2016年5月2日月曜日

堂島の地形の変遷史



ドーチカの一番南側に、堂島の変遷がわかる年代ごとの地図が展示されています。
一番古いものは。室町時代。
まだ中之島が南北の2つに分かれていた時代で、堂島や曽根崎もまだ島だったことがわかります。
今とはまったく地形が違いますな。





次が安土桃山時代。
堂島から福島と野田が分離し、一方で、中之島は上島と下島が一体化して大きくなっています。
石山本願寺の跡地に大阪城が築城され、城下町が形成されているのがわかります。





その次は江戸時代前期。
徳川幕府の直轄領になった大坂は、区画がすっかり整備され、ということは商業都市として隆盛を誇っていたことが、この地図からはわかりますな。
河村瑞軒が堂島の護岸工事と架橋工事をおこない、堂島新地が開発されたのも、このころ。




ほいで、時代は下って、江戸時代後期。天保年間です。
淀屋橋の南詰めにあった米市場が、淀屋失脚により、堂島東部に移転しています。
このころの堂島は蔵屋敷が建ちまくっていたはずで、繁栄を積み重ねていたはず。





そして、明治時代。
蔵屋敷がすべて廃止され、そのあとに大坂市役所、商業会議所などが建てられ、商業学校なども建ちます。
梅田村には大阪停車場(現在のJR大阪駅)が生まれ、市内に市電が走ってます。ということは、橋は石橋に変化してるってことですよ。
堂島はついに埋め立てられ(北の大火で発生した瓦礫や焼土を曽根崎側に埋めたため)地続きに。中之島の北側は天神橋まで延びてます。




最後が現代。
市電がすべて姿を消し、高速道路がまちをまたいでいます。
堂島地下センターが記載されてますな。





地形なんて縄文・弥生あたりにカタチが決まって、今に至っていると思ってる人に、よく出会います。
山や平野はそうかもしれないけれども(そんなこともないけれども)、海辺や川 辺って、中世から近代、下手すれば現代であっても大きく変化するわけで、大阪もその例に漏れないってことが、この変遷地図を見てるとわかりますな。

近くに行ったなら、見てみてください。