2016年3月15日火曜日

大人気の五代さまは、亡くなったとき現在の大阪市北区の住民だった!


朝ドラ人気衰えませんね~その中でも、特にクローズアップされた人物は五代友厚さま。

五代友厚さまは大阪の大恩人であるにも拘らず、これまで脚光を浴びることが少ない人物のひとりです。証券取引所の前で堂々と立っている銅像も今までは素通りが多かったのですが、朝ドラの大ブレークでカメラを構える人が後を絶ちません。
大同生命の展示だけでなく、旧証券取引所の展示にもたくさんの人が訪れているそうです。そう、ここには五代友厚さまの直筆署名があるのです。
旧大阪証券取引所5階展示室へどうぞ!(平日ならどなたでも閲覧できます)

五代さまは薩摩藩士、大阪に来てからは現在の中央区・西区で転々と引越を繰り返しています。明治82月の大阪会議前には、靭公園にある科学技術館のあるところに屋敷がありました。親友大久保利通や木戸孝充もよく訪れて、明治7年暮れには泊まり込んで策を練っていたとも言われています。
テレビの五代さまは、女性の影が見えないほど仕事だけの方に描かれていました。実際は昔の殿方ですから、奥様はもちろんお妾さんもいらして大変なモテ男だったようです。
官吏を捨てて大阪を立て直すために活動したことはテレビのとおり、商工業発展と信用構築を大事にしたことは有名なお話です。
初代大阪税関官吏時代はあまりのきびしい取り締まりの結果大阪には寄港する船舶は減少、神戸の荷扱いが増えることになり、これが今日のみなと神戸という第一歩のようです。

西の五代、東の渋沢言われ、経済では力を発揮しました。
五代さまが基礎を築いた会社がたくさんあります。
一大コンツェルンを築いた三井・住友・三菱は財閥解体後も延々として残って名前が語り継がれました。
五代さまは私利私欲を持たず、亡くなったときには借金200万円が残っていたということが今まで彼が埋れてきた由縁ではないかと思います。

糖尿病の治療に東京に向かったのはドラマの通り、亡くなる少し前、明治18年に薩摩から大阪北中之島1-26に戸籍を移しています。ほとんど住むこともなく、ドラマのとおり糖尿病の治療のため東京に向かい亡くなりました。
葬儀は島原藩屋敷跡の自宅で盛大に行われ参列者は4300人に及び、阿倍野墓地までの葬列はすごいものだったそうです。
東京の病院で息は引き取りましたが、現北区中之島の住民として亡くなりました。
赤い四角で囲んだところが五代さまの屋敷があったところです。

幕末の大阪の荒廃を憂いて立ち上がった五代さま、薩摩人の熱い思いで今日の大阪の基礎を作ったことを忘れてはいけないと思います。