2015年9月7日月曜日

かつて茶屋町にあった超高層レジャービル「凌雲閣」

ども、編集長のルイスです。

江戸川乱歩の短編に『押絵と旅する男』というのがありまして、明治から大正の、当時もっとも勢いのあった歓楽街である浅草の街並や風俗が生き生きと描写されていて、映画的で、大変におもしろいのです。

街のランドマークになっていたのは、「凌雲閣」。
高さ約52メートル、12階建てのタワー型の建物で、当時としては、群を抜いて高かったらしいです。
写真で見ると、モダンな顔をしてる建築物だけれども、どことなく悪趣味で、ちょっと見せ物チックな装いをしています。まあ、ひとことで言うと、キッチュ、ということになりますな。



『押絵と旅する男』は、ふとしたことで知り合った男が、風呂敷からおもむろに取り出した挿絵細工にしつらえられた老人と振り袖を着た美少女の身の上話をはじめるという、不思議なお話です。そもそも、押絵を大切に抱えて旅をしている男が不気味だし、押絵に身の上話があることも不気味なら、その身の上話自体も不気味で、じつにじつに、乱歩ワールド全開の幻想的な小説なのです。

ちなみにこの話は日本ペンクラブの電子文藝館に全文がアップされていて、誰でもいつでも読めます。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/novel/edogawaranpo.html

で、そうした幻想をつくり出すためのアイテムとして、浅草の「凌雲閣」がチラッと登場します。
低い瓦屋根が連なる周囲の風景のなかに、突如として、それこそ雲を凌ごうかといわんばかりの塔が、ニョキッと立ち上がっていて、強烈な違和感を放っているのですね。その違和感ゆえに、モダン建築であるのにもかかわらず、どこかグロテスクでもあります。ほとんど、バベルの塔ですね。

世界各国の物販店があり、演芸場があり、娯楽の殿堂だったようです。もちろん最上階はもちろん展望台で、もちろん、富士山も見えたんでしょう。

「凌雲閣」は、1890年(明治23年)の開業当時こそ賑わったものの、10年もすれば客足が鈍るようになり、テコ入れで、1914年(大正3年)に、日本初のエレベータを設置。じつは、これがアダになります。
もともとがエレベータの設置を前提として建てられたわけではなかったので、エレベータの設置は構造強度のうえでとても危険だったらしく、1923年(大正12年)の関東大震災で、建物の上部が崩壊、経営難から復旧も困難で、爆破解体されてしまいました。隣接していた浅草寺の五重塔は関東大震災でも倒壊を免れていたので、エレベータの設置がどんだけムチャなことだったかということがわかります。
33年の寿命ですから、まあ、モニュメントやランドマークとしては、蜃気楼並に儚かったんだと思います。江戸川乱歩の小説とあわさって、余計に、幻想的な存在になってしまってます。

戦後から長らく、森下仁丹が凌雲閣を模してつくった広告塔の仁丹塔があったので、そのせいで、凌雲閣を知ってる人も多いんじゃないかと思います。


さて、そんなわけで、「凌雲閣」といえば浅草なのだけれども、じつは大阪にも「凌雲閣」があります。
茶屋町に今、ユニクロのでっかい店舗が入ったビルがあるけれども、その南側に、旧梅田東小学校の跡地があります。その入口のところに、石碑がありますよ。


とあり、大阪にも浅草同様に「凌雲閣」があったことがわかります。

高さ約39メートル(49メートル説もあり)で、1、2階が5面形、3~8階が8面形、最上階の9階が丸屋根の展望台で、螺旋状に通路が走り…、なんとも凝った意匠の建物です。高さこそ浅草の「凌雲閣」の52メートルに負けてるけれども、こちらは塔というよりも円錐形のかたちをした巨大建築物。なーんと、敷地面積約3940坪!

調べてみると、1889年(明治22年)に建てられたということで、なんと、浅草の「凌雲閣」よりも1年早いじゃないですか!

ここらはかつて茶店が軒を連ねていたところなので、だからこそ町名も茶屋町なのだけれども、その中心に位置する「凌雲閣」は、温泉あり大広間あり池にボートが浮かぶ、ド派手なレジャーランド的な性格の建物だったようです。まさに、こっちのほうこそ、バベルの塔っぽいです(笑)

『大阪繁昌誌』に、写真が載ってました。



この時代、汽車が走る姿や菜の花畑を眺めて遊ぶのが流行り、それこそ茶店が競って展望台をつくったわけです。それでもせいぜいが2階建て3階建てです。それが、いきなり度肝を抜く9階建て!

どうやら、茶屋町に「凌雲閣」ができる前年に、ミナミで「眺望閣」なるやはり高層建築物が建ち、これに対抗して、キタでも高層建築を、という流れになったらしいです。
「眺望閣」が5階建てだったので、「ミナミの5階、キタの9階」と呼ばれていた、と。なんか、今も、キタとミナミにそれぞれ競うようにして観覧車がありますが、それと似てます(笑)

いろいろ調べてみたんですが、この茶屋町の「凌雲閣」は、あんまり資料が残っていないようで、いつまで建っていたのかよくわからんのですよ。蜃気楼か?(笑)

約39メートル、敷地面積約3940坪のバベルの塔も、今は、高さ1メートル程度の碑になっちまいました。
兵どもが夢の跡、ってかんじです。諸行無常ですな。
ほれっ、今じゃこんなんです。



それにしても、東京の浅草に「凌雲閣」を模して仁丹塔をつくった森下仁丹は大阪の会社なのに、なぜ、東京にだけ仁丹塔をつくって、大阪にはつくらなかったんでしょうかね? 森下仁丹が大阪にも仁丹塔をつくっていれば、大阪の「凌雲閣」も、もちょっと人々の記憶にも記録にも残っていたと思うんですが、どうでしょうか?