2015年5月28日木曜日

天神橋筋商店街、歩いていたらこんなの発見!


もう5月が終わりますが、暑くなりましたね~
天神橋筋商店街を歩いているとこんなのを見つけました。


愛染さんから始まって住吉さんで終わる大阪の夏祭り
北区と言えば、日本三大祭の天神祭!

天神祭と言えば、船渡御!
7月25日、大川ではたくさんの船が行き交います。

さて、その船渡御の船には4種類あることをご存知ですか?

1.奉安船(ほうあんせん)


神様をお乗せした船のこと。
白い切れでクロスした結界があるので、見ただけでわかります。
奉安船の中でも御鳳輦奉安船には、道真公のご神霊が奉戴されています。
橋の上にいる方々は、決して見下ろしたりしないようにお気を付けください。
なお、御鳳輦奉安船が行くときには低頭してお見送りしましょう。

2.列外船(れつがいせん)


渡御の順番に関係なく縦横無尽に動く船のこと、どんどこ船です。
大川だけでなく、東横堀川、道頓堀川、木津川、堂島川などを行き交い、神様が来るのを氏地に知らせて回ります。

このふたつの船には、一般の人が乗船することはできません。
では、一般の人が乗船できる船ですが、以下の船になります。

3.供奉船(ぐぶせん)


奉安船について行くお供の船、天神祭を支える各講社連合、地域または各種団体の船団です。

ここまでの船は、天神橋から出航して、飛翔橋でUターンして天神橋で下船します。
 

4.奉拝船(ほうはいせん)


神様をお迎えする船で、企業・団体の有志が仕立てた船団です。
飛翔橋から出航して、天神橋でUターンして飛翔橋で下船します。


花火や祭の雰囲気を、ゆったりと涼しい船上で満喫できる船渡御は見ていて羨ましい限りです。

では、船渡御の船に乗るにはどうしたらいいのでしょう?
供奉船は、各講社連合、地域または各種団体の関係者、奉拝船は、企業・団体を通じて乗船可能。これらの関係者に知り合いが居れば乗船できるのです。

今年の本宮は、土曜日にあたりますので船渡御の予約も好調で満席の船もでているとか・・・
誰も知り合いいないけど乗船してみようかな?と思われる方は、下記のHPご覧ください。

http://tenjinsan.seesaa.net/article/396100846.html

商店街にはこんなポスターもありました。ネット検索もできるんですね。


有料の船ばかりではありません。
とっておきの情報をひとつ、
申し込みが必要なんですが、無料で乗れる船が「市民船」があります。
アクアライナーに乗船してみる船渡御です。
募集要項です。
往復ハガキの裏に「乗船希望」と明記し乗船者2名の住所、氏名、年齢、電話番号を記入(幼児は乗船出来ません)
返信ハガキに申し込み者の住所・氏名を記入
参加無料
募集締切 7月10日(金)必着
今年は土曜日にて多くの御希望が有ると思われます。
抽選ですが、チャレンジしてみてはいかがですか?

さて、次号のつひまぶはこの天神祭を特集しています。
天神祭を紹介している本はいろいろありますが、つひまぶでは視点を変えて書きました。
船渡御の船にも紹介した以外で、番外船があります。詳しくは次号で・・・

つひまぶ「天神祭号」、お楽しみに~♪

2015年5月25日月曜日

梅田の地下街を舞台にしたサバイバルSF小説「梅田地下オデッセイ」!


昨年の秋口に、有栖川有栖が編んだ「大阪ラビリンス」というアンソロジーが出ました。
ミステリ、SF、純文学など、ジャンルを超え、大阪を舞台とした傑作小説11編を、彼がセレクトした本です。

織田作之助や小松左京、田辺聖子、柴崎友香など、期待を裏切らないセレクトがなされている本だけど、そのなかに、堀晃の名前がありました。

この人、僕は、寡作な作家であるということだけ知っていて、作品を読んだこともなければ、大阪にゆかりがあることも知りませんでした。

その、堀晃の作品「梅田地下オデッセイ」が収録されています。
もう、タイトルだけでおもしろそうです。

この作品は、「SFマガジン」1978年5月号に掲載され、その後、1981年2月、短編集「梅田地下オデッセイ」に収録されたのだそうです。その後、絶版になり、長らく入手困難だったのだとか。

いやー、SF方面は暗いので、これは知りませんでした。
が、読み進めると、奇天烈なプロットをもとに、破天荒な物語が繰り広げられるのですよ。

あまり詳しくなるとネタバレになるので、少しだけ触れます。

舞台は、この時代、つまり、1978年当時の梅田の地下街です。
あの、地元民ですら迷ってしまう、世界一の地下ダンジョンが舞台なのです。

梅田地下街は、地下鉄梅田駅を中心に、国鉄大阪駅との連絡通路、阪神・阪急の両百貨店の出入口、曽根崎警察署までの地下道と拡がりはじめた。梅田地下センターに商店街と食堂街が出現し、北は梅田コマ劇場、東は富国生命ビル、南は八番街まで拡大された。地下鉄四ツ橋線が開通して西梅田駅が出来ると同時に、地下街は急速に西南に進み、堂島地下センターが南へ一直線にのびた。高度成長期に入り、地下街は更に巨大化した。阪急梅田ターミナルが国鉄ガードの北側に移転するのに伴って、ターミナルの地下には川のある地下都市・阪急三番街が一挙に出現し、地下鉄梅田駅と連絡されたが、後年、東側にプチ・シャンゼリゼが作られて、梅田地下センターともつながった。梅田地下センターは東へも伸び、東端地下には噴水のある<泉の広場>が作られた。地下鉄谷町線が乗り入れられて東梅田駅が出現し、地下街は南へ伸びた。大阪駅前の再開発が始まり、桜橋から梅田新道の方向へ、巨大な三つの近代ビルの建造が開始された。大阪駅前第一ビル、第二ビル、第三ビル だ。…。

半分ほど書き写してみましたが、クラクラしてきました(笑)
梅田を根城にしている僕のような人間にはわかるだろうけれども、梅田の地下を知らない人がこれを読んだら、どんなもんがイメージできるんだろうか?
とても、偏執狂的です。でも、作者の堀さんが偏執狂的なのか、こんな地下街を増殖させ続けている大阪の人間が偏執狂的なのか。。。
これで半分で、しかも、これは1978年当時のものなので、まだディアモールもイーマも堂島アバンザもヒルトンプラザもナビオ地下も、もちろんグランフロントもないわけです。

ちなみに当時の地下街のmapを堀晃氏が自身のHPに載せています。
(画像引用元:http://www.jali.or.jp/hr/ume/ume_map-j.html


というような舞台装置が用意されてですね、ある日、この地下街が一斉に閉鎖され、その場に閉じ込められた主人公を含む人々が、生存のための闘いをはじめるわけです。閉鎖は数ヶ月に及んだため、奪い合いの闘争から自主的な自治まで、さまざまなことが起こります。

もうね、なんちゅーかリアル陣取りゲームですよ。

暴動は食料の欠乏から始まった。正確には飢餓への危機感が引き金になったと言える。地下街に残された食料が尽きる以前に事件は起こりつつあった。
阪神デパートの地下には、堂島地下センター、駅前ビル方面から移動してきた者が集まり、阪急デパート地下には、三番街から南下してきた者が居ついた。食品売場の大きいこの二箇所に比べると、富国生命ビルの名店街に残された食品は豊富とはいえなかった。この売場に集まってグループは、デパート地下売場を管理するグループに、食品の公平な配分を要求したのだが、すでに長期の地下幽閉は誰もが予想しはじめていたため、エゴイズムが優先した。外部からの要求が集団としての結束を固めることになった。

またまた引用で申し訳ないが、全編、こんなかんじです。
どこかの遠い異国で起こった出来事ではなく、多くの大阪人が毎日のように歩いている、あの地下街が具体的な地名として登場し、しかもその筆致は詳細精緻を極め、とてつもなく偏執狂的なのです。

手に汗握り、ゲラゲラ笑いながら、一気に読み終えました。
今日も梅田の地下街を歩くあなたも、ぜひ☆
めっちゃおもろいです。

ほんまにねー、こんなにすごい作家、すごい作品が、大阪にゆかりのあるところにいるのだと、まったく知りませんでした。



2015年5月21日木曜日

過去にはこんな巡礼も!ー天神巡りとは?

つひまぶ最新号「GOGO巡礼」では、今、人気の巡礼をご紹介しました。
今回のブログでは今は誰もやっていない、過去にあった巡礼路をご紹介します。
今は廃れてしまったけど、ぜひ復活してほしい!願いも込めて。

「郷土研究 上方」に、上方郷土研究会主催の行事があることは、以前にご紹介させていただきました。そのひとつに「新撰 天神廿五社巡り」というのがあります。これは、江戸時代にあった「天神巡り」を復活させたものでした。
元祖「天神巡り」について、「上方」第十五号の解説を引用します。

(前略)かくて此廻國行者が一國一社又は一寺を限って大乗妙典一部宛を納経しつつ、巡拝行脚する風習は徳川時代の初期に及んで、天満宮の本地を十一面観世音なりとする、観音信仰と融合されて、彼三十三所札所に擬して「天神巡り」なる巡拝風習が生じ、天神の縁日が廿五日なるより、是を廿五社と限り、ここに「天神廿五拝」なるものの設定を見たるは天和の頃なりとす。我大阪に於ては「國花萬葉記」ー難波九綱目ーにこの巡路を示すを初見とする。
かかる過程なるが故に神道に関する、「神明社」「廿二社」「猿田彦命」「稲荷神」等の巡拝風習の発生以前に、すでに「天神廿五社巡拝」は確立し、毎廿五日には敬虔なる浪花の大衆が実行して居たのであった。

明治38年から43年にかけて行われた神社合祀の影響で、当時のままの形で復活させることはできなかったため、上方郷土研究会では、自動車でまわれる路を設定したとあります。それが「新撰天神廿五社巡り」というわけです。

スタートは、もちろん大阪天満宮です。一番から順に見てみます。
住所は昭和七年当時のものです。

第一番  天宮  ー北区大工町ー
言わずと知れた、大阪天満宮。
第二番  寳珠院  ー北区東寺町ー
号を天満寺と称し、天満宮の別当です。
第三番  綱敷天神社 ー北区神山町ー
第四番  露天神社 ー北区曽根崎上二丁目ー
第五番  天満宮上之社 ー此花区上福島南二丁目ー
現在の福島天満宮です。
第六番  天満宮中之社 ー此花区上福島南三丁目ー
第二次世界大戦の空襲で焼失し、福島天満宮に合祀されています。
第七番  天神社 ー此花区下福島二丁目ー
「福島三天神の下の天神」。現住所では、福島区玉川一丁目です。
第八番  茨住吉神社 ー港区九条北通一丁目ー
第九番  天満宮行宮 ー西区花園町ー
千代崎行宮です。天神祭船渡御の神幸場です。
第拾番  天満宮 ー港区三先町一丁目ー
現在の「三先天満宮」です。
第拾一番  八阪神社 ー港区三軒家濱通三丁目ー
境内に天神社があり、「汐止の天神」ともいわれていたそうです。
第拾二番  八阪神社 ー浪速区元町四丁目ー
現在の難波八阪神社です。
第拾三番  敷津松之宮神社 ー浪速区敷津二丁目ー
「木津の大国さん」です。
第拾四番  安井神社 ー天王寺区逢坂上之町ー
第拾五番  五條宮 ー天王寺区真法院町ー
第拾六番  生國魂神社 ー天王寺区生玉町ー
第拾七番  高津宮 ー南区高津町一番丁ー
第拾八番  潮待山天然寺 ー東区上本町四丁目ー
第拾九番  稲荷神社 ー東区牛入町ー
第ニ拾番  天神宮 ー東成区猪飼野町ー
現在の「御幸森天神宮」です。
第廿一番  田島神社 ー東成区生野田嶋町ー
第廿二番  天神社 ー住吉区桑津町ー
現在の「桑津天神社」です。
第廿三番  天満宮 ー住吉区天下茶屋三丁目ー
現在の「天神ノ森天満宮」です。
第廿四番  生根神社 ー西成区玉出本通四丁目ー
第廿五番  生根神社 ー住吉区住吉町ー
別名「奥の天神」です。

いかがでしょう?
江戸時代に盛んに行われ、昭和初期に復活。そしていま、また復活させたい巡礼路です。
昭和七年二月廿五日、上方郷土研究会でまわった際には、降雪もあって9時間かかったそうです!!




ぜひ、まわってみてください!

個人的には、つひまぶ主催でやってみたい!?

2015年5月18日月曜日

整備工場じゃなく、自動車ディーラーは少ない?!北区

昨日、大阪市の住民投票が開票され、反対が賛成を上回りました。
66.83%という投票率、みなさんはどのように考えましたか?

さて、2014年11月号つひまぶ「行け!大淀号」にて、大淀の「自動車整備工場が多いわけ」という記事の中で、梅田停車場(大阪駅)が開業して行き来した自動車が多かったため整備工場も多くなったとしています。

確かに自動車整備工場も多いですが、倉庫業や運送業の拠点も多いことなどを考えると、ターミナル駅を経由した物流拠点という位置づけで、その関連した企業が発展したのですね。
ただ、自動車は自動車でも、個人向けの乗用車となるとちょっと話が変わってきます。
実は北区、乗用車ディーラーの数が極端に少ないのです。
ということで、ちょっと調査してみました。

トヨタは、樋之口町にトヨペット店・カローラ店の「北店」があるのですが、この2店、同じ資本グループの会社なので、都市部でよく見かける「同一敷地内併設店舗」です。
トヨタは5チャネル制度+レクサス店で販売網を構築しているのですが、北区で営業しているのはこの2店だけということになります。
以前、梅田OSビル内に入居していたメーカーのショールーム「アムラックス大阪」がなくなってしまったのが今でも惜しまれます。
都島通と天満橋筋の交差する樋之口町にあります。

日産は、大淀中5丁目に「大淀店」があります。大淀小学校の西側にありました。
幹線道路などには面していないうえ住宅地内に立地しているので、通りががりでみつけることがなかなか難しいかなーと思いました。
日産は、ほぼ1チャネル制度で販売網を構築しているので、北区のこの店舗ですべての日産車が購入できますが、OAPあたりから出かけるとちょっと遠いなぁと思いました。
北区のいちばん西側、歩いてすぐ海老江という立地です。

ホンダは、北区内にディーラーはありませんでした。
「梅田西」と称した販売店はありましたが、所在地は福島区でした。
しかし、みなさんお気づきと思いますが、扇町公園の南西にホンダのビルがあるのです。
名前もそのまま「ホンダ大阪ビル」。
ここ、もとは1階にショールームがあったのですが、すでに撤退しており、ショールームの特徴であるガラス貼りのショールームは、すりガラスになってしまっています。
販売はおこなっていないのですが、ここにはメーカー出資のディーラーの本社として機能しています。
このビルからは、扇町公園が一望できるんでしょうね。

マツダも北区内にディーラーはありませんでした。
ただし、新梅田シティのタワーイースト1階に「マツダロータリー新梅田」というショールームがあったのです。実際に販売はしていないのですが、特に福祉車両の展示に力を入れており、数少ないマツダのショールームとして機能しています。
土日休業のため、中には入れませんでした。
ちなみに、メーカーの大阪支店は新梅田シティ内に入居しています。
休業日でも一等地という地を利用して
展示車をちょっと見せていますw


スバルも北区内にありませんでしたが、最近まで南扇町に「北店」がありました。
阪神高速を走っていると、扇町カーブあたりにメーカーの看板が見える場所に立地しているのですが、現在は東淀川区の店舗と統合されて販売部門は撤退しています。
ここは販売、修理の場所としてはかなり手狭なので、閉鎖されたのでしょうね。
現在販売はおこなっていないのですが、メーカー出資のディーラーの一部分が残るとともに、メーカーの法人営業部が入居しています。
堀川戎神社のすぐ北、阪神高速の扇町出口あたりにあります
店舗閉鎖後もメーカー及びメーカー系企業と
ディーラーのオフィスとして使用されていました。

スズキ、ダイハツも北区内にありませんでした。
メーカーに確認したところ、両社ともディーラーがなく、販売協力店を紹介しますとのことです。しかし大手の販売協力店(大きいモータース)もないため、北区内では小さいモータースしか紹介できないですとのことでした。北区には、もともと本社があった場所の新梅田シティ内にダイハツディーゼル本社がありますが、出資比率からしてダイハツ工業とは関連企業という位置づけです。

結論として、販売協力店で購入するか少し離れた区のディーラーに出向くのが北区での車の買い方ですかね。
北区には、このようなメーカーの販売協力店が多数ありますね。


ちなみにディーラーといえば、以前は「○○営業所」という表記が一般的でしたが、最近は「○○店」と変わってきていることをご存じでしょうか?
昔は販売員を「営業マン」とか「セールスマン」と呼び、朝駆け夜討ちといった訪問販売で売り上げを伸ばしていました。その「営業マン・セールスマン」の前線基地としての位置づけでしたが、昨今のディーラーは、明るくクリーンな店構えでイベントの開催やキッズスペース完備など、お客さんに来てもらう「お店」として位置付けていることから呼び方も変わってきているのです。

車を販売したり修理したりするには比較的広い敷地が必要なため、地価が高い北区での用地確保とそれ以上の収益を確保するのが難しいため、なかなか発展しないのかな~なんて思ってしまいましたが、皆さんはどう思いましたか?

2015年5月14日木曜日

香港で発行の「大阪旅行ガイド」をちょっとのぞき見

私の仕事はバスの運転士です。今年になって会社を移りましたが、以前の会社では空港バスを担当していました。
その時にあった忘れ物というか、ゴミというか、そんな中にこういうものがありました。

タイトルが「京阪神旅遊全攻略」。いわゆる旅行ガイドです。この本は、香港にある「正文社」という出版社が出しているもののようで、日本の旅行ガイドに定評のあるのでしょうか、それらをたくさん出されている出版社です。(日本にある正文社とは全く関係ないと思われます)
http://www.rightman.net/
ただ、こういうものって、担当者からすると結構処理に困るのですよね。何故かというと、こういう本は、本来落とし物として処理するべきなのでしょうが、関空向きの車内で発見したんです。おそらく、この所有者であろう人は、これから飛行機に乗って中国に帰る人のものだというのは容易に想像出来ます。つまり、落とし物として処理しても引き取りに来る可能性が非常に低いんです。
こういうものは申し訳ないんですが、処分することにしています。(万が一持ち主が来ても、お金で解決出来ることが条件。未開封のペットボトルの飲み物とかも同様。あ、市内向きの場合はもちろん保管しますよ。)
で、まあ捨てるのもなんだし、私も興味があったのでボーッと読んでいたんです。みなさんも、中身はどんなものが書かれているか気になりませんか?

というわけで、ここでご紹介してみたいと思います。
中国の出版社が出した「京阪神旅行ガイド」の中で、北区はどう書かれているのか。


全512ページという、結構厚めの旅行ガイドの中で、86ページが大阪に割り当てられ、その中で22ページにわたって「梅田」というカテゴリで紹介されています。まあ、妥当ですかね?
最初の2ページで梅田界隈の地図が見開きで載っていて、西は新梅田シティ東は天神橋筋、北は茶屋町あたりから南は淀屋橋まで、おおよそ中心市街地は網羅しています。天神橋筋商店街は拡大で紹介されています。

まずは空中展望台で一躍有名になった新梅田シティ。ShopSky39や滝見小路、芭蕉庵などが紹介されています。
私、あまりお店を知らないのですが、芭蕉庵ってわらび餅で有名らしいんですか?石臼で挽いてきな粉を作ったりするみたいです。また、抹茶とかも出てくるみたい。このあたりは写真をふんだんに使われていて、なおかつ、日本人にも馴染み深い漢字(簡体字ですが)が出てくるので何となく理解が出来ます。
(-ω-;)ウーン、地元民が香港の旅行ガイドで地元のお店を知るという…… ちょっと考えさせられますね。(笑

誰か一緒にわらび餅食べに行きませんか~
次のページはグランフロント大阪が来ました。ショッピングモールはもちろん、うめきた広場やパナソニックセンター近大水産研究所などの文字が。世界のビール・ワイン博物館も1ページ使われています。

次の見開きで大阪ステーションシティが。大阪三越伊勢丹(閉店・改装しちゃいましたね)、ルクア、大丸、アーバンテラス茶屋町と紹介されて、何故かハンズカフェが同格に。東急ハンズじゃなくて何故ハンズカフェだけなのかがちょっと不思議かも。

次の見開きが、ヨドバシ梅田、ヨドバシファッションゾーン、阪急三番街、Nu Chayamachiが。ヨドバシ5階に集英社のジャンプ直営店があるのか~、、、、、、またしても知らなかった( ̄Д ̄;;
三番街ではユザワヤとかキディランドとかも紹介。妥当なところでしょうか。

次の見開きで、茶屋町居酒屋横丁、EST、阪神百貨店、新梅田食道街が紹介されており、なんと、同格でお好み焼きやの「きじ」が紹介されています。確かに有名なお店ですけど、香港ガイドでも紹介されるんですねー。あと、この本、日本語の校正がしっかりしていて、随所にひらがなや日本の漢字が出てくるのですが、ほぼ間違いがありません。「新梅田食『道』街」も、しっかり押さえられています。

次の見開きは全て阪急百貨店。新しくオープンしたし、2ページ使って紹介される力の入れようです。

次のページ左でHepFIVE、阪急メンズ館が紹介。右のページにハービスが紹介されています。HepFIVEは「摩天楼主題商場」、ハービスは「荷貝城(多元化購物商場)」と訳されています。ほう、、、そうなのか、、、、荷貝城……どういう意味だろう???
摩天楼は観覧車があるから?

次の見開きがE~ma、ディアモール大阪、ブリーゼブリーゼ、キヤノンデジタルハウス、家座香屋6年4組、グリル北斗星。梅田の南側ですね。家座香屋6年4組、、、学校に見立てた居酒屋っつー感じなんですかね?私行ったことないので知らなかったですわ(大汗

さて、最後の3ページで天神橋筋商店街が紹介されています。日本最長商店街で、天満宮の参道及び周辺地区で、江戸時代からあって、明治に商店が林立したとか、長さ2.6kmあるとか、天五・天六という風に省略するとか、天一から天六まではアーケードが付いているとか、くらしの今昔館が資料室としてあるとか、600軒の商店が建ち並んで、いろんな店があって、梅田から近くて人情味あふれるところって紹介されてますわ。簡体字だけど、何となく分かる。
ここでは大阪天満宮、中村屋(コロッケ)、まるしげ(お菓子屋)、天牛書店、千鳥屋(饅頭)、スーパー玉出、まるまん寿司、天五春駒なんかが紹介されています。有名どころのお店とチェーン店が一緒に紹介されているところが、日本の旅行ガイドとは違うところですね。外国の方から見れば、老舗もチェーン店も、ひとつのお店と捉えるのですかねー?

その最後のページに、天神橋筋商店街の見どころというコラム的な記事があるのですが、その中で変わった視点のものが。3丁目の、アーケードの上にある鳥居や、2丁目のお迎え人形などが紹介されているのはわかります。有名ですし、かなりの方が写真撮られていますからね。でもね、天五商店街のアーケードの案内に、↑国鉄環状線天満駅の「国鉄」って20数年前から訂正されてないんですよ~って紹介されていたのはたまげましたわ ( ̄▽ ̄;A)あはは♪

別に香港の人が、そんなところを見ても、何も楽しくないと思うんですけどね。どうでしょうか?「国鉄」の文字を写真に収めている人がいたら、「ああ、あの人は香港の旅行ガイド見てやって来た人なんだー」って温かく見守ってあげて下さい。いないと思うけど。

国鉄環状線ねw確かに書いてあるわ

(ーー;).。oO(この本の編集か校正している人の中に日本人がいるな。絶対に。)
日本語表記はかなり正解。というか、誤記がほとんどない

2015年5月11日月曜日

多国籍グルメを巡る〜第1弾!はじめてのスリランカ料理♪


多国籍グルメを巡る〜第1弾!
これからこのシリーズ、続けていきたい気持ちはある!笑
こんにちは。ヨリトモです〜。

先日、豊崎の友人宅に遊びに行ってきました。
お腹も減って来たのでこの辺りでご飯でも食べるか!
と、ふらりと通りに出て、
中崎の方まで行こうか?等と話していると、
目の前に飛び込んで来た、異国情緒漂う建物。


ストリートビューより。
もう、ヤシの木がえらいことになってます。

ヤシの木。。。それもかなりデカイ!
ネオンやサインも日本のそれとは違う。
気になったので、1階のお店に突入してみました。

そこはスリランカ料理のお店。
スリランカ出身のご主人がされています。
暖かかった事もあり、迷わずヤシの木そびえるテラス席へ☆
夜風が気持ちいい〜!

お料理は、もちろんスリランカ料理!
と、言っても分かりにくいですよね。。
インド料理の影響が大きく、
カレーやナンをメインに、魚介のピリ辛炒め等も楽しめます。

お料理もおいしいし、スリランカビールやトロピカルジュース片手に、
ヤシの木効果もあいまって、
もう、旅行気分満点な夜を楽しみました!


夜もよかったのですが、ランチもおすすめです!
バイキングスタイルで、カレーやタンドリーチキン等が食べ放題。
その、値段がハカク!
なんと、800円!!
お近くの方は、ランチからせめてみるのがお得ですね〜!

ぜひ、スリランカ料理を楽しんでみて下さい!

ラージャスターン(Rajasthan
大阪市北区中崎3-5-14
定休日:年中無休

2015年5月7日木曜日

待ち合わせは、JR東西線北新地駅「キタノザウルス」

この動物イラストに見覚えある人、多いはず!
ヤングジャンプの表紙絵を描いていた、イラストレーター佐藤邦雄さん。
まぁ~るい、愛くるしい目をした動物のイラスト
作者の名前を知らずとも絵を見たら「あ~、あの絵!」という人が多いと思います。
擬人化した動物イラスト、表情豊かな顔はどの子を見ても同じ表情がありません。
それぞれの動物の特徴はきちんと描かれ、毛並まで表現されていて、顔の表情が人間味あふれています。
目がないほど笑っている顔、はにかんだような顔、悲しそうな顔も怒った顔も、じっと見ているとなぜだかニヤッと笑ってしまいます。
佐藤邦雄さん独特のユーモアある表現がそうさせるんでしょうね。

その佐藤邦雄さんのショップとギャラリーが天満橋にあります。
ショップでは、かわいいぬいぐるみが出迎えてくれます。ショップの2Fにはギャラリーがあり、佐藤邦雄さんの作品やほかの作家の企画展が無料で見れます。クニオファン必見!
佐藤邦雄さんと言えば、つひまぶ創刊号駅探で紹介した「キタノザウルス」の生みの親、JR東西線北新地駅にある銅像です。
大阪駅も生まれ変わり、待ち合わせ場所として使われていた中央コンコースの小便小僧や時計が無くなりました。
そんなときキタノザウルスちゃんは、新しい名所、待ち合わせ場所として作られました。それはとてもロマンチックなお話、かわいい娘怪獣が米俵のリュックを背負って恋人との待ち合わせ場所にやってきたのですが、なかなか恋人が現れません。待ちくたびれた彼女はいつの間にか眠ってしまいました。誰かが彼女の足の裏をくすぐると「こちょばい・・・」と言って、目が覚めました。そしてキタノザウルスちゃんは、今日も北新地駅で彼を待っているのです。
さて、くすぐられた彼女の足の裏の秘密とは、右足裏には「ハートマーク」、左足裏には「Touch me for goodluck」と描かれています。

優しさあふれる佐藤邦雄さんの物語、待っている間に首がなが~くなってしまったキタノザウルスちゃんに会いに行って足の裏を見てね。
そして待ち合わせは、JR東西線北新地駅「キタノザウルス」で・・・
彼女は、今日も「待ってくれる人を待っています」

2015年5月4日月曜日

かつて曽根崎新地を島にしていた曽根崎川(蜆川)と河村瑞賢

ども、つひまぶ編集長のルイスです。
北区の防災計画をまとめる仕事にかかわったこともあって、キタの震災関連に詳しくなってしましました。
東日本大震災以降、防災や減災のヒントは過去の災害を見れば眠っているとわかってきたので、その手の歴史は独自に調べていたんだけれども、それらを自分のなかで整理できた感もあります。いい機会でした。

で、少しまえには、約100年前に起こった「キタの大火」についてエントリしました。
「4年目の3.11を迎えて、「キタの大火」を振り返る」

今回は火事ではなく、治水。

曽根崎川、別名、蜆川についてです。
堂島川の分流で、現在の北新地を流れてました。
今はもうなくなっていて、JR東西線の北新地駅を出たところすぐに、跡碑があります。




俗に、蜆川と呼ばれているけれども、シジミが採れたとか、毛馬閘門が造られたせいで水が淀んでジメジメした川になったことからジメジメが訛って、とか、改修が繰り返されて川幅が縮んだことからチヂミ川が訛って、とか、諸説ありまして、今となってはなにがほんまやらわかりません。

地図を見るとよくわかるけれども、中之島の北側を流れる堂島川に中洲があって、その中洲に、曽根崎新地やら堂島新地やらがあったことになります。で、その中洲のさらに北側を曽根崎川が流れていたので、新地は、陸とは完全に切り離されていたんですね。

見ると、現在の大江橋から水晶橋間で分流して、現在の北新地の新地本通と堂島上通を両岸に西流、ほたるまちや関西電力病院の北を通り、堂島大橋・船津橋間で再び堂島川と合流していたみたいです。






この地形をつくったのは、17世紀、河村瑞軒によります。
17世紀に河村瑞賢が河川改修し、堂島川の左岸に堂島新地、右岸に曽根崎新地が拓かれ、米会所や歓楽街として発展します。歓楽街を陸地と切り離すのは、今、橋下市長あたりが提唱しているカジノ特区構想なんかとおなじ発想なんでしょうな。あれも、舞洲が候補地のひとつなんでしょ。
税収を増やすためにもゼニがたくさん落ちる場所はほしい、でもピンク産業やバクチはきっちりと行政でコントロールしたいんで、囲われた場所を用意します、と。そういうことやと思います。

橋もたくさん架かっていたようです。
難波小橋、堂島小橋、蜆橋、曽根崎橋、桜橋、緑橋、梅田橋、浄正橋、汐津橋。
今は曽根崎川自体がなくなってるんで、当然、橋はないけれども、探してみれば、それぞれの場所に跡碑があるかもしれませんね。また機会があれば、跡碑巡りでもしてみたいもんですな。

さて17世紀、江戸時代初期ですが、大川(当時の淀川ですな。中之島のところで分流して、堂島川と土佐堀川になります)は、河口付近の港が、上流から流入する土砂によって、ちょくちょく港が閉塞していたらしいです。当時の物流は海運がメインなので、これは由々しき問題。
で、問題解決のためには、上流の治山と下流の治水を一体的に整備しなければならんという認識にいたり、河村瑞軒に白羽の矢が立ちます。

河村瑞軒といえば、東廻り航路と西廻り航路を開拓した人です。

秋田の酒田から日本海沿岸を北上し、津軽海峡をグルッとまわって太平洋に抜け、三陸沖を伝って江戸に入る航路が東廻り航路。
おなじく秋田の酒田から逆に日本海沿岸を西航し、関門海峡を抜けて瀬戸内海を東航し、紀州沖、遠州灘を経て江戸へ入る航路が西廻り航路。この航路を走る船は、北前船ですな。
このふたつの航路が開拓されたおかげで、物流に要する時間と費用を大幅に短縮することに成功させたのが河村瑞軒ですわ。さらに、寄港地の入港税免除や水先案内船の設置など、海運にかかる諸々の整備もおこなったというので、まさにロジスティックの神のような人ではないかと。

その河村瑞軒が、曽根崎川を拓きます。
下流の河口付近の土砂堆積問題だけじゃなくて、しばしば氾濫した大河の治水も、これで少しは安定したみたいですな。まあ、本格的には、新淀川を改削するまで待たねばならんのですが、なにはともあれ、これでひと息つくことはできたようです。このプロジェクトの一環で、安治川も開拓してはります。
ロジスティックだけじゃなくて、全国各地で治水・灌漑・鉱山採掘・築港・開墾などのプロジェクトを指揮していて、国交省と運輸行政とエネルギー行政と、とにかく横断したジャンルのスケールがでかくて、グランド・デザインが描けた希有な人材ではないかと、その業績をちょっと振り返ってみただけでも思います。

伊勢の貧しい農家の出ですが、江戸に出て幕府の土木工事の人夫頭になったのをキッカケに、土木・建築の仕事を請け負うようになって大儲け。一躍セレブ入りします。最後は旗本に格上げされてますから、当時としては、考えうるかぎりの大出世ですな。

その河村瑞軒がつくった曽根崎川は、1909年(明治42年)、「キタの大火」の際に、復興の過程で瓦礫の廃棄場所となり、埋め立てられます。

キタの大火前後に新淀川(現在の淀川)の開削工事が進められていたので、治水と加工の土砂堆積解消のためにつくられた曽根崎川の役割も終わった、ということですね。

ご苦労!






曽根崎川(蜆川)跡碑
大阪市北区曽根崎新地1-5