2015年4月16日木曜日

明治天皇お気に入り「泉布観」の設計者は流れ者の成功者だった!

造幣局桜の通り抜けも終わり,、周辺には静けさが戻りました。
ここに行くと桜と同じピンクの手摺が目立つ洋館が目の前に見えます。
大阪府内で最古の洋館「泉布観」です。

 

 
 敷地内には入れますが、内部公開は毎年3月末に一般公開されるだけ、今年は抽選に当たったので、ひさぶりに行ってきました。
泉布観は、明治4年、造幣局の応接所として建てられました。
明治天皇の命名で、「泉布」は貨幣、「観」は館を意味しています。
明治22年には宮内庁に献納され、大阪への行幸の際の仮御所とされていました。
大正時代には大阪市に移管され、昭和31年に重要文化財に指定されました。
設計者はトーマス・J・ウォートルス、建物はベランダコロニアル様式2階建て、
総煉瓦造りに漆喰塗り白壁、屋根は日本式木造、
1、2階ともに3方に石柱を並べたベランダがあり、英国が多湿なアジアの植民地に建てたコロニアル様式の建物で、内部は中央に廊下があり、左右に部屋を配置する18~19世紀ころの英国上流階級の住宅様式、壁は煉瓦積みに漆喰が塗られています。煉瓦は国内で初めて製作されたため出来のよくないものがたくさんあるそうです。
各部屋にある暖炉の耐火煉瓦や内装品のシャンデリア、磁器タイル、化粧鏡は輸入品であるので19世紀の英国工芸品として文化財としての価値があるとのこと。



 数ある部屋の中に一間だけ造りが違う部屋があります。
「玉座の間」といい、明治天皇が使用した部屋とのことです。
 タッセルにも菊の御紋を模したものが使われていました。

 市松模様の床は木製タイル、当時のままと聞きましたが最近修復されたので色も鮮やかだった。


 高い天井のガス灯照明器具は電球に変わっているだけ

 暖炉の飾りに、見たことのない動物のオブジェが飾ってある。グリフォンという鷲の翼とライオンの下半身を持つ伝説の生物とのこと。

さて、設計者のトーマス・J・ウォートルスについてです。
1842年アイルランドのオファリー州で外科医の長男として生まれ、英国王立香港造幣局建設に携わったのをきっかけに、幕末長崎のグラバー商会に雇われ来日します。
薩摩藩の西洋工場建設に始まり、グラバーの推薦で大阪造幣寮(現:泉布観)を建設し、新政府の中で中心的な役割を担っていきます。
特に明治5年の銀座大火の後に建設された銀座煉瓦街は、集大成と言える事業でした。
しかし、その後来日するヨーロッパの本格的な建築家の意匠は、ながれ技術者としてのウォートルスのものとは異なりました。
解雇となったウォートルスは離日し、上海で技師として活動した後、鉱山技術者の弟と共にアメリカ合衆国に渡ります。
当時ゴールドラッシュに沸くカリフォルニア州ではなく、シルバーラッシュのコロラド州で銀山を当て成功したということです。

蛇足ですが、弟アルバートが、明治12年に横浜山手町に建設した日本初の機械製氷会社Japan Ice Companyは、現在のニチレイの前身です。