2016年4月18日月曜日

淀川(現:大川)と旧中津川に挟まれた天満の商店街はやっぱり個性的。。。

太閤さんが上町台地に大阪城を築城、大坂の陣で廃墟となった町を徳川家康の外孫である松平忠明が大坂三郷を形成し立て直しました。
大坂三郷のうち天満組は、淀川(現:大川)より北側で大阪天満宮を中心に寺町通りまでの地域です
当時の大坂の町は約500人の武士に対して40万人の町人が生活する町、役人だけで自治ができるわけがなく町人の力が頼りでした。知恵と財力のある大坂商人や町人の力は武士よりも強く、無視することはできず、幕府は惣年寄という地位を商人や町人に与え天満組を治めていました。その天満組惣会所があったのが天満興正寺(現:滝川公園)でした。
滝川公園北西隅にある碑

1653年に大坂御坊から淀川(現:大川)沿い(現:南天満公園)に天満青物市場が形成され、水運を利用して近郊から生鮮食品が運び込まれていました。人と物が動くこの地域は天満宮を中心として栄えた門前町、道の途中には店が立ち並び、町が形成されて行きました。生鮮食品を扱う天満青物市場の商人は早朝から晩まで忙しく、彼らの日常の買い物を済ませるところが、参詣道のひとつである十丁目筋商店街(じっちょめすじ)だったのでした。天満橋から数えて10本目の筋だったので、「じっちょめ」と呼ばれていました。後に天神橋筋商店街となっていくのです。ということで、天神橋筋商店街と呼ばれるようになったのはいつからでしょうか?わかる人がいたら教えてほしい。。。現在、90代の人の中には、未だに「じっちょめ」と言う方がいます。

子どもの頃、天神橋筋商店街のお友達の家の前でボール遊びも縄跳びもゴムとびもしました。お肉でも魚でもなんでも買えました。天神橋筋商店街で買い物したらなんでも作れました。そして生活用品もなんでも揃いました。今はどうでしょう。天神橋筋商店街を歩いてもお肉や魚は買えません。
昔はお店と自宅がいっしょだったので、日常生活をしながらお店を営業できていたのでした。スーパーや大型店舗が発達して一般小売店舗の営業は厳しさを増し、商店街は廃れていくのでした。気が付くと天神橋筋商店街には飲食店がたくさん並んでしました。民家が減って会社が増えたので自然の流れだったのです。
人が住まない生活感のない商店街は、夜になると閑散として温かさは感じません。
飲食店が多い天神橋筋商店街ですが、本屋も多いのです。

 2軒の本屋(西日本書店とTOHWA)5軒の古本屋とがありました。2.6kmの商店街の中に7軒の本屋、特に古本屋が多いことに驚きます。天神橋筋商店街はやっぱり個性的な町、面白いところ、歩いているとまた新たな発見があるかも。。。