2015年10月29日木曜日

バスの道

「バスの道」というものがありました。今、私が名付けただけなんですが、不思議なところにバスが走っていたので、とても覚えているのです。


戦争の動乱も落ち着きを取り戻してきた昭和27年、市バスも復興のため、市内各所に操車場を整備することになりました。そこには「天神橋」という名前も。
天神橋筋7丁目(天神橋7丁目)、阪急千里山線(千里線)の高架下に新たに誕生した天神橋操車場は、天六という交通の要所の近くに設置されました。当初は15号系統(堺筋経由上六行き)のみが使用していたようですが、その後、此花区方面からやって来るバスも開通し、梅田の補完的役割を担う操車場となっていきます。


この操車場、他の所にはない独特な運用方法をしていました。高架下という細長い土地という制約があるため、構内が一方通行になっているのです。
天六にやって来たバスは、まず、都島通りの阪急天神橋駅正面(今の高層マンション、阪急オアシスがあるところ)でお客を降ろし、天神橋駅東側の「バスの道」を北上。操車場に入ります。
お客を乗せないバスの道
出口は天神橋7丁目交差点近くの日活の映画館(今のくら寿司)の所からひょっこり顔を出します。
お客を乗せないバスの道。なんでこんなところにバスが通っているんだろう?
子供の頃にここに操車場があることを知らなかったので不思議でしたが、大人になってから謎が解けたのでした。

昭和40年代、市電の廃止と共に、バスの発着は多くなり、多いときには最大6系統もの天六行きを捌くことになります。
昭和47年頃にバスターミナルも整備され、扱いが出来なかった北からやって来るバスにも対応出来るようになり、黄金期を迎えたのもつかの間、ここから転落の一途をたどります。
四階建ての建物が天神橋乗務所。この1階にバスターミナルがあった。今でものりばが手つかずで残っているとか
交通局が財政再建団体に指定されたため、バス路線が次々と短縮されていき、バスターミナルに乗り入れる路線がなくなっていったのです。
結局、バスターミナルはあまり活躍出来ずに10年ほど出なくなって、操車場も2系統の路線を受け持つだけの寂しい状態に。

そんな操車場も、最後に残った守口車庫行きの転回場としての役割があるので存在はしたものの、ついに、平成5年に都島の総合医療センター横に出来た操車場に移転することとなり、お役御免になりました。


今、その跡地には総合加納病院が建てられています。南側に、病院の立体駐車場がありますが、ここが操車場の入口です。入口からすぐに市道があるので、わずか十数メートルで一旦道路を渡るという、ちょっと意味がないような感じにはなっていますが、一方通行の操車場ですから仕方がなかったんでしょうね。
操車場の入口。阪急の高架があったので、結構怪しい雰囲気でしたね

2015年10月26日月曜日

知ってましたか?梅田のど真ん中にある「よろこビックリ橋」


こんにちは、よりともです。

阪神百貨店、阪急百貨店、JR大阪駅を結ぶ、
毎日多くの人が利用してきた巨大な梅田新歩道橋。
みなさんもここを渡ったのは1度や2度ではないのでは?

実は、平成25年の6月から、「よろこビックリ梅田新歩道橋」という名称になっていたのをご存知でしたか?


大阪市では、公共施設にネーミングライツ(命名権)制度を導入され、
企業等が契約料を負担し、自社の名前等を公共施設の名称としていれる事ができるこの制度。
キンチョウスタジアムとか、京セラドーム大阪が有名ですよね。

「よろこビックリ」て、どこの会社か分からない!
梅田新歩道橋のネーミングライツに手を上げられたのは、
ロート製薬株式会社。
ロート製薬では、コーポレートスローガンとして、
“「驚き」と「喜び」のある商品やサービスの発信源になることが私たちの夢。私たちはさらなる驚きと喜びをお客様に提供するということを宣言するため、「Happy Surprise! よろこビックリ誓約会社」”を掲げられており、
そのスローガンから、「よろこビックリ」の名称となったそうな。

通常は、会社のPRのために社名や商品名を全面に押し出すものが多い中、
ロート製薬では、
口にすれば、明るくなれるようなフレーズで、
大阪の活性化につながれば。と、地域貢献を目的に、「よろこビックリ」を採用したのだとか。
募集をかけた大阪市さんも、想定外でビックリしたらしい。笑

正式名称はこちら



今は駅前改良プロジェクトのために使用できない箇所も多いですが、
ネーミングライツの契約は来年の5月まで。

名称を見つけると思わず笑顔になってしまうこの歩道橋。
工事中ではありますが、ネームプレートは確認できるので、
みつけてみてくださいね。

2015年10月25日日曜日

大阪駅前のバス停が使いにくくて、もう大変!


こんにちは。ヨリトモです。

仕事の関係で、最近大阪市営バスを使うようになりました。
梅田から電車だと乗り換えが面倒な場所ってありますよね?
あと、どの駅からも微妙に遠く、歩くの大変だな〜と言う場所もありますよね?

どうやって、楽して移動しようか。調べてみると、
意外とバスが便利だったりします。

ところが、ここの所、使い慣れて来た大阪駅前のバス停に大きな変化が!
駅前工事にともなって、これまで使っていた導線はことごとく使えず、
限られたルートでしかたどり着けないために、とーっても遠回りしないといけなかったりします。

私の経験で、要注意箇所を2つピックアップ!



【1】ピンクの「0」「1」
     ・ ここ、前は西側からも東側からもアクセスできたんですが、
      今は、→で示したルートでしかアクセスできません。
 ・ もちろん、阪神側からJR・阪急側へつながる歩道橋からも降りられません。。
【2】みどりの「5」「6」
 ・ ここ、前は東側とつながってたんですが、
   今はピンクの「0」「1」側からは車道とガードレールで通れません。
 ・ ガードレールを越えて無理矢理渡っている方も居ますが、
  交通量も多い箇所なので、本当に危ない。。

と、言う感じで、大阪駅前工事のために、
かなりバス停が使いにくくなっているのです。
ちゃんと確認しておかないと、乗り遅れる。なんてハメになりますよ〜
バスをご利用の際には要注意!

それにしても、どんな駅前になるのやら。
楽しみですね〜

2015年10月23日金曜日

陰で支える人々がいるからこそ・・・


天神さんに行ったら、流鏑馬神事の櫓が建っていました。
いつも見て思うんですけど、こんな大きい櫓どうやって建てるんでしょうね。
実は神職が重機を使わず建てるのです。
つひまぶ天神祭号でも触れましたが、神職は祝詞をあげるだけではなく様々な役を担うのです。
 
櫓が建つまでを写真で見ましょう。
 
 
 
 
 組み立てた櫓を重機なしで建てるのは大門を使うのです。大門に紐をかけて滑車使うと力が少なくて済むんですね。理科の物理で実験した記憶があります。(笑)
 


 
セット完了、力を合わせて引っ張ります。
 
 
 


立ち上がりました。
どうやって建てるんだろうと思ってたんですよね。ちなみに今回は今までと違う方法で建てたそうです。
こうして陰で支える人々の力があって櫓が完成、25日神事当日を迎えるのです。
お見事でした!

10月25日大阪天満宮では、秋大祭の流鏑馬神事が斎行されます。
流鏑馬は鎌倉時代から武士のたしなみとして行われており、疾走する馬上から的を矢で射るものです。
大阪天満宮では参道の人家の間を走り抜けるため、江戸時代から三ヶ所の的を半弓で打ち破るようになりました。

こんな都会のど真ん中、それもアスファルトの一般道で、「びっくりポンや!」(笑)
動物愛護団体から、滑るから馬がかわいそう!なんて言われそう・・・

上の写真にあるように、当日は地元の方々が表参道で幔幕を張り、提灯を掛けて参拝の方々のもてなしをします。流鏑馬神事だけでなく、神饌や馬具装束の展示で説明もありますので、いろいろ見るところがあります。

的の破片は厄除けとして配られますので、お持ち帰りください。
昨年は、ギャラリーのあまりの多さでしょうか?馬が驚いて走る前に落馬するというアクシデントがありました。今年は日曜日なので、多くの人出となることかと思いますが、間近で疾走する馬を見に来ませんか?

今回の写真は天満宮Facebookより転載しました。




 

2015年10月19日月曜日

梅田から新地にかけて、かつて水路だった跡を見る

ども、編集長のルイスです。

キタは相変わらず再開発が進んでいて、超高層ビルや巨大地下街といった「つくりもの」がよく似合っていて、それこそ遊園地やテーマパークといった趣もあるわけだけれども、といって、実際のテーマパークのような、統一されたテーマに沿って都市が形成されているわけでは、ないです。

地勢的、政治的な思惑もさることながら、地相だとか地霊だとかいう因縁話めいた不合理な理由によって、自由な「つくりもの」であるはずの都市形成が、規制されもします。
その意味で、都市は、つくりものでありながら、暗黙の拘束によって過去を受け継がざるを得ないですね。
もっとも、そうした闇のようなものがあってこそ、都市は生きているし、闇の深さだけ眩しい光があって、重層的な深みが出てくるのだとも、歩いていると、実感します。

キタは水路を必要としなくなって久しいけれども(水辺は必要!)、それでも、表層の変貌だけでは拭いされない微細な表情が残っていて、水路であったことすら忘れ去られていたとしても、水が流れていたころの痕跡を残しているところが、いくつかあります。

むかし、曽根崎新地と堂島のあいだには曽根崎川が流れていて、その北側の梅田一帯は田園地帯で縦横に小川が流れていたといいます。

曽根崎新地1丁目のスエヒロの裏手から南側に抜ける道があって、裏道というと暖簾を上げている店には失礼だけれども、勝手口のほうが多いので、そういう雰囲気を漂わせてます。
この道、スエヒロから緩く下りになっていて、この微妙な傾斜が、かつてここが水路だったのだろうな、ということを、感じさせます。

この水路は、曽根崎川に架かっていた曽根崎橋と桜橋の中間から北東へ伸びた水路の分流で、そこから北へ伸びた水路は、国道2号線を横切って駅前第2ビルの東を北へ北へと進んでいくのだけれども、西向きにカーブを切ってます。そのカーブが、そっくりそのまま駅前第2ビルのいびつなかたちになっていて、この、駅前第2ビルのいびつなかたちこそ、その周囲を水路が流れていた痕跡なのだということが、このあたりに立つと、よくわかります。
ためしにgoogle mapで見ると、もっとよくわかります。



このあたり、かつて存在した曽根崎川は、別名、蜆川といって、もともとは清流だったのが、毛馬閘門が造られたせいで水が淀み、ジメジメした川となったことから蜆川、あるいは実際に蜆が採れたことから蜆川と呼ばれた川です。

明治42年の北の大火(天満焼け)のとき、蜆川は焼け跡から出た瓦礫の捨て場となって埋め立てられ、明治45年に上流部分が、大正13年に残りがすべて埋め立てられて姿を消したんですが、その蜆川のことをなぜ延々と書いているのかというと、北新地の歴史を語るうえで、この、蜆川を外すして語ることはできないから。

1688年(元禄元年)、蜆川の南側に堂島新地ができ、1708年(宝永5年)、今度は蜆川の北側に、曽根崎新地が誕生します。
江戸は元禄の、絢爛な町人文化が花開くときです。
遊女を置く茶屋がたくさんできて、これが今の、新地の歓楽街の原型です。

さて、新地といえば、「曾根崎心中」と「心中天網島」のふたつの物語を生んだ土地ですが、そのうちのひとつ、「心中天網島」の舞台となった、茶屋の河庄の跡碑を、見つけました。

紙屋の旦那である治兵衛と新地のホステスさん小春の不倫話で片付けるには重層的すぎる話ですが、その舞台となった茶屋の河庄が、蜆川沿いにあり、その場所は、埋め立てられたゆえに現在は裏道としての香りを放っている、ということに、この場所に立って改めて気づき、都市の光と影を見る思いがしたのでした。

現に、忘れ去られたかのように、自販機と自販機のあいだに挟まれ、ゴミ箱と跡碑が同居しています。


2015年10月15日木曜日

今年も開催!! 生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪

こんにちは。
10月15日のつひまぶブログです。
秋はイベント盛りだくさんですね。
毎週末たのしみがいっぱいです。
なかでも、今日ご紹介する「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪2015」はぜひともいっていただきたいイベントです。




「生きた建築」とは、歴史や文化、市民の暮らしぶりといった都市の営みの証として、様々な形で変化・発展しながら、いまも生き生きとその魅力を物語る建築のこと。
だそうです。
ガイドブックを見ると、要申込・先着順、要申込、当日先着と条件がある場合もあるようです。
ガイドツアーはだいたい申込が必要です。
メインは船場。。。
なのはさておいて、北区で、当日思い立っていけるところをご紹介します。
大阪市中央公会堂や、中之島フェスティバルタワーのスカイテラス、日本基督教団天満教会で特別公開があります。

大阪市中央公会堂
10月30日(金)18:30~20:30(最終入場20:00)

中之島フェスティバルタワー
13階スカイテラス
10月31日(土)、11月1日(日)10:00~15:00

日本基督教団天満教会
10月31日(土)、11月1日(日)9:00~17:00
11月1日には、ハンドベルコンサートもあります。
11月1日(日)14:00~14:30、15:00~15:30

歩きつかれたら、休日特別営業をしているマヅラへ!
10月31日(土)9:00~18:00
11月1日(日)は特別営業!12:00~17:30
店内で写真展「懐かしのマヅラ」も。

マヅラと同じ大阪駅前第一ビルにあるモザイクガラスが素敵なKing of Kingsも10月31日10:00から12:00開店前の2時間だけ内覧できるそうです。

ちなみに中之島にあるダイビル本館では、このイベントにあわせて、ロビー展示が行われています。ダイビル本館をはじめ、北浜レトロや大阪証券取引所、芝川ビル、大阪ガスビルなど、建設当初に近いずいぶんむかしの写真と、おんなじアングルで撮った今の写真が並べて展示されています。かわらないようで変わっている建物やまちの姿をみることができます。これだけでもじゅうぶんに見応えがあります。

外からみるだけでも素敵なものは、なかも見てみたくなるの。
個別にはあっても、いくつもを1日で観れる機会はそうないもの。年に一度の素敵な機会です。


「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪2015」
メインイベントは10月31日(土)・11月1日(日)
プレイベントは10月28日(水)~30日(金)ほか

アフターイベントは11月2日(月)~11月6日(金)ほか
詳しくはこちら
↓↓↓

2015年10月12日月曜日

ビーチバレー大会が誘致できそうな神山町

朝晩がめっきり涼しくなりました。私はクルマ通勤なのですが、先週は朝通勤のエアコンが暖房に切り替わっていましたよ

さて今日は、北区内を走っていて気になる事をひとつ題材に挙げたいと思います。

ラッシュ時の天神橋筋(北区役所周辺)の混雑ぶりは、皆さんご存知の通りですが、混雑する理由を自分なりに想定したところ、扇町通りからの流入と南森町からの北上車と、繁華街ゆえの利用客のクルマ流入やタクシーの流入と客待ち停車、天神橋筋6丁目交差点の五差路による信号のタイミングと交差する都島通りの交通量の多さと…。ざっと挙げただけでも交通集中しやすい条件が整っていると考えられます。
しかも、扇町交差点から天神橋6交差点までは、クルマが曲がれる道が基本的にないんですよね。

特に梅田方面から、長柄橋を通って東西の淀川区に向かうクルマは、通過地点に過ぎないのですが、わざわざ交通集中する道を通らないといけないのが辛いところ。

ということで、新規道路を整備しているのですが、そのひとつが本庄西天満線(神山地区)です。
神山?と聞いてピンときた方、ズバリあの道路です。
ちなみに「本庄・西天満線」ですよ。
わたしは最初「本庄西・天満線」だと勘違いしていました…。
難波橋を北上して、すぐ左に曲がると、西天満を通って扇町通りに出られるのですが、ここから先の整備が遅延しています。
神山町交差点から北を望む

現地に行ってみると、数年前から工事が止まっている感じでした。見た感じ「がらんどう」。
クルマもほとんど通らないから、先日グランフロント大阪で開催していたビーチバレー大会が誘致できそうです。
違法駐停車を避けるため、ガードレールを仮設しています

大阪市のウェブサイトを見ると、最近の地価下落のため、地権者と折り合いがつかなかったことと、長期化した事業になってしまったため、計画を遂行する財政も悪化して、用地取得する予算や工事する予算の確保が難しく、進捗が遅れたとなっています。
現在の進捗では平成30年度の完成、翌31年度から供用開始(要は開通)になっていて、用地取得のメドがたったことと、予算確保もできるためとしています。

都島通のこのあたりに交差点を新設して
開通するんでしょうね
環状線の高架も掛け直しになるんでしょうか?
20年は軽く事業完了の予定が延びてしまっていたのだが、工事を進められる箇所は進めてきたため、車が通ることのない道になっています。
現在の終点はUターンするようになっています。
自転車や歩行者はこのまま都島通まで抜けられます

ただ、都島通りと接続したあとの事業計画が見当たらないので、開通しても北上するには少々不便な道路かな、と思ってしまうのは私だけでしょうか?
この道路の開通により、長柄阿倍野線(いわゆる天神橋筋)と国道423号線(いわゆる新御堂筋)の交通量分散による渋滞緩和ができるそうで、両者とも慢性的な渋滞を起こしているので、完成が待たれるところ。

平成30年、開通を楽しみにするとして、開通の際はブログで報告させてもらいますね。
あと3年後をお楽しみに!

2015年10月8日木曜日

【歴史が変わる瞬間】鉄道発祥はもしかすると……

歴史というものは、探っていくと新しい発見があったり、さらに謎が深まったり、ミステリアスな学問だなーって時々思うのです。
古代エジプト文明の謎を解く。そこまで壮大なものには関わったことがないけど、地域の歴史とか、食文化とか、自分の興味ある分野の歴史はみなさん調べたことあるんじゃないかな?
いろんな書物を見ていると、どんな分野においても歴史というものが存在していて、その道に通じていた人間の生きた証が見てとれます。こういったノンフィクションは、どんな小説よりも面白いし、こういうものを扱ったドラマとか、本やドキュメンタリーはすごく大好きですね。

実はこのブログエントリも、そんな不思議な歴史を取り上げるのですが、イマイチ確証がつかめていないものなので、(つまり、ウラが取れていません) もしかすると間違いがあるかもしれませんのでご了承下さい。

汽笛一声新橋を…

日本の鉄道では、明治5年に、新橋-横浜間に初めて鉄道が通ったというのはそこそこ有名な話で、知っている人も多いです。
大阪では、遅れること2年、明治7年に大阪-神戸間に鉄道が開業しました。現在の東海道本線ですね。
……と、大体の歴史書物にはそう書かれています。が、本当にそうなんでしょうか。

鉄道発祥はもしかすると……

造幣局。明治初期に天満の地で操業して、今日まで日本の貨幣鋳造を行ってきた施設ですね。江戸時代にあった銀座や銅座などの貨幣鋳造を廃止して、かわりに、新たに造幣局が製造するようになりました。
なんと、この造幣局に資材を運ぶために、明治4年頃にトロッコが荷物の運搬をしていたという事実があるそうなのです。
当時の造幣局は、資材や材料などをどうやって運び込むかということで頭を痛めていたらいです。素人考えでは、大川沿いにあるのだから船で運べば済むのではないかと思うんですが、何か理由があったのでしょう、そうはしなかった。
おそらく、市内には橋が架かっており、大型船は通過出来ないので、小型船に積み替える必要がある。その積み替え作業を嫌ったのではないかと考えるのですが、どうでしょうか。トロッコは、大阪湾から上ってきて、橋がまだ架かっていなかった川口の対岸、今の中央市場あたりから、曽根崎・老松あたりを通って、造幣局までレールを引き、人力(もしくは牛馬など)で資材を運び込んでいたようなのです。

明治4年、日本に初めて鉄道が通る前に、二本のレールを敷いたトロッコが利用されていた。トロッコも、カテゴリ的には立派な鉄道であるので、これが本当なら鉄道の歴史を変えるくらいの一大スクープですよ。奥さん。
この、歴史的大発見を公表したいのに、それが出来ないのは何故か。その理由は「資料が出てこないから」。

そうでしょそうでしょ。明治初期のお話しです。まだ造幣局も産声を上げたばかりの施設です。記録などしていなかったのかもしれません。
当時の住民も、「何やけったいな鉄の棒が地面に埋まってるで」みたいな感覚だったのでしょう。そもそも「レール」というものを見たことがないですし、その上に車を走らすという概念すらありませんからね。
このトロッコ、数年使われていたようですが、結局人力ではたいした輸送力がなく、早々お役御免になったようで、このあたりも資料が出てこない一因になっているのではと思います。その後は何事もなかったかのように、造幣局まで船が横付けされて荷物を運んだということですから、何故トロッコを敷設したのか、ここらへんも疑問が残るところです。

ただ、何故私がこの話を知っているかというと、どこぞの本に載っていたんです。それが趣味系の雑誌なのか、地域を扱うの本なのか、よくわかりません。調べている最中なのですが、そんな時間が最近取れなくなっています。
本に載っている(載っていた)というのだから、一部の人は知っているはずですし、そこにも少ないですが資料が掲載されていたはずですので、どこかを探せば絶対に当たるはずなんだけどなー。
是非、この事実をご存じの方、もしくは資料をお持ちの方、こんな所にデータが存在するよとヒントがある方、参考にさせていただきたいので、よろしければご連絡を下さいませ。

今夜あなたが目撃者ヽ(´∀`)9 ビシ!!

このように、新たな資料の発見によって歴史は変わることがあります。
今、学校の歴史の授業では、私たちが習ったことと違うことを教えられている場合もありますからね。
鎌倉幕府の成立は、1192年ではなく1185年です。聖徳太子は、今は厩戸皇子(うまやどのみこと)で、もしかしたら聖徳太子はいなかったかもとか言われていますし。
そう、歴史は変わるんです。
鉄道発祥も、東京ではなく大阪が最初になる可能性もあります。
一緒に歴史を変えましょう Ψ(`∀´)Ψケケケ

2015年10月5日月曜日

大阪のまちをカンヴァスにしたアート展示・おおさかカンヴァス2015”たたかう芸術祭”



朝夕は冷え込むようになってきましたね〜
風邪などひかれてないですか?
こんばんは、よりともです。

今回は、芸術の秋にピッタリのイベントのご案内!

おおさかカンヴァス2015 たたかう芸術祭

おおさかカンヴァスの名前の通り、
大阪のまちをカンヴァスに、アーティストさんの作品展示やアートインスタレーションが楽しめるもの。
公共空間×アートで、まちの新たな魅力を発見、発信していこうとされています。

今年は道頓堀川に巨大な寿司を浮かべ、川を回転寿しにするような奇抜なものも登場してます。

北区は中之島公園でも、巨大な立体作品や、
河川の漂流物を含めて砂像など
いろんな作品やワークショップが楽しめるので、
今週末で終わってしまうプログラムが多いので、要チェック!
秋の3連休、お友達やご家族とお出かけしてみてはいかがでしょうか?

詳細はこちら

2015年10月1日木曜日

早起きは三文の徳だ~ぁ、生駒山のご来光!


 


ご来光とは、山頂近くの雲にうつされた自分の影が、光の輪を背負った仏像のように見える現象で、阿弥陀如来が光を背負って御来迎する様、「御来迎」になぞらえていいます。富士信仰が有名で、富士山頂に登って見た方も多くいますよね。

 今回は、山頂に登らずして見れるご来光のお話です。

大阪市内から見ると東に生駒山脈があります。ということは、生駒山から朝日が昇るというのは誰でもわかるところです。そう、大阪から東を見ればご来光が拝めるのです。
しかし、ある場所では一週間だけ、生駒山からのご来光が見えるのです。

大阪中之島ビジネス街、淀屋橋から見た生駒山からのご来光

 

このご来光を仲間とゆっくりコーヒーを飲みながら見れたらいいなぁとひとりの人が考えたことから始まった「ご来光カフェ」というイベントが、今年も本日(10月1日)から開催されます。

当初はそんなに人はいませんでしたが、今ではこの時期の風物詩になって、多くの人が楽しみにしています。

ご来光ですからね。5:50~6:20頃には太陽が昇ってしまうのです。
徒歩圏内のご近所さんや自転車組はともかく、遠方の方は一番電車で間に合うところはどこまででしょう・・・とか話していたら それを検証している方がいました。
下のサイトを見てください。 結構、遠くからでも来れるんですね。

http://matome.naver.jp/odai/2144135101720757401

 

みなさんも宜しければ行って見てください。晴れていればこの光景が生で見れます。
感動的です。
富士山のご来光は山の上まで登らなければなりません。行けない方も居られると思います。
どなたでも橋の上から見ることができるご来光!
10月1日~8日まで、ただし雨天はお休みです。(雨天休止はHPにて公開されます)

  http://sun.ap.teacup.com/goraiko/
さあ、今日から始まる年一度のイベント「ご来光カフェ」
今年は10周年なのでいろいろな計画があるようです。詳しくはHPをご覧ください。

ご来光カフェは、水上バス淀屋橋港で営業されます。
早起きは三文の徳ともいいます。チャレンジして清々しい朝を迎えましょう?