2016年11月28日月曜日

済美のイケメンジュース

11月28日のつひまぶブログです。
済美のふれあい喫茶でであった、イケメンジュース。



ニンジンとリンゴとセロリは入っています。
ほかにもいろいろ入っています。
市販の野菜ジュースとは違う味わいがあります。
どろっとも、もたっともしない、さわやかさです。
あ、だからイケメンなのか!
機会があればぜひ一度飲んでみてください。
ここでしか飲めません。

そして、別の日のことですが、済美は食事サービスも楽しいです。
食べる人のことを思ってつくられるご飯のおいしいさ。
家族と食べる食事のような。
一口食べるごとに、気持ちがゆるんでいきました。
この食事をいただくだけで、済美のお母さんたちの愛情が伝わります。
心がゆるむ場所をつくるってすごい。

今号も素敵な出会いがたくさんありました。

取材にご協力いただいたみなさま、ありがとうございました。

2016年11月21日月曜日

取材先、サッパボイラはやはりすごかった!

11月も中旬に入り、いよいよ年の瀬が見え隠れする時期になってきました。
自分の場合、年の瀬の大掃除は寒くて体が動かない(やる気も動かない)ため、まだ寒さもガマンできるこの時期におこなって、年の瀬は仕上げ程度で済むようにしています。
だからこの時期は結構忙しい&バタバタしています。

そんななか、つひまぶ「災害史号」が発行されました。
今回は、地震や水害、火災など、いつ起きてもおかしくない「災害」に焦点を当てました。
日ごろ住んでいる地域で、いままでどんな災害が起きて、どんな伝えられ、教訓として残されてきて、私たちがどんな心構えでいるべきなのか、ということを考えていただける1冊になったのでは、と思います。
まだお手に取っていない方は、ぜひ読んでみてください。

さて、今号も私の担当「モノづくり最前線」のコラムは、中津3丁目の(株)サッパボイラにお話をうかがってきました。

蒸気機関車は、昭和30年代に「動力近代化計画」という計画に基づき、気動車や電化に移行していった経緯で、1976年には旧国鉄から消滅しました。
実は、サッパボイラも第二次世界大戦以前は、工場などの構内用蒸気機関車の完成車を製作していた蒸気機関車メーカーだったのだとか。
しかし詳細の資料がほとんど残っておらず、会社事務所に飾られていたパネルは、当時の納車式に撮影されたもので、唯一残っている写真なのだそうです。
近年は、観光資源としての復元が活発になってきており、各地からボイラーの大規模修繕や定期全般検査などがあるが、定期全般検査で半年、大規模修繕にいたっては1年半の時間を要するそう。
腐食や劣化など、とにかく作業を始めてみないことには部品の新造や補修箇所などが判断できないために苦労の連続だということと、ボイラーを新規で作った時は、のちに修繕を行ったり、バラしたりすることを想定して設計や製造がされていないため、そこをどうやってクリアしつつ、大規模修繕に持っていけるか。そこにサッパボイラの技術力や長年培ってきたノウハウが生かされるのだと、取材をしていて強く感じました。

ちなみに颯波社長は記事でもあったように、入社するまで蒸気機関車には興味もなかったそうですが、社内で修繕された蒸気機関車の走っている姿を見たい、と実際に見に行ったところ、蒸気機関車の美しさに魅了されたといい、最近はイベントなどで「サッパさんですよね?」と声を掛けられるそうです。「声をかけられると、とても恥ずかしくて」とおっしゃいますが、蒸気機関車好きには抜群の知名度を誇ります。

中津の工場では、今日も「カンカンカン」と修繕の音が鳴り響き、サッパボイラの忙しい日々は続きます。

2016年11月18日金曜日

つひまぶ11月号「災害史号」をドロップしました


ども。つひまぶ編集長のルイスです。
11月号「災害史号」をドロップしました。

ぼちぼち南海トラフが暴れるよ!大阪も危ないよ!と言われている昨今、春には熊本地震が起きました。
先日は、ニュージーランドが大きく揺れました。
災害は身近にあって、大阪市や北区でも、さまざまな防災対策がとられています。各地域では防災マップがつくられ、防災に対する意識は高まってきているように思えます。

そういう高まりを受けて、つひまぶでもなにかできないだろうかと考えたのが発端でした。
行政からの刊行物や、行政の主導で地域がつくる防災計画やハザードマップも数多く目を通してみて、そこには「自助」や「共助」を意識した、つながりを感じるものもあるし、科学的な知見に基づくものもたくさんあります。

ただ、なんというか、たとえば戦争のあとには戦争文学がたくさん生まれるように、災害のあとにはマスメディアでたくさんのドキュメンタリーがつくられるように、人の顔が見えるものが、防災計画やハザードマップにはないように思えるのです。防災計画やハザードマップにはそのようなものは必要ないのかもしれませんが、「防災」という括りのなかに、人の顔が見えるものがあってもいいんじゃなかろうか、という思いが、僕のなかに、なんとなくありました。

人や人の顔の見えるものなら、つひまぶは得意です。
わりと、ボヤッとしたところからはじまった企画ではあるのですが、そのあたりに軸足を置きながら、今号の特集をつくっていきました。

巻頭では、約150年前に起こった「安政大地震」のときに発行されたかわら版を紹介しています。
この地震もまた南海トラフが引き起こした地震で、南海トラフは約150年周期で地震を引き起こしていることから、ぼちぼち動くと言われています。となると、この「安政大地震」を知っておくことは、悪いことではありません。
瓦版を分析すると、災害直後は、箇条書きの情報が羅列された速報集の体をとったものが発行されます。スピード勝負の発行物です。
その後、地図で被害状況が表されたものが発行され、自分の地域における被害の全体像が見えてきます。
やがて、全国に飛ばした飛脚がもたらした情報がまとめられ、この安政大地震が全国規模の大災害であることが伝えられます。
この時点では、箇条書きのヘッドラインニュース集から、ひとかたまりの文章になったルポルタージュの体裁をとりはじめます。見たものをテキストにしたものから、聞き取りがおこなわれたテキストにも変容してきます。
最後には、過去の災害が紹介され、そこから教訓が導き出され、保存版のパンフレットのようになっていきます。
かわら版を発行する側の人間の目で、どのような工夫がほどこされ、何を残そうとしたのかを、追っていきました。

その次は、
約100年前にキタを焼き尽くした「キタの大火」を。火事のこわさを今一度お伝えできたらな、と。
同時に、「津波・高潮ステーション」の紹介と、北区でもその恐れがある水害について、紹介しています。

昨今の大災害ではgoogleをはじめとするポータルサイトが集合知を駆使して、さまざまな災害情報の伝達をおこなっています。集合知なので、ベースになっているのは、数多くの人による、「人力」です。テクノロジーを使うことで、多くの人の力を結集しやすくなった今、さまざまな情報が提供されていることを、地図学者・松岡さんが紹介しています。

水防技術専門家、神社、水防碑、上町断層…、身近な「災害の跡」の紹介も。先人たちは、さまざまな場所で、教訓を残してくれています。

熊本地震や東日本大震災の避難所や仮設住宅で活躍する人たちはどんな人たちなのか。
そんな人たちにもお話を聞きました。
裏方さんたちが大活躍する様子を、ぜひご覧ください。

今号は、いつも以上にテキスト量の多い号となりましたが、実際的に役に立つ情報は、あまりありません。そうではなく、この号をきっかけに、防災に目を向け、地域の防災計画やハザードマップにたどり着いていただけたらなあ、なんてことを考えながら、つくりました。

北区役所や北区民センター、大淀コミュニティセンターほか、さまざまな場所に置いています。
配布リストは、このブログのサイドバーをご覧あれ。

PDFもあります。
https://drive.google.com/file/d/0B9lKQnZGjMjJNG5CaFRFYTVmLUk/view?usp=sharing


2016年11月13日日曜日

夫婦橋の北側にあったミスド、閉店


天神橋筋商店街の真ん中あたり、夫婦橋の北側にあったミスドが、10月末で閉店しました。
ずーっとむかしからあったので、調べてみたら、41年前のオープンだったのですね。
結構、いろんな思い出があります。
いつも大勢の人で賑わっていたのに、なんで閉店なんだろうか。。。

天満宮南側の老舗料亭「相生楼」が11月末で閉店なんてニュースも飛び込んできましたが、個人的にはミスド閉店のほうがショックはデカいです。

2016年11月7日月曜日

いつまでも色あせないスゴイ本「天満人」創刊号

色あせないスゴイ本「天満人」創刊号!

11月7日のつひまぶブログです。
つひまぶ「まちの記憶」でもお世話になっている、井上彰さんの「天満人」。
ひょんなきっかけでいただいたのです。
それから、時間を見つけては食い入るように見ています。
平成14年の発行ですが、色あせない、新鮮な本です。



たくさんの方が天満を語っておられます。
その語り部のなかには、つひまぶでお世話になった坂本健一さんの名前がありました。
戦前の天五中崎商店街のイラストマップや、映画館のマップもありました。
笑顔の写真を見ながら、書かれたものを読んでいます。

そのほか、遠い昔の天満宮のこと、商店街のこと、市場のこと、寺町のこと。
今ではなかなか聞けないような話もあります。

つひまぶをつくっていて思うのは、今しか聞けないことがある、ということ。
時期を逃すと調べても調べても、最後は想像するしかないことが出てきます。
今しか聞けないこと、今あたりまえにあることを大切にしていこうと思うのです。

そんな気持ちで、今まさにつくっているつひまぶの発行が近づいています。
あと10日ほどです。


2016年11月6日日曜日

堂山町”ホテル近畿”のマッチに見る北区変ぼう史

ここ数日、一気に気温が下がってきて、私のような寒がりには、石油ファンヒータが必需になってきました。
私はエアコンの温風に馴染めないので、もっぱら石油ファンヒータ派なのですが、一番のデメリットは燃料である「灯油」を買いに行かなければならないこと。
マイカーでガソリンスタンドまで買いに行くのですが、これからの時期はとにかく寒い!
その寒さを乗り越えて買った灯油で温まった部屋でのんびりできるのは、これからの時期の至福の時でもあります。

さて、今回のつひまぶブログは、「堂山町”ホテル近畿”のマッチに見る北区変ぼう史」です。
ホテル近畿といえば、2015年11月号(LGBT号)にも登場した、北区堂山町にあるホテルです。
先日宿泊したところ、灰皿にマッチが置いてあったのですが、久々にマッチを見たという驚きと、ホテルのオリジナルマッチだったことにプチ感動!(笑)
そして、よくよく見てみるといろんなことがわかってきました。
表面は、特に気になる部分もないのですが、興味を引いたのは裏面でした。
(表面)
オリジナルマッチって珍しくなりましたよね
ホテル近畿の周辺図なのですが、よくよく見てみると…。
・コマ劇場
・ナビオ阪急
・東阪急ビル
・大東洋
・阪急百貨店
・コカ・コーラビル
・新堂山ビル
(裏面)
地図が…ちと古い!?
と書かれていますが…。

・コマ劇場→閉館して梅田芸術劇場に
・ナビオ阪急→名称変更してHEPナビオ(最近では阪急メンズ館とも)
・東阪急ビル→現存
・大東洋→現存
・阪急百貨店→現存
というのは分かったのですが、
・コカ・コーラビル
・新堂山ビル
この2つがわからないんです。
コカ・コーラビルは、位置的に堂山町交差点の南東角に位置しているような感じで、新堂山ビルは、ACT-3というマンションあたりだと思うのですが、結局分からずじまいでした。継続調査していきます(笑)

表面に記載されている電話番号は10桁あるので、1999年(平成11年)以降のマッチだと思っていたのですが、コマ劇場が閉館したのは1992年(平成4年)であるということは、地図は直さず、電話番号のみ改定して作成していたのですね。

古地図とまではいかないけれど、ちょっと前の地図を見るのは、いろいろ想像できたり、地域を調べるきっかけにもなって、自分自身は楽しんでいるんですけどね。

ちなみに梅田芸術劇場のある「ちゃやまちアプローズ」って、開業と前後して、ダイハツ工業が「アプローズ」って車を発売していたのは、なにか関連があったのでしょうか?これも継続調査です(笑)