして、中国の古い時代の武官のかっこうをしています。
「げんつきげんちゃん」もやはり、長い髭と武官のかっこうになっています。
が、顔つきや雰囲気がもはや人というより神様にしか見えないのです。私には。
それで、銅像として取り上げるのをためらっているのですが、顔が怖すぎて試験に落とされるとか、ちょいちょい話が面白すぎて見過ごせないのです。
まったく、惜しいことです。
げんつきげんちゃん。


ちなみに、「げんつきげんちゃん」を作った流政之さんの作品は、阪急三番街地下2階にもあります。その名は「UMECHAN」。ぜひはしごしてみましょう!

2017年2月13日月曜日

冬だから景色を楽しもう

「寒い寒い」というのが、口癖になっている今日この頃ですが、なんか今年は結構寒い気がします。正月までがあまり寒くない印象だったので、余計に寒いと感じるのかもしれません。

さて、今回は「冬だから景色を楽しもう」です。
わたし、たいてい移動は地下鉄かバスか自転車かクルマなんです。
地下鉄は、言うまでもなく地下を走っているので車窓の景色は駅のホームだけです。
自転車とクルマは運転に集中しています。バスは運転しないので景色は見えるのですが、道路上を走るので、道路沿いの景色がメインです。

そのなかで、「歩き」だと、いろんな景色が見えるなーと思った場所がありました。

灯台もと暗し、扇町公園でした。
たいてい夜の扇町公園は、ほろ酔いで終バスを見送った夜にショートカットして帰るくらいしか印象になかったのですが、この前しらふで扇町公園に寄ったらいい景色に出会えました。
扇町交差点の北西角の階段を上がって…
昼間、グラビア?の写真撮影しているのを見かけます
 すぐ右手が通路なんですが、ちょっとした高台になってまして、西側を見ると梅田がきれいに見えるのです。
冬だから空気が澄んで、さらにきれいに見えるのかわからないですが、なんか思わず立ち止まっちゃいました。

赤い観覧車は
梅田のランドマークのような存在です
もうちょっと右に動くと、右手に扇町プールが出てきます。

昼間の画像と比較できたらよかったのですが…。
都会のオアシス扇町公園。
冬だからこそちょっと歩いてみて、いい景色を探しに行きませんか?

2017年2月6日月曜日

2/11今週土曜は中崎町キャンドルナイト。中崎町キャンドルナイトはなぜはじまったのか。

今週土曜、2月11日(土)は中崎町キャンドルナイトです。

中崎町キャンドルナイトは、旧・済美小学校が耐震の問題で取り壊しとなったときに、思い出づくりとしてはじまったものです。

旧・済美小学校は、こんな小学校。歴史のある小学校です。

大正5年(1916年)大阪市第三北野尋常小学校として創立
大正9年(1920年)校名を済美第五尋常小学校に改称
昭和16年(1941年)校名を大阪市済美国民学校に改称
昭和22年(1947年)校名を大阪市立済美小学校と改称
平成16年(2004年)児童減少を理由に廃校

ちなみに、済美の名前は、教育勅語からとられた、由緒ある名前です。


校舎も昭和5年(1930年)に竣工したもので、窓枠や門には丸みを帯びた意匠が採用され、なかなかモダンな校舎でした。
廃校となったあとは、地域のコミュニティホールとして利用されていたけれども、平成22年(2010年)に解体されました。
耐震問題ゆえの解体だったので惜しむ声も多かったのですが、そんななか、中崎町キャンドルナイトは、解体前に、最後の思い出として企画されたのでした。

開催されたのは、平成21年(2009年)12月10日のこと。

地域でガラス瓶を集め、お子たちが、そのガラス瓶に絵付けをし、そのなかにキャンドルを入れて灯す…。
茶屋町や西梅田で開催されている1,000,000人のキャンドルナイトとは違い、おカネをかけない、地域の行事として開催されたものなので、素朴で、ほっこりとした、暗闇のなかでキャンドルの灯りを楽しむ、本来的な意味でのキャンドルナイトです。

キャンドルを入れたガラス瓶は、「ありがとう」の文字にしつらえられて並べられました。なくなってしまう済美小学校校舎への思い。そんな思いが込められたキャンドルナイトなのでした。



懐かしのマヨくん! 彼は初期の中崎町キャンドルナイトで大活躍してくれた、ECCの学生さんです。



この後、元・済美小学校は解体されました。
僕はここの卒業生ではないですが、それでも、この更地になった風景を見たときには、ちょっとした喪失感がありました。


じつは、当初は、恒例化して毎年の行事とすることは、考えられていませんでした。あくまで、一回きりの行事として企画されていたのです。

でも、集めたガラス瓶にお子らが絵付けをしてくれたわけです。これらは立派な作品です。キャンドルナイトが終わったからといって、これらを捨てることができますか?
そんな思いが、一回こっきりだったはずの中崎町キャンドルナイトを年中行事へと進化させたのでした。
おカネはそんなに入り込んでないけど、血の通いや思いはたくさん入り込んでいるキャンドルナイトなのです、中崎町のは。

その後、中崎町ホールが完成し、中崎町キャンドルナイトは復活します。第1回から約2年後の、平成23年(2011年)2月12日のこと。
済美には夏に済美カーニバルがあり、中崎町キャンドルナイトは、夏のカーニバルと対をなす冬のイベントとして定着していくことになります。






ホールでのステージも、第2回からはじめられています。
手話エンターテイメント発信団「oioi(オイオイ)」は、このときから現在に至るまで中崎町キャンドルナイトの常連で、今では実行委員会のメンバーにもなり、情報保障をはじめとするステージ全般を担当してくれています。


以降、毎年2月に開催され、バレンタイン・デーと重なることもあれば、雪が降ることもあり、昨年はついに雨が降りました。
今回の2月11日で、第7回を数えます。

第1回で絵付けをしてもらったガラス瓶は、今でも使われています。自分が絵付けしたガラス瓶を探しに来られる人も、たくさんいます。
思うんですが、他のキャンドルナイトでは、展示されたオブジェや作品は、その後、どうなっているのでしょうか?

今回は、ほっかほっか亭のハースクレイさんが電光掲示板広告を出してくれるという、すごいご協力もしていただいています。


video

13時〜16時
写真展「今はもう見られない 元済美小学校」
東日本大震災支援TJWKニット作品展示&ワンコインワークショップ

15時〜
スタンプラリー

16:30
点灯式&ポスター表彰式

17時〜
ホールにてコンサート
天満中学校吹奏楽部
南ジョージバンド
手話エンターテイメント発信団「oioi(オイオイ)」
akira
みんなで合唱

20時 終了

今年は、周辺で中崎町バルも開催されています。チケットは中崎町ホールでも販売しています。