2015年4月13日月曜日

1911年、中之島公会堂の設計コンペ応募作品がすごすぎる

3月15日、中之島の地域誌が完成し、そのお披露目会に行ってきました。
そこで、大阪の美術史家・文化史家の橋爪節也先生(大阪大学総合学術博物館長)の記念講演があったので、そちらを楽しみに。

約1時間、スライド200枚オーバーの講演は、ウィットに富んだもので、それはそれはおもろかったのですが、個人的なツボだったのは、中之島公会堂建設が持ち上がった際の、コンペ。

中之島公会堂(正式には、大阪市中央公会堂)には、今でも、当時の応募作品が展示されているので、あの建築が、コンペによって設計が決められたのは、知っていたんです。
それぞれ並べられている応募作品はどれも素敵で、テイストもなんとなく当選作品の現在のものと似ていて、正直言って、もし自分が選考委員だったら、迷いに迷っていたに違いないというものばかりです。

そこで橋爪先生のお話なのですけど、これ、落選した人たちも、名うてのすんごい人たちばかりなのだそうです。いや、そこには思いが至らんかったですが、帰ってきて調べてみると、たしかに、それはそれはすごい人ばかり。

そもそも、このコンペは、「懸賞金付き設計競技」という名の下に行われたもので、オープンコンペではなく、主催者が17名の建築家を指名して、それに応えるかたちで行われたようです。
ずいぶんと上から目線のコンペですが、指名した人たちが、揃いも揃って、名うてのすごい人たちばかりです。それを競わせて、しかも当選の一人以外は落選するのだから、なかなか覚悟のいるもんだったと思います。当時の大阪人の意気込みのすごさが伝わってくるよう。

懸賞金付き設計競技で選ばれたのは、応募当時29歳の新進の建築家、岡田信一郎の作品。岡田の原案に基づいて、辰野金吾と片岡安が実施設計を行っています。並み居るスターを抑えて、29歳の新進建築家の作品を選ぶという度胸も、なかなかのもんやと思います。
しかも、実施設計を行った片岡安は、やはり懸賞金付き設計競技に応募していて、4等に選ばれています。その人に、実施設計を頼んでいるわけだから、しがらみとかどーなってたの?と、ウルトラCすぎる事態になってます。

そもそも、中之島公会堂は、「義侠の相場師」と呼ばれた岩本栄之助の協力なしにはできなかった代物ですが、彼もまた、とんでもない人です。

彼が、仲買人となった直後の1906年5月、北浜の大阪株式取引所を日露戦争終結に端を発する空前の暴騰が襲い、株価は急騰、「買えば必ずもうかる」とささやかれた時代でした。

このとき、北浜の仲買人の大半は、いずれ暴落することを見越して売り方にまわっていたわけです。
ところが株価の暴騰は止まらず、多くの仲買人は破産寸前にまで追い込まれます。そのときに彼らが頼ったのが、栄之助。
なぜか買い方にまわっていた(手堅い!)彼に、売り方に転じてもらい、株価を下落させようとしたわけです。これ、今やと株価操作やらインサイダーやらでアウトなんとちゃいますかね(笑)
買い方として得た利益を吐き出してくれと、常識外れの願いをですね、父親の代からお世話になっているみなさんへの恩返しだと思って協力しましょうと、栄之助は快諾します。
この結果、翌年1月21日に株価は大暴落。売り方である北浜の仲買人は破産を逃れ、莫大な利益を手にし、栄之助自身も大きな利益を得ます。
北浜の仲買人らは、彼には足を向けて寝れないですね。

その栄之助が、強い関心を抱いていたのが、株で得た利益を公共のために活かすことでした。1909年に参加した「渡米実業団」での視察で、西洋のノブレス・オブリージュの精神に触れた彼は、大阪の地にもどこにも負けないホールを建設しようと決意するわけです。
旅の途中、父・栄蔵の訃報を受け取り緊急帰国した栄之助は、父親の遺産の50万円に、自分の手持ち財産を加えた100万円を大阪市に寄付します。現在の貨幣価値で数十億円という額です。
当初は、公園や学校の整備などさまざまなプランが出たそうですが、誰にでも使ってもらえるものを、ということで、最終的に公会堂の建設が選ばれます。

というような豪快な経緯を経て、
1911年(明治44年)に建設計画がスタートし、
1913年(大正2年)着工、
1918年(大正7年)11月17日オープンです。



というわけですが、今回のエントリの肝である、応募作品をずらずらっと並べてみますね。


1等 岡田信一郎
見事1等となり、選ばれたのは、応募当時29歳と最年少の新進の建築家です。ですが、この後、大阪高島屋(かつての長堀橋店)、歌舞伎座、琵琶湖ホテル(今のびわ湖大津館)など、名建築を数多く残しています。選考委員の目利きは素晴らしかった、ということですね。


2等 長野宇平治
日本建築士会初代会長にして辰野金吾の弟子。日本全国の日本銀行の支店をかたっぱしから設計してます。本店、大阪支店、門司、広島、名古屋、京都、函館、小樽、福島、岡山、神戸、松山、松江の各支店、本店別館…。



3等 矢橋賢吉
北海道拓殖銀行の各支店、国会議事堂、石川県庁舎、総理大臣官邸などを設計。



4等 片岡安
旧日本生命保険旧支店(現・福岡市文学館)、旧山口銀行京都支店(旧・北陸銀行京都支店)、鹿児島市中央公民館、芦屋仏教会館を設計。なんとこの人が、1等の岡田案の実施設計を担当します。



古宇田實
法隆寺国宝保存工事事務所長として、奈良、京都、鎌倉の文化財修復にあたっています。文化財修復分野のスペシャリストです。



大江新太郎
日光東照宮の修復を行った人。明治神宮の宝物殿、高野山霊宝館、厳島神社宝物館などなど。



大澤三之助
東京高等工商学校(現芝浦工業大学)建築学科長を努めた人です。有栖川宮邸を設計。



塚本 靖
京城停車場本屋(現・ソウル駅)、東京帝大の先生。



伊東忠太
橿原神宮、平安神宮、豊国廟設計、ロンドン万博日本館、靖国神社神門、築地本願寺、湯島聖堂などなど。



武田五一
「関西建築界の父」。日本勧業銀行本店、京都府立図書館、円山公園、同志社女子大ジェームス館、五龍閣などなど。大阪市営地下鉄シンボルマークも彼のデザインです。



宗兵蔵
帝国奈良博物館(現・奈良国立博物館)、柴島浄水場第一排水ポンプ場、難波橋、旧制灘中学校校舎、生駒時計店などなど。



田邊淳吉
清水組(現清水建設)の技師として銀行、学校、邸宅等を設計し、後に独立し、富山銀行本店、東京會舘、渋沢史料館青淵文庫などを設計。




いやー、全員がwikiに載っています。すごい人たちが競って、中之島公会堂をつくった、というお話でした。