2015年10月29日木曜日

バスの道

「バスの道」というものがありました。今、私が名付けただけなんですが、不思議なところにバスが走っていたので、とても覚えているのです。


戦争の動乱も落ち着きを取り戻してきた昭和27年、市バスも復興のため、市内各所に操車場を整備することになりました。そこには「天神橋」という名前も。
天神橋筋7丁目(天神橋7丁目)、阪急千里山線(千里線)の高架下に新たに誕生した天神橋操車場は、天六という交通の要所の近くに設置されました。当初は15号系統(堺筋経由上六行き)のみが使用していたようですが、その後、此花区方面からやって来るバスも開通し、梅田の補完的役割を担う操車場となっていきます。


この操車場、他の所にはない独特な運用方法をしていました。高架下という細長い土地という制約があるため、構内が一方通行になっているのです。
天六にやって来たバスは、まず、都島通りの阪急天神橋駅正面(今の高層マンション、阪急オアシスがあるところ)でお客を降ろし、天神橋駅東側の「バスの道」を北上。操車場に入ります。
お客を乗せないバスの道
出口は天神橋7丁目交差点近くの日活の映画館(今のくら寿司)の所からひょっこり顔を出します。
お客を乗せないバスの道。なんでこんなところにバスが通っているんだろう?
子供の頃にここに操車場があることを知らなかったので不思議でしたが、大人になってから謎が解けたのでした。

昭和40年代、市電の廃止と共に、バスの発着は多くなり、多いときには最大6系統もの天六行きを捌くことになります。
昭和47年頃にバスターミナルも整備され、扱いが出来なかった北からやって来るバスにも対応出来るようになり、黄金期を迎えたのもつかの間、ここから転落の一途をたどります。
四階建ての建物が天神橋乗務所。この1階にバスターミナルがあった。今でものりばが手つかずで残っているとか
交通局が財政再建団体に指定されたため、バス路線が次々と短縮されていき、バスターミナルに乗り入れる路線がなくなっていったのです。
結局、バスターミナルはあまり活躍出来ずに10年ほど出なくなって、操車場も2系統の路線を受け持つだけの寂しい状態に。

そんな操車場も、最後に残った守口車庫行きの転回場としての役割があるので存在はしたものの、ついに、平成5年に都島の総合医療センター横に出来た操車場に移転することとなり、お役御免になりました。


今、その跡地には総合加納病院が建てられています。南側に、病院の立体駐車場がありますが、ここが操車場の入口です。入口からすぐに市道があるので、わずか十数メートルで一旦道路を渡るという、ちょっと意味がないような感じにはなっていますが、一方通行の操車場ですから仕方がなかったんでしょうね。
操車場の入口。阪急の高架があったので、結構怪しい雰囲気でしたね