2017年10月2日月曜日

つひまぶ「ボランティア号」発行しました!

10月2日、「つひまぶ ボランティア号」を発行いたしました。
前回の「沖縄号」から半年、お待たせいたしました。


さて、ボランティアです。キタでボランティア活動をする人を特集しています。
ボランティアと言うと、自然災害の支援活動を思い浮かべやすいですが、ボランティア活動はまちのあちこちでおこなわれています。
病院でも、まちの花壇でも、お世話をしてくれるボランティアの人がいます。
大阪駅には、話聞きますというボランティアをしているおじさんがいます。
こんなボランティア、人の少ない田舎ではありえないですよね。でも、キタでは成立するんです。
そもそも、地域の活動はボランティアです。
ボランティアは、特定の人がするものではなく、誰もがする可能性も機会のある活動です。
つひまぶをつくっていると、まちで活躍しているボランティアの人たちにお会いする機会が多くあります。その誰もが、とても熱心で、精力的に活動されています。
そして、なんだか生き生きとしている。
それはなぜなんだろう?というのが今号のきっかけです。
号を重ねてきて、いろんな方にお会いしてきたからこそ生まれた号と言えるかもしれません。

なんでボランティアなのか?
なんでそんなにがんばるのか?
なんで続けているのか?
やりがいはどこにあるのか?

という、必ず聞かれるであろう質問を、あえてうかがってきました。
ボランティア大好き!な人
ボランティアだと思って活動していない人
問題意識を持って挑んでいる人
生活の一部のようになっている人
得意を活かしている人
などなど、いろんな方が登場します。
まとめて言えることは、みなさん、ボランティア狂い。
でも、それだけです。
読んでいただければと思いますが、同じような話はありません。
みなさんそれぞれに、全然違った思いでボランティアをされています。

ボランティア活動に興味がある人も、ない人も、敬遠している人も、どなたにとっても、「こんな人がいるんだ!」「こんな活動があるんだ!」という新しい発見になればうれしいです。

つひまぶを置いていただいている最寄りの場所は、右のバナーでチェックしてください。



2017年4月24日月曜日

午前十時の映画祭8! 大阪ステーションシティシネマにて

4月24日のつひまぶブログです
今年で8回目、午前十時の映画祭が始まっています。
TOHOの映画館で、梅田だと大阪ステーションシティシネマが会場になっています。


じつは、この映画祭のことは今回はじめて知りました。
アジアン映画祭や、テアトルグループの映画祭はちょくちょくチェックしているのですが、
まさかTOHOでこんなのやってるなんて!
映画館によってAグループとBグループに分かれていて、大阪ステーションシティシネマはBグループ。大阪でAグループはTOHOシネマズなんばです。
1作品2週間。ゴールデンウィークと夏休みは1週間で作品の入れ替えがあります。
名前の通り、毎日午前10時からのみ。
今月は、28日まで「アメリ」をやっています。
今後の予定は、
4/29~5/5 裏窓
5/6~5/12 ショーシャンクの空に
などなど。
名作ぞろいです。
チラシの表に「一度、スクリーンで見たかった。もう一度、スクリーンで見たかった。」とありますが、まさにその通りのラインナップです。
「アメリ」が、またスクリーンで見れるとは。
好きな映画を自宅で楽しむのも楽しみですが、映画館で見る楽しみって、やっぱりありますね。
「アメリ」を見て、そう思いました。
はじめて「アメリ」を見たのは学生の頃。映画館の最前列でやっと見たのを思い出しました。
好きなシーンを大画面で見れて、音楽をおっきな音で聞いて。
ほかの何もかもから離れて、ただただ映画を見る。
映画館だからこそできることです。
一般1100円、学生500円というお値段もうれしいです!

今日映画館に行って驚いたのは、この映画祭のことと、映画7時半から上映している作品があること。
朝はや!

2017年4月17日月曜日

月に一度『やってくる』図書館

今年の桜も終わりの時期、いかがお過ごしでしょうか?
桜は散る時も花吹雪になってきれいですが、雨で濡れた車に花吹雪が乗ると大変!
このまま放置して車が乾くと、花びらがくっついてしまうんですよ。
家の駐車場の近くにも、職場の駐車場の近くにも桜の木があるので、この時期は結構神経質になってます。

さて、つひまぶ「沖縄号」発行されました。
日ごろは大阪をはじめ、北区などの調べ物をする機会もあるのですが、そんな時は北図書館で探し物をすることも多いです。
で、図書館で「大阪市立図書館自動車文庫」と書かれた車を見かけました。
けっこう大きな車で、ちょっとびっくり!

見かけたのが「まちかど2」と書かれていたので、「まちかど1」もあるのか?
調べてみました。
http://www.oml.city.osaka.lg.jp/?page_id=135

「まちかど1号」「まちかど2号」の2台が在籍していました。
市内の指定場所に1ヶ月に1度来るそうです。
北区では、中大淀幼稚園正門と、中津公園、ローレルタワー梅田東側、北老人福祉センターに来るのだそうです。
1台当たり、2,900冊を積んでいて、借りたら返却は次の巡回日(ということは1ヶ月後)なので、ゆっくり読みたい方に最適です。しかも一度に借りられる冊数は30まで!
今まで見かけなかったのは、平日に訪問していたためなのかな?と思っていたら、意外にも土曜日も巡回してるそうなので、気になった方は利用してみたらどうですか?
もちろん、ネット予約を事前に行えば、読みたい本を読むことも可能なんです。
今度、自分も利用してみようかなー。

2017年4月10日月曜日

稗史としての北区史「つひまぶ 北区のウチナンチュー」をドロップしました

つひまぶ3月号「沖縄号」をドロップしました。
今号の特集は、「北区のウチナンチュー」です。
北区で沖縄?と思う人は多いかもしれません。大阪で沖縄といえば大正でしょ!と思う人は多いかもしれません。

北区について少し詳しい人なら、
本庄界隈に沖縄の出身の人がたくさんいるのは、なんとなく知ってる。
そんなふうに思う人もいるかもしれません。僕も、そのうちのひとりでした。あの界隈、なんとなく多いよね、くらいの程度。
かつて、大阪と那覇は定期航路で結ばれていて、そのせいもあってか大正や尼崎には沖縄の人たちが仕事を求めてやってきて、今でもたくさん暮らしている、その流れの中のひとつが北区にも辿り着いた、そんなふうに僕は思っていました。
そのあたりのことを探ってみたらおもしろいものが出てくるんじゃないだろうか。この号は、そんなところからはじまったのでした。

人に会って話を聞き、深く調べていくと、なんと!ですよ、粟国島という沖縄の離島から本庄地域に、大正時代から現在に至るまでの長い時間をかけて、たくさんの人が移住しているのです。現在、粟国島の人口は約900人です。対して、本庄界隈には、約300世帯の粟国島にルーツを持つ人々が移住して暮らしていることがわかってきました。一大コロニーです。
このことを行政は、まったく把握していません。
今の行政にかぎらずですが、日本の「正史」は定住者の歴史でした。たとえば、ハワイや中南米諸国には、戦前より多くの人たちが移民として渡っていますが、その歴史を「正史」では詳細に扱いません。また、大阪には在日コリアンがたくさん暮らしていますが、彼らの歴史が「正史」で語られることは、ほとんどありません。
つひまぶは、行政から発行していますが、「正史」からこぼれ落ちていくものこそを紹介できたらと、常、考えてきました。
為政者によって描かれる歴史ではなく、民衆の側からの視点で描かれた「稗史」をこそ、紡いでいけたら、との思いで、僕はつひまぶをつくっています。

北区にも、知られざるウチナンチューの魅力が、たくさんありました。
これもまた、北区の大きな魅力であり、資源です。
ぜひ、その魅力を知ってください。そして、堪能してください。

今号をつくっていて、もうひとつ、エポックがありました。

とある夜の扇町公園で、僕は、ひとりのアコーディオン弾きと出会ったのでした。
彼はそのとき、夜毎、扇町公園でアコーディオンを弾いていました。
ジャンルは、ミュゼット。フランスの民族音楽です。
アコーディオンは世界でもっとも難しい楽器のひとつですが、それをいとも簡単に、軽やかに、素敵に、軽快に、音に込められた物語豊かに、弾いているのでした、彼は。
客は、誰もいません。
不思議なんだけど、誰もいないのです。
ただ、あんた絶対プロやろ!ってレベルです。というよりも、音楽的な素養がありすぎます。ちょっと聴いてるだけで、一発でわかるレベル。
誰も聞いていないのをいいことに、僕は、夜毎、この極上のミュゼットを聞いていたのでした。星空の下で、ひとりで独占して、タダで。
ある日、ついに話をするに至ったのでした。
あまり話しかけられる雰囲気ではなかったのだけれども、その日は、なんとなくチャンスがあって。
- ミュゼ、めっちゃ上手いですね!
「いやいやそんなことないっす」
- ザッハトルテ(という、この世界の第一人者的なバンドがある)の人かと思いました。
「一緒にやったことはありますよ。都丸さん(ザッハトルテのアコーディオニスト)とも」
- ライブやってないんですか?
「やってます。松本英二郎、言います。ネットで検索してください」
- アコーディオンの一音一音に物語が溢れてて、めっちゃ素敵でした。今度、ぜひ、ライブ行きますー。
そんな言葉を、ちょっとだけ交わしたのでした。
で、家に帰って、検索してみると…、
検索を進めていくとね、沖縄関係でのライブがめっちゃ多いのですよ。
沖縄でライブやったり、大阪でも沖縄居酒屋でライブやったり、そんなんがめっちゃ多いのです。
しかも、沖縄民謡の琉球太鼓奏者でもあるという。。。
今号に登場してもらっている『ざ☆ちょんだらーず』とは、こうして出会ったのです。
つひまぶをつくっていておもしろいのは、そんなときです。素敵な出会いはたくさんあるのですが、この出会いは、ちょっと震えました。
こんなことがあっていいのか!!
それ以降、何度もなんども彼のライブに足を運んでいます。

ほか、大阪駅前第3ビル地下には、沖縄民謡の伝説でもある登川誠仁の直系である伊礼 哲先生がいらっしゃいます。
沖縄そばを食べられる店は、北区内だけでも30件以上あります。沖縄料理店も数多い。
サーターアンダギーは沖縄よりも美味しいものが本庄で売られています。
琉球民謡、パスポートを携えて中崎町へやってきたテッドさん…。
沖縄で埋め尽くされた「つひまぶ」は、絶賛配布中です☆

稗史としての北区史が、ここにはあります。

PDF
https://drive.google.com/file/d/0B9lKQnZGjMjJbGpHRUoycjNLUk0/view?usp=sharing

2017年4月3日月曜日

「つひまぶ」沖縄号 発行いたしました





3月31日つひまぶ沖縄号発行いたしました!

今回は、北区の沖縄を特集しています。
大阪で沖縄といえば、大正区が有名ですが、北区にも沖縄ゆかりの方がたくさんいらっしゃいます。沖縄料理のお店もたくさんあります。
沖縄は、ほかの都道府県からうらやましがれるほど、独自性の強いところ。
沖縄と聞いただけでも「沖縄そば」「ゴーヤチャンプルー」「泡盛」「エイサー」「カチャーシー」「沖縄民謡」「三線」「やむちん」「映画」などなど思い浮かぶものがたくさんあります。
それだけ引き出しの多い地域です。
今号では、その沖縄のなかでも、北区に根付いている沖縄にスポットを当てています。
巻頭では、なぜ沖縄の人々は大阪にやって来たのか?を追いかけています。
パスポートを持って沖縄からやって来た人々のこと。
本土復帰後も途絶えることなく大阪にやって来ている沖縄の人々のこと。
大阪で沖縄の料理や踊り、音楽で活躍している人々のこと。
沖縄の人と、沖縄に魅せられた人々のことのこと。
今回もたくさんの方にお話をうかがいました!

そしてそして、初めて!食レポをしています。
内容はもちろん「沖縄そば」です。
北区で食べられる沖縄そばはどれも美味しく、かつ似たものはひとつもありませんでした。
最終ページには、むしまつさんのイラストが素晴らしい、北区で手に入る沖縄物産もご紹介しています。

沖縄ゆかりの人々は、大阪でもやっぱり優しく力強く、周りを巻き込むオーラで、みんなをひとつにしていました。沖縄の人同士だけでなく、北区で知り合った誰もが巻き込まれ、一緒になって笑っている場をいくつも見ました。沖縄は、北区でしっかり根付いています。

つひまぶ沖縄号は、常設いただいているお店に順次お持ちしております。
もちろん、北区役所にはすでにあります。
お急ぎの方は区役所へお越しください。


2017年3月27日月曜日

天六は銀行天国だった!?

年度末って年末より忙しくてバタバタする印象だったのですが、今年はいつもに増して忙しくて忙しくて、時間ばっか過ぎていく感じなのです。
まだまだ落ち着く気配がなく、睡眠時間が少なくなりつつあるので、通勤時の運転は十分気をつけようと思います。

さて、今日のブログ「天六は銀行天国だった!?」ですが、先日古〜い住宅地図を見つけました。よく角戸に配布される住宅地図です。

どこを見ても、制作や発行日が書いていないので、いつの時代のものかわからないのですが、興味深く見ていたら、「天六って銀行が多いっ」ってことに気づきました。

現在では、天六交差点に
「三井住友銀行 天六支店」
「りそな銀行 天六支店」
「三菱東京UFJ銀行 天六支店」
「みずほ銀行 梅田支店天六出張所」

がありますが、この地図でも

「大和銀行 天六支店」
「住友銀行 天六支店」
「日本勧業銀行 天六支店」
「三和銀行 天六支店」
「協和銀行 大阪北支店」
が存在しています。銀行の統廃合などがあったとはいえ、今より1行多かったのですね。
みずほ銀行が窓口業務をしていないとはいえ、ここまで集中して都市銀行が集中しているのは珍しいことと思います。
何より、多くの都市銀行と取引している自分としては、ありがたい存在です。
銀行が特に集中して多かった
 下欄の広告も共同で掲載されており、銀行同士もうまく商売していたのではないでしょうか。その後時を経て、統廃合を繰り返すとは思ってもみなかったでしょうね。
こういう地図は取っておいて、たまに見るのも面白いなぁと思った年度末の繁忙期でしたww





2017年3月21日火曜日

泉布観

大阪に現存する最古の洋風建築といえば、天満にある泉布観。
数年前に外観補修工事が終わって、毎年3月の今時分に一般公開があったはずだけれども、今年はどうなってるんでしょうかね?
ま、それはともかくとして、ちょっと歴史などを。

泉布観は、1871年(明治4年)、造幣局の応接所として建てられてます。
設計は、造幣局を建てたイギリス人技師ウォールトス。
この人は、東京の銀座煉瓦街も設計してる、明治初期の日本を代表する建築技師ですな。
ところでこの人、イギリス人と紹介されてますが、アイルランド人と紹介している文献もあります。当時の英連邦がどうなってたのかは知らんのですが、このへんは国が時代によって変わってるから、ややこしいですな。ちなみに、ウォールトスという名前は、どーみても、アイルランド系です…。

完成の翌年、1872年(明治5年)に天皇が行幸し、そんときに「泉布観」の名称を天皇自身が命名してます。「泉布」は「貨幣」を意味し、「観」は「大きな館」を意味する、と。…そういわれても、なんやピンと来ませんが、そーゆーことになってます(笑)

造幣局が日本の殖産興業を代表する施設やったこともあるとは思うんですが、明治天皇は、この場所がえらくお気に入りやったらしく、3度、ここに来てはります。それ以外にも、皇族やら外国の要人やら、数々のエラいさんが、ここを訪れてます。

西洋建築屋のに屋根に瓦を葺いているという和洋折衷がすごいですが、不思議と調和がとれてますね。このあたりのまとめかたは、素晴らしいと思いますわ。
まだ西洋建築のノウハウがない時代ですから、設計がイギリス系やとはいえ、日本の大工さんは苦労したでしょうな。

構造は煉瓦造りの2階建て。建物の周りにベランダを配した、「ベランダ・コロニアル」という洋式やそうです。たしかに、コロニアル風ですね。
耐火煉瓦を除く構造用の煉瓦はすべて国産品で、兵庫や堺など大阪周辺のほか広島でも製造されてます。造幣局を建築するときに各地に煉瓦製造の炉が造られてますから、それらを使ってるんでしょうな。

1893年(明治26年)に、第四師団長北白川宮能久親王が住居の一部として使用し、その前後に改築してます。
1917年(大正6年)、大阪市の管轄に移り、実科女学校の校舎の一部として利用されたこともあります。

1956年(昭和31年)、洋風建築物としては全国に先駆けて国の重要文化財に指定されてます。

なんちゅーか、文明開化の華、ですな。




















こんなところに住みたいけど、掃除が大変やろな(笑)



2017年3月13日月曜日

彼女とキタのラブストーリーのその後のお話

3月13日のつひまぶグログです。

大淀号でラブストーリーに登場いただいた、木下真弓さん。
取材時にうかがったお話も、つい先日のことのように覚えています。
が、大淀号から2年たった今。
あの時、これからやりたいと語られたことをどんどん実現されています。

当時、認知症予防の体操教室をされていること、発展して高齢者が集まれる場所がつくりたいというお話や、児童館がないので、学校と家以外に子どもが集まれる場所をつくりたいというお話をうかがっていました。そして、「高齢者が集まる場所も、子どもが集まる場所も、同じところでやりたい。高齢者にとっても子どもにとっても触れ合うことは大切だから」と語っておられました。

3月5日、中三会館で卓球大会がありました。
10代から80代まで、20人ほどの人が集まって、ワイワイと。
その前の時間帯には子どもメインでもおこなわれていたのでした。
あっという間に時間が経つとはこのこと!
ダブルスで1セットずつ交代で。勝っても負けても楽しい、気持ちのいい時間でした。

そして昨日は映画大会がありました。午前に時代もの、午後からアニメでした。
こちらは参加できなかったのですが、2部制になっているのは、「みんなが来れるように」という思いから。
中三会館を舞台に、高齢者も子どもも集まれる場所をつくろうとされています。
卓球も映画も初めての試みなんだそうです。
「なにが喜ばれるか、わからないからね!」とにかくやってみる!
心意気が伝わります。

マンションが建ったりして人が増えているけれど、新しくまちに来た人は孤立しがち。
そんな人たちにも気軽に来てもらいたいと話されました。
住めば、同じまちの人なんだから、という思いを感じます。
「このまちで老いていきたい。老いてもこのまちで生きていきたい」というお話もありました。

まちは、自分たちの手でつくっていくんだという熱い思いを、お話ししながら感じつづけていました。熱血ほっこりは、言い得ていますね。

ひとつひとつの活動が、2年前うかがったお話の続きなんだと強く感じました。
これからどんな活動をされるのか、まちがどんなふうになっていくのか。

これからも楽しみで仕方ありません。

2017年3月6日月曜日

天神橋のたもとは天神祭が感じられる

3月に入って、三寒四温の日が多くなってきたような気がします。
でもって、安心していたらこの時期にインフルエンザに掛かってしまいました。
そして苦しかったインフルエンザも治ったと思ったら、病み上がりにぎっくり腰まで起こしてしまう始末。
気をつけないといけないなぁ、と肌で感じたこのごろです。

さて、今日は「天神橋のたもとは天神祭が感じられる」です。
普段、移動は電車がバスか自動車がほとんどなので、北区の橋もほとんどがクルマで通過しているんです。
あ、歩行者専用の川崎橋は、実を言いますと未だに渡ったことがないんです。

そんななか、歩いて天神橋を渡る機会があったので、ちょっとだけ堪能してきました。
南のたもと(南詰)から北を望む
橋からたもとには、階段で降りられる構造となっており(それすら知らなかった…)大川沿いに歩けるルートに出られます。
船渡御のかがり火です
階段の壁には、タイル貼りの天神祭を見ることができます。
周囲は、きれいに整備されており、ゴミひとつ落ちていませんでした。落書きもなかったので、しっかり管理されているんだろうなぁと感心してしまいました。
陸渡御の鳳神輿です
7月25日のこの場所は、人でごった返すのでしょうか?
北のたもと(天神浜)から船渡御が始まるので、この辺りは絶好の撮影スポットでしょうね!
鳳神輿の上には御鳳輦が描かれています
地元の方々の天神祭に掛ける思いは、並々ならぬものだと改めて感じさせられました。
このきれいな環境を皆で守っていきたいものですね!
カッコいい階段形状です

2017年2月27日月曜日

さようなら、龍踊りの申し子、小西登紀子さん

昨年7月に発行した「つひまぶ 踊る北区号」にご登場いただいた、天神祭・龍踊りのカリスマである小西登紀子さんが、亡くなられました。
享年59歳です。誕生日を目前に控えた、あまりにも早すぎる、突然のご逝去でした。

龍踊りの申し子のような人でした。
元来、地車講の龍踊りは、女人禁制です。しかし、彼女こそが、その禁を破り、地車講の龍踊りを新しい時代のものへと歩みを進めました。
今では、講元の血族だけは、女性でも龍踊りを踊ることができます。小西さんの娘さん、お孫さんも、踊っています。
ご自宅にお邪魔すると、囃子の鉦が小さいサイズから大きいサイズまで、5種類くらいあるのです。子供さんの成長に合わせて、その鉦を使ってきたとのこと。小西家では、生まれたときから龍踊りの英才教育がはじまるのです。

昨夏の天神祭の船渡御では、地車講の船に乗せてもらい、小西さんの龍踊りを堪能しました。
そのとき、彼女は足首を傷めており、ドクターストップがかかっているなかで、渾身の龍踊りを披露したのでした。



35年前、妊娠されていたときも踊られました。まだ安定期に入る前です。
そのとき小西さんのお腹にいた娘さんもまた、天神祭と出産予定日が重なったため、帝王切開で1ヶ月前に出産してなお、天神祭で龍踊りを踊っています。

美しい方でもありました。
50歳を過ぎてなお、ご自身のグラビア写真を撮り、カレンダーやメモ帳にしてみんなに配り、みんな大迷惑していました(笑)
なにかの大真面目な定時総会の場で、勝手にオンステージを敢行したと聞きます。

あらゆる意味で、熱狂の渦の中心におられた方です。
しかもその熱狂は、彼女自身がつくりだしたものです。
この世知辛くも窮屈な世の中にあって、これほどの規格外、破天荒な人を、僕は見たことがありません。
圧倒的な生命の熱を放ちながら、なぜ、神さまは彼女のような人を天に召されるのか。

告別式は、生前、彼女が信仰していたキリスト教のカソリックにて執り行われました。
牧師さんは、
彼女が素晴らしいからこそ、神は、神の元に彼女を置きたかったのでしょうか、と、僕たちに語りかけました。

圧倒的な生命の炎を放ちながら、彼女は、今生の生を全うしたのでしょうか。
それにしても、若すぎます。

人が集まる輪のなかにいるのが好きな方でした。
つひまぶ「踊る北区号」には、何人かのダンサーを紹介させていただきましたが、そのなかのお一人が、同じ号に載ったというそれだけのご縁で心に留めてくださっており、僕に訃報を知らせてもくれました。
そうやって、彼女の存在そのものが、人と人とをつなぐような人でもあったのです。

告別式での最後、地車講による、龍踊りが披露されました。
小西さんの妹さん、娘さん、お孫さん…、女衆ばかりが龍踊りを踊り、男たちは鉦と太鼓を打ちます。
惜別の龍踊りは、これまで見てきたどの龍踊りよりも魂がこもっており、見守る人のすべての胸を打つ、渾身の龍踊りでした。

さようなら、小西登紀子さん。
あなたに出会い、熱風を受けた日々は、僕にとっても楽しい日々でした。

2017年2月20日月曜日

げんつきげんちゃんは銅像なのか?

2月20日のつひまぶブログです。
つひまぶのコラム「北区銅像巡礼」を担当しているのですが、北区は銅像が本当にたくさんありますね。
銅像にまつわるお話をうかがっていると、銅像になっている人の偉大さとか、すごさばかり注目してしまうのですが、話してくださる方の「こんなにすごい人なんですよ!」という熱意に打たれることがあります。かと思えば、記録がほとんど残っておらず、建てられた経緯さえわからないようなかなしい銅像もあります。それもこれも聞いてみなくちゃわからないので、やっぱりやっていてとても面白いのです。

そんな風に、毎回楽しく取材している「北区銅像巡礼」ですが、たまに「これは銅像なの?オブジェなの?」というものにも出会います。
いい例が、梅田の一等地に建てられている「げんつきげんちゃん」。


大阪駅の真向かい、第一生命ビルディングの地上に「げんつきげんちゃん」はいます。像の前にある板に「鍾馗様由緒」が書かれていて、「げんつきげんちゃん」という名前の鍾馗様像だということがわかります。そして、調べてみると、鍾馗様はもともと、中国の実在した人のようなのです。顔が怖すぎて官吏登用試験だった科挙に落ちてしまいます、そのせいで亡くなってしまうのですが、手厚く葬られたのだそうです。その後、病に倒れていた、唐の玄宗皇帝の夢に現れて病を治したんだそうです。夢の中で玄宗皇帝が「お前は誰だ?」と聞くと、「科挙試験に落ちて死んだ身だけれど、手厚く葬ってもらったことに恩を感じているものだ」と答えたんだそうです。それで、玄宗皇帝は夢で見た鍾馗様の姿を絵師に描かせて神様として祀ることにした、とかなんとか。鍾馗様のこのお話が日本に伝わったのは、明治時代のようですが、厄除けなどとして屋根に人形が飾られたり、五月人形になったりとずいぶん浸透したようです。
鍾馗様像はだいたい、鬼のような強い顔をして、長い髭を生やして、中国の古い時代の武官のかっこうをしています。
「げんつきげんちゃん」もやはり、長い髭と武官のかっこうになっています。
が、顔つきや雰囲気がもはや人というより神様にしか見えないのです。私には。
それで、銅像として取り上げるのをためらっているのですが、顔が怖すぎて試験に落とされるとか、ちょいちょい話が面白すぎて見過ごせないのです。
まったく、惜しいことです。
げんつきげんちゃん。


ちなみに、「げんつきげんちゃん」を作った流政之さんの作品は、阪急三番街地下2階にもあります。その名は「UMECHAN」。ぜひはしごしてみましょう!

2017年2月13日月曜日

冬だから景色を楽しもう

「寒い寒い」というのが、口癖になっている今日この頃ですが、なんか今年は結構寒い気がします。正月までがあまり寒くない印象だったので、余計に寒いと感じるのかもしれません。

さて、今回は「冬だから景色を楽しもう」です。
わたし、たいてい移動は地下鉄かバスか自転車かクルマなんです。
地下鉄は、言うまでもなく地下を走っているので車窓の景色は駅のホームだけです。
自転車とクルマは運転に集中しています。バスは運転しないので景色は見えるのですが、道路上を走るので、道路沿いの景色がメインです。

そのなかで、「歩き」だと、いろんな景色が見えるなーと思った場所がありました。

灯台もと暗し、扇町公園でした。
たいてい夜の扇町公園は、ほろ酔いで終バスを見送った夜にショートカットして帰るくらいしか印象になかったのですが、この前しらふで扇町公園に寄ったらいい景色に出会えました。
扇町交差点の北西角の階段を上がって…
昼間、グラビア?の写真撮影しているのを見かけます
 すぐ右手が通路なんですが、ちょっとした高台になってまして、西側を見ると梅田がきれいに見えるのです。
冬だから空気が澄んで、さらにきれいに見えるのかわからないですが、なんか思わず立ち止まっちゃいました。

赤い観覧車は
梅田のランドマークのような存在です
もうちょっと右に動くと、右手に扇町プールが出てきます。

昼間の画像と比較できたらよかったのですが…。
都会のオアシス扇町公園。
冬だからこそちょっと歩いてみて、いい景色を探しに行きませんか?

2017年2月6日月曜日

2/11今週土曜は中崎町キャンドルナイト。中崎町キャンドルナイトはなぜはじまったのか。

今週土曜、2月11日(土)は中崎町キャンドルナイトです。

中崎町キャンドルナイトは、旧・済美小学校が耐震の問題で取り壊しとなったときに、思い出づくりとしてはじまったものです。

旧・済美小学校は、こんな小学校。歴史のある小学校です。

大正5年(1916年)大阪市第三北野尋常小学校として創立
大正9年(1920年)校名を済美第五尋常小学校に改称
昭和16年(1941年)校名を大阪市済美国民学校に改称
昭和22年(1947年)校名を大阪市立済美小学校と改称
平成16年(2004年)児童減少を理由に廃校

ちなみに、済美の名前は、教育勅語からとられた、由緒ある名前です。


校舎も昭和5年(1930年)に竣工したもので、窓枠や門には丸みを帯びた意匠が採用され、なかなかモダンな校舎でした。
廃校となったあとは、地域のコミュニティホールとして利用されていたけれども、平成22年(2010年)に解体されました。
耐震問題ゆえの解体だったので惜しむ声も多かったのですが、そんななか、中崎町キャンドルナイトは、解体前に、最後の思い出として企画されたのでした。

開催されたのは、平成21年(2009年)12月10日のこと。

地域でガラス瓶を集め、お子たちが、そのガラス瓶に絵付けをし、そのなかにキャンドルを入れて灯す…。
茶屋町や西梅田で開催されている1,000,000人のキャンドルナイトとは違い、おカネをかけない、地域の行事として開催されたものなので、素朴で、ほっこりとした、暗闇のなかでキャンドルの灯りを楽しむ、本来的な意味でのキャンドルナイトです。

キャンドルを入れたガラス瓶は、「ありがとう」の文字にしつらえられて並べられました。なくなってしまう済美小学校校舎への思い。そんな思いが込められたキャンドルナイトなのでした。



懐かしのマヨくん! 彼は初期の中崎町キャンドルナイトで大活躍してくれた、ECCの学生さんです。



この後、元・済美小学校は解体されました。
僕はここの卒業生ではないですが、それでも、この更地になった風景を見たときには、ちょっとした喪失感がありました。


じつは、当初は、恒例化して毎年の行事とすることは、考えられていませんでした。あくまで、一回きりの行事として企画されていたのです。

でも、集めたガラス瓶にお子らが絵付けをしてくれたわけです。これらは立派な作品です。キャンドルナイトが終わったからといって、これらを捨てることができますか?
そんな思いが、一回こっきりだったはずの中崎町キャンドルナイトを年中行事へと進化させたのでした。
おカネはそんなに入り込んでないけど、血の通いや思いはたくさん入り込んでいるキャンドルナイトなのです、中崎町のは。

その後、中崎町ホールが完成し、中崎町キャンドルナイトは復活します。第1回から約2年後の、平成23年(2011年)2月12日のこと。
済美には夏に済美カーニバルがあり、中崎町キャンドルナイトは、夏のカーニバルと対をなす冬のイベントとして定着していくことになります。






ホールでのステージも、第2回からはじめられています。
手話エンターテイメント発信団「oioi(オイオイ)」は、このときから現在に至るまで中崎町キャンドルナイトの常連で、今では実行委員会のメンバーにもなり、情報保障をはじめとするステージ全般を担当してくれています。


以降、毎年2月に開催され、バレンタイン・デーと重なることもあれば、雪が降ることもあり、昨年はついに雨が降りました。
今回の2月11日で、第7回を数えます。

第1回で絵付けをしてもらったガラス瓶は、今でも使われています。自分が絵付けしたガラス瓶を探しに来られる人も、たくさんいます。
思うんですが、他のキャンドルナイトでは、展示されたオブジェや作品は、その後、どうなっているのでしょうか?

今回は、ほっかほっか亭のハースクレイさんが電光掲示板広告を出してくれるという、すごいご協力もしていただいています。



13時〜16時
写真展「今はもう見られない 元済美小学校」
東日本大震災支援TJWKニット作品展示&ワンコインワークショップ

15時〜
スタンプラリー

16:30
点灯式&ポスター表彰式

17時〜
ホールにてコンサート
天満中学校吹奏楽部
南ジョージバンド
手話エンターテイメント発信団「oioi(オイオイ)」
akira
みんなで合唱

20時 終了

今年は、周辺で中崎町バルも開催されています。チケットは中崎町ホールでも販売しています。

2017年1月30日月曜日

明日は、愛妻の日ですって!

130日のつひまぶブログです。
先日、梅田を歩いていたらこんなの見つけました。

「愛妻の日」

お花屋さんのショーウィンドウでみました。なのでお花を贈る日のようです。

ネットで調べてみると、日本愛妻家協会という団体がされている文化活動だそうです。
「妻というもっとも身近な存在を大切にする人が増えると世界はもう少し豊かで平和になるかもしれない」という理想のもとにされている活動なんだそうです。

いろんな日がありますねぇ。
梅田を歩いているといろんなものや活動が見つかっておもしろいです。

明日は、お花持って歩いてる人が多いかもしれませんね。