2015年4月30日木曜日

佐野惣2号店は20時までやってます!


昨年の夏号「キタのええもんキタの手みやげ」でご紹介した、グリル佐野惣。
なんと、昨年末に2号店がオープンしています。

取材以降も何度も訪れていたのですが、取材させていただいたお姉さんにはお会いできず、残念に思っていましたが、この度、嬉しい再会を果たすことができました。
本当に嬉しい!!




地下鉄天神橋筋六丁目駅を出て、菅栄町西の交差点を東に向かった所に、「デリカキッチン Sano惣」はあります。
クリームがかった白い壁、入り口横の窓からもお店の様子が伺えます。女性一人でも入れる雰囲気が安心できます。内装は至ってシンプル。カウンター椅子の座り心地がちょうどよく、落ち着いて食事が楽しめます。
子どもや小柄の高齢者を意識して、手洗い場などは低めに設置されています。
その、内装を含むお店作りは、お店の主人である佐野惣のお姉さんの息子さんが主体となってされたのだとか。キッチン内も動きやすそうで、お店の細部まで、使う人への心配りが行き届いているようでした。

メニューを開くと、長柄のお店とおんなじです。ますます嬉しい展開。
2号店限定メニューもありました、「いっちょ丼」。



いっちょ丼は、お肉はコロッケをつくった際に余った牛すじを甘辛く炒めたものを丼仕立てにしたもの。とってもご飯がすすみます。味付けがしっかりめなので、ガツガツ食べたい時には間違いなしの一品です。
いっちょ丼以外にも、定番コロッケも食べたいし、カレー?牛カツ?海老フライ?と悩んでいると、お姉さんがそっと声をかけてくれます。「コロッケに、海老フライでちょうどいいんじゃない?」
欲ばりすぎず、でもちゃんとおなかいっぱいになるように教えてくれます。そして、コロッケは牛スジのものと、カレーコロッケと両方でした。コロッケのソースも変わらない美味しさです。揚げ物なのに、油が後に残らないのもおんなじです。さすがです。




デリカキッチンSano惣も、やっぱりテイクアウトができます。閉店30分前でも次々とお客さんが訪れていました。「うちは、コロッケひとつから持ち帰りOK」だからご近所の高齢者の利用が増えているそうです。駅から、自転車で都島方面に向う人も多くいて、揚げたてコロッケはもちろん、仕事帰りに生で持ち帰る人も。
オープンしてまだ半年も経っていませんが、もう数年前からあるお店のようにお客さんが馴染んでいます。さすがお姉さん。

人好きで、話好きのお姉さんは新しい出会いを求めてこのお店を開きました。
売り上げを意識すれば、もっと立地にもこだわっただろうと話されます。梅田方面や、商店街といった可能性もありました。でも、国分寺になりました。
一見さんが行き交うまちなかではなく、地元の人が日常とする場所です。
長柄が遠くなってしまった人も、初めての人も、ずっと知り合いだったかのように、親しめます。ちょっと、近くなりました。

2号店は20時まで開いています。
お姉さんと笑いながら、美味しい晩御飯を食べに行きましょう。


【デリカキッチンSano惣】
大阪市北区国分寺1-7-1
tel. 06-6353-3378
営業:11:00~20:00 日祝休
https://m.facebook.com/delicakitchensano

2015年4月27日月曜日

阪急千里線、地下から出てくる場所

さて、今年も春の大型連休がやってきました。
もちろん、職業によってはがんばって働いている人もいるのですが、私の場合は4月29日から5月6日までなので比較的カレンダー通りの休みです。
連休前の今日(27日)と明日の2日間と、連休後の2日間(7日と8日)は果たして仕事になるのかな?といささか心配ではありますが、気を引き締めていきたいと思います。

さて、今回は天神橋7丁目にある、阪急千里線の高架から地下に入る場所をご案内します。
場所は、加納総合病院の北側、スーパーマーケットサボイの西側です。
北に見ると、地下から上がって高架になっていくので、
結構勾配があります
ちょうどこの場所、左右の道路に渡れるように歩道橋が設置されているのですが、投石などのいたずら防止だと思いますが、歩道橋のすべてに鉄板が張り巡らされています。
階段もしっかりフェンスで防御されています
身長180cmの私でも、カメラ持った手を思い切り上げないと線路の撮影ができないくらいのフェンスの高さなので周囲からの見晴らしも悪く、正直夜の通行は怖いな~、と思ってしまいます。夜はあえてこの歩道橋は通らないでしょう。
実際に落書きしている現場を目撃したことがないのですが、
いつ書いているのでしょうか??

周囲から全く見えない場所なので、無法地帯化しています。何度か落書きを消した跡がありますが、消しては書かれるという、イタチごっこ状態なのでもう諦めたのか、そのままになっています。

で、歩道橋から南側を撮影すると、地下に向かうために下るのはわかるのですが、結構右にカーブしています。
現在のジオタワーがあった場所に天六阪急ビルがあって、そのビル内に「天神橋駅」があったので、本来はこのまままっすぐに高架が続いていたのでしょうが、大阪万博開催の時に堺筋線との相互乗り入れと谷町線の接続を天神橋6交差点の下でおこなったため、この線路は、おおむね加納病院と旧シネ5ビル(現在回転寿司屋)の間を通って、天神橋筋の地下を通るのですね。
その時に駅名も「天神橋筋六丁目駅」となりました。
ジオタワー天六に向かわずに右に曲がっているのがわかります
道沿いを北上していくと、城北通りを通過するのですが、大型車も通れるようにメイン道路はアンダーパス状態になっています。
地上に上がって淀川の橋りょうまでの大通りはここだけなので、高架もあえて高く作る必要がないことと、この大通りだけアンダーパスにしたほうがコストが掛からなかったということでしょうか。
北区のわずかな距離を走る阪急千里線に一度乗ってみてはいかがですか?

2015年4月23日木曜日

梅田周辺からダイレクトにつながる都市を抜き出してみた

大阪駅が梅田に置かれて以来140年あまり。大阪の陸路の玄関を担ってきた北区梅田周辺。
地方と大阪を結ぶターミナルは揺るぎないものだと思いますが、昭和39年に新幹線が出来て、一部が新大阪駅に取って代わられてしまいました。
新幹線が岡山まで延伸された時、在来線の特急列車が軒並みなくなり、近年の夜行列車の削減など、大阪駅から直行する列車がなくなってきているように思います。
その代わりとして、高速バスが花盛り。高速道路の整備に伴い、鉄道ではいけなかった街にもダイレクトに「つながる」ようになりました。

そこで、今回は都道府県別で大阪梅田周辺から、各都市に「直行」で行ける都市をリストアップしました。
抜けなどがあるかもしれませんが、
(2015年4月現在です。)


<北海道>
なし

ついこの前まで、寝台特急トワイライトエクスプレスがありましたが、残念ながら廃止。陸路はつながっていないので、途切れたことになります。


<青森・岩手・秋田>
なし

北東北3県は全滅。最長特急と言われた「特急白鳥号」も、廃止されて10年くらいが経ちましたかね?近畿から一番遠いのは北海道ではなくて実は東北。などと言われる事も多いのですが(ほら、北海道は飛行機がたくさん飛んでいるから、比較的楽に移動出来るので。) 北東北というのは、地理的にもかなり遠いのかなあ?
一時期、岩手県交通の夜行バスが大阪に来ていたような記憶があるのでのですが、私の記憶違いでしょうか。


<宮城>
杜の都仙台。仙台行きの夜行バスが存在します。宮城交通と共同運行の近鉄バスフォレスト号。
新高速乗合バスとして、さくら観光も仙台行きを運行中。


<山形>
山形行きの夜行バス。地元山交バスと共同運行の近鉄バスアルカディア号。
こちらが梅田から出る最北端の場所になりますかな。


<福島>
郡山・福島に、福島交通と共同運行の近鉄バスギャラクシー号。
新高速乗合さくら観光の仙台行きが、途中郡山にも止まります。


<茨城>
茨木とよく混同される茨城県 ('-'*)フフ
北関東3県って、大阪人は位置がよくわからないってよく聞きますよね。私もうろ覚えですが、ここできちんとおさらいをしておきましょう。

海がある県=茨城県。だから一番右の海よりですよ。
新幹線が通るまんなか=栃木県。
鶴舞う形の群馬県=山ばっかりなので一番左。

しっかり覚えましょう~
水戸・土浦・つくばに夜行高速バスが運行されています。関東鉄道と共同運行のよかっぺ関西号。(-ω-;)ウーン、もうちょっとネーミングを考えなかったんだろうか……


<栃木>
久喜・栃木・宇都宮各都市に停車する高速バスの近鉄バスとちのき号。関東自動車と共同運行。

久喜市ってよく知らなかったんですけど、鷲宮神社があるところなんですね。アニメで町おこしをした第1号の地区ですわ。これも聖地巡礼です。


<群馬>
鶴舞う形の群馬県。県が鶴の形に似ている事から、県の人がよく使う言葉だそうです。。。。。。けど、あまり似てないんだよね(こらこら

熊谷・深谷に、ウィングライナー号が近鉄バス単独で運行しています。
県庁所在地の前橋に行くバスなどがないのがあれですね。


<埼玉>
首都圏の北の地域を担う埼玉県。夜行高速バスも路線がたくさんあるかなと思ったら、意外にもないんですよね。

さきほどのウィングライナー号が川越に停車。
新高速乗合バスのブルーライナー号・イーグル号なども川越に停車
川越は小江戸と呼ばれて観光客目当てなのかなと思いますが。

それ以外には所沢・大宮に、西日本JRバスドリームさいたま号が(西武観光バスと共同運行)あるのみ。
まあ、東京各地にバスで行って、そのあと電車に乗り継いでも特に不便がないからでしょうかね?


<千葉>
こちらも以外に夜行バスの路線がない。
京成バス単独運行の、千葉、船橋、幕張に止まる「横浜・東京・千葉線」(愛称ないんかい!)。
なんばからだと、銚子行きの南海バス・千葉交通の路線があって、成田空港に乗り入れていたりするので結構重宝するんですけどね。梅田からは乗れません。残念。


<東京>
割愛しますw どうとでも行ってくださいw


<神奈川>
横浜付近は新幹線もありますし、夜行バスもそこそこ止まりますので除外するとして、神奈川の地方だけを抜き出します。

まず、小田原・藤沢・鎌倉に南海バスと江ノ電バス藤沢が共同運行する。南海バスの夜行高速バス。南海バスには愛称がなく、全てがサザンクロスとなるよう。江ノ電バスが初めて夜行高速バスに参入した路線なんだって。確かにOCATとかで江ノ電バスのカラーリングを見た時に意外でしたわ。
もうひとつ、新富士・沼津・御殿場・新松田・小田原に止まる近鉄バス金太郎号(富士急湘南バスと共同運行)。最後の小田原が神奈川県ですので。

どちらも観光需要を見込んでの路線なんでしょうかね?


<山梨>
鉄道でも大阪からだと直行出来ない山梨県。
東静岡・富士宮・河口湖・富士山駅(旧富士吉田)に近鉄バスフジヤマライナー号(富士急湘南バスと共同運行)
韮崎・甲府に近鉄バスクリスタルライナー号(山梨バスと共同運行)
このクリスタルライナー号は昼行便もあって、昼間にバスで移動出来る最東端でもあります。


<静岡>
まあ新幹線ですよねー。普通は。でも、こだましか止まらない駅は、1時間に1本の東京行きに乗らないといけないので、結構大変ではないのでしょうか。
このあたりを見越してかどうか、阪急バス・しずてつジャストラインが静岡・清水に、西日本JRバス・JR東海バスが浜松・静岡にドリーム号を走らせています。


<新潟>
鉄路では、昔は北陸本線経由で寝台や特急などが走っていました。しかし、北陸新幹線の延伸で在来線が3セク化されてしまい、現在は乗り換えなしで新潟県内に入るのは無理となってしまいました。
寝台急行きたぐにとか、東京から大阪に帰る時に最終ののぞみを逃すと、この列車に乗って大阪に帰ってくることが出来たり、結構重宝したんですけどね。(時刻表のトリックにも使えるかもしれなかったのよ)

現在は燕三条・新潟へ、阪急バスおけさ号(新潟交通と共同運行)。
柏崎・長岡・東三条へ南海バスのサザンクロス(越後交通と共同運行)がある。


<長野>
長野もバスだけなんだろうなーと思ったあなた。残念です。JRの特急が走っているんですよ。
1日1本だけですが、本来は名古屋始発のワイドビューしなのが、9号のみ大阪駅始発なんですね。塩尻・松本・篠の井・長野に止まります。

ただ、5時間のロングラン運転、中央本線は単線でカーブも多いため、あまりスピードが出せません。どちらかというと、やはり高速バスの方が有利になっているというのが現状。

長野、岡谷、松本、上諏訪、茅野、駒ヶ根、伊那、箕輪、上高地。白馬、信濃大町と、阪急バスとアルピコ交通、伊那バス、信南交通が県全域をカバーしています。全て昼行便で、長野行き、松本行きに夜行便があります。
また、南海バスも、長電バスと共同運行で、長野・湯田中に、近鉄バス・ちくまバスが、上田・軽井沢間に千曲川ライナーを持っています。


<愛知>
まあ、新幹線も、近鉄特急もありますし、名古屋行きの高速バス・特急バスもありますし。
ただ、名古屋以外の都市へ行くとなると、大阪からの直行便が全くないというのが現状。まあ、名古屋で在来線が名鉄に乗り換えれば不便ないですからね。でも、豊田とか、瀬戸に行くにはまた乗り換えなきゃいけないし、何とかなりませんかね?(愛環が乗り入れるようになって多少は解消したけど)


<岐阜>
名古屋の陰に隠れんぼしてて、存在がイマイチ薄い気がしてならない岐阜県。
こちらも、鉄路では特急ワイドビューひだ号が1日1本だけ運転されています。大垣・岐阜・鵜沼・美濃太田・下呂・高山なんかに止まって行くみたいです。
バスも、近鉄バス・濃飛乗合が郡上八幡・飛騨高山へウエストライナー号が運行しているだけ。


<富山・石川・福井>

北陸新幹線延伸に従いサンダーバードがな行かなくなってしまった富山。これは痛いですねー。大阪との距離が遠くなったのは気のせいでしょうか。

阪急バスと地元バス会社が、それぞれ県庁所在地までの高速バスがあります。
JRも同じく県庁所在地に路線を持っていますね。

ただ、福井になると、敦賀へは新快速が走るわ、小浜は近鉄バス・福井鉄道の高速バスはあるわで、一気に近畿の近郊区間の末端区間に取り込まれる感じでしょうか。気軽にいける乗り換えなしの末端って感じですね。


<三重>
近鉄王国三重。近鉄特急でって感じになるんですが、「梅田から乗り換えなしで」というくくりで行くと、三重は近くて遠い国になっちゃうんですよね。近鉄特急の発着は難波・上本町ですから……
近鉄バス・三重交通共同運行の高速バスが、伊賀上野と、津・四日市に行くのみ。


<滋賀>
高速バスはありません。全てJRの鉄道を使うことに。快速・新快速の停車する駅。普通列車も、草津あたりまで早朝深夜帯は行くやつがあるのかな?それが全てになります


<奈良>
やはり近鉄が使い勝手がよいんですが、梅田からだと大和路快速で奈良方面、東西線で木津方面へ行く列車くらいしか直通はないっぽいですね。近くても、乗り換えなしで行くことが出来ない。意外と盲点ですねー


<京都>
京都市内なんかはJR・阪急・京阪の各種鉄道があるのでいいとして、問題が県北部。やはりバスしかなさそうです。
福知山・舞鶴には、日本交通・京都交通共同運行の高速バスがあり、宮津・峰山には阪急バス・丹後陸海交通の高速バスがあります。
個人的に、亀岡に直通するバスなんかがあればありがたいんですけどねー。どこぞのバス会社さん、やってみませんか???


<和歌山>
特急くろしお号しかないよな~なんて思っていましたが、、、、、、大阪駅に止まらない。。。。。Σ!(´Д`lll)
梅田貨物線を通るので、新大阪を過ぎて止まるのは、西九条か天王寺に。明らかに大阪駅飛ばしですけど、これはしょうがないか。
鉄道で行くには紀州路快速のみ。和歌山まで。早朝のみ海南行きがあるようですが。

バスは西日本JRバスが、明光バスと共同運行で紀伊田辺・白浜まであるので、これが全てかな。


<兵庫>
鉄路がやはり充実していて、新快速が岡山のすぐ手前まで走り、福知山線には特急こうのとり号。播但線にも特急はまかぜ号があり、県内くまなく直行出来る感じ。
バスも、中国道にはハイウェイバス、湯村温泉(阪急バス・全但バス)、豊岡・城崎(全但バス)、津名・洲本(阪急バス・淡路交通)などもありますね。


<鳥取>
前述の特急はまかぜ号が鳥取まで行く便があるのですが、智頭急行経由の特急スーパーはくと号が早くて、途中で抜かされるんですよね。はくとは走る路線も直線で。車両もパワフルですし。
鳥取と言うと、日交の高速バスが挙げられます。1960年代の、高速道路がまだなかった時代から長距離路線バスを営業していたパイオニアで、今でも鳥取というと、高速バスで移動という選択肢が真っ先に思い浮かべる人が多いんじゃないかと思います。鳥取行きと同じ都市規模で県西部の街、米子行きがあります。
県中央部にある倉吉へは、残念ながら弁天町・なんばからしかないんですが。


<島根・山口>
高速バスが比較的充実しています。各地区毎に、関西のバス事業者さんと地元バス会社と仲良しだったりグループ会社だったりするので。

松江・出雲には阪急バス・西日本JRバス・一畑電鉄・中国JRバスが
浜田・益田・津和野には阪神バス・石見交通が
同じく益田に中国JRバスが
徳山・山口・萩には近鉄バス・防長交通が

それぞれ路線を持っています。


<岡山・広島>

鉄路は新幹線のみ。
バスも、岡山・倉敷へ、中国JRバス・両備バス・下津委電鉄共同運行の吉備エクスプレス号、
福山・尾道・府中へ、近鉄バス・中国バス共同運行の備後ライナー号。

新幹線駅に乗り入れしない県北部や呉あたりにもバスがあって、

西条・呉へ、中国JRバスの呉エクスプレス大阪号、
笠岡・井原・神辺へ、中国バスカブトガニ号、
新見・三次へ、阪急バス・備北バス共同運行の高速バスなど、そこそこ充実しています。
カブトガニ号、その昔井笠鉄道が運営していたんですが、経営破綻しちゃって大変だったですね。今は中国バスが何とか経営改善に取り組まされて何とか落ち着きましたけど。


<四国4県>
以前は陸路がなく、フェリーか飛行機かという選択肢がなかったんですよね。しかし、明石海峡大橋が開通してから、島内各地にはそれはそれは多くのバス会社が参入して、路線を開拓していきました。
あまりにも行き先と本数が多いので、羅列でどうぞ。

高松・坂出・善通寺・丸亀・観音寺 阪急バス・四国高速バス・西日本JRバス・JR四国バス
高松 西日本JRバス・JR四国バス
観音寺 西日本JRバス・JR四国バス
高松・国分寺 南海バス・高松エクスプレス

鳴門・松茂・徳島 阪急バス・南海バス・徳島バス
鳴門・松茂・徳島 西日本JRバス・本四海峡バス・JR四国バス
阿波池田 阪急バス・四国交通
松茂・小松島・阿南 海部観光

松山・八幡浜 阪急バス・伊予鉄道
川之江・松山・八幡浜 西日本JRバス・JR四国バス
川之江・新居浜・西条・今治 阪神バス・瀬戸内運輸
宇和島 阪神バス・宇和島自動車

高知 阪急バス・とさでん交通
高知・須崎 西日本JRバス・JR四国バス
中村・宿毛 近鉄バス・高知南西交通

うむむむむ、鉄道も瀬戸大橋でつながっているんだから、ひとつくらいはあっても良さそうなものだけど、岡山で新幹線乗り継ぎになるんですよね。


<福岡>
新幹線が強力なライバルだけれども、夜行便としては小倉・福岡へ、阪急バス・西日本鉄道共同運行のムーンライト号。こいつが夜行高速バスの火付け役とも言われている由緒正しい夜行バス。
その昔は、季節列車として夜行列車の快速ムーンライトもあったんだけれども、最近は全く走らなくなりました。同じムーンライト……


<佐賀>
なし

JRや西鉄がありますので、特に不満はないのかな?


<長崎>
諫早・長崎 近鉄バス・長崎自動車共同運行のオランダ号。長崎オランダ村から取ったようですな。


<大分>
中津・別府・大分 近鉄バス・大分バス・大分交通・亀の井バス共同運行のSORIN号。大分行きは何度も廃止され、その度に愛称が変わっていったんだけれども、今度はうまくいきますかどうか。
大分は海路もあるので中々手強い。


<熊本>
九州新幹線が開業して、鉄路でも行きやすくなった熊本。でも、新幹線は淀川区…
熊本へ、近鉄バス・九州産交バスがサンライズ号を走らすほか、格安便としてあそ☆くま号というのもある。☆がチャームポイント。


<宮崎>
えびの・都城・宮崎 近鉄バスおひさま号


<鹿児島>
鹿児島 近鉄バストロピカル号



こんな感じですか。さすがに北海道、沖縄は陸路がないので厳しいですし、北東北も距離的に難しいようです。
しかし、何とかそれ以外の各県へ高速バスが運行されているので、考え方によってはいろんな人や物がここに集まってこられると言うことですよね。

私も最近旅行に行かなくなってしまったので、どこかに行きたいなーなんて思いました。

2015年4月20日月曜日

ド定番!みんな大好き!阪神梅田のミックスジュース!!


あたたかくなったと思ったら雨の日が多く、
せっかくの春がもったいないですね〜。。。
もっと春をお外で満喫したい!とウズウズしているヨリトモです。


今日は阪神・梅田のド定番!
梅田駅東口にあるジューススタンドをご紹介します!


阪神梅田駅・東改札を出てすぐに、
ミキサーの並んだ、小さなお店。
看板には「梅田ミックスジュース」、「元祖生ジュース」の文字。
昭和44年にオープンしたそうで、
今では多く見られるジューススタンドの草分け的存在なんだとか。




いつでも誰かが、お店の近くの壁際で、
プラカップに入ったミックスジュースを飲んでいる。
時間帯によっては、小さなお店に長蛇の列もしばしば。
そんな風景自体が、阪神梅田の定番になっています。

季節の果物の生ジュースもありますが、
ほぼほぼ、みなさん注文するのが「ミックス!」です。
なんと、1140円!!
3%消費税が導入された時に10円値上げして以降、
お値段変わらず、140円!
電車の乗降ついでに、ついつい飲んでしまう!
お財布に優しい価格です。

ミックスジュースのお味は、もちろん美味しい!!
ミックスジュースというと、重たいような気がしますが、
ここのは“さっぱり”しているので、喉が乾いた時に飲んでもOK
これからの季節、ますますお世話になりそうです。


阪神梅田駅の大規模改修工事によって、
改修後の動向は未定らしいが、
今年いっぱいは、変わらず梅田駅東口のいつもの場所で、
いつものミックスジュースが味わえるそう!

お店の存続を心配したお客さんに、
お店のお兄さんは、「うちはずっとここでやりますよ〜」と、
答えておられました。

ぜひ、阪神梅田の定番の味と風景が、
改修後にも味わえますように!と願うばかりです。

2015年4月16日木曜日

明治天皇お気に入り「泉布観」の設計者は流れ者の成功者だった!

造幣局桜の通り抜けも終わり,、周辺には静けさが戻りました。
ここに行くと桜と同じピンクの手摺が目立つ洋館が目の前に見えます。
大阪府内で最古の洋館「泉布観」です。

 

 
 敷地内には入れますが、内部公開は毎年3月末に一般公開されるだけ、今年は抽選に当たったので、ひさぶりに行ってきました。
泉布観は、明治4年、造幣局の応接所として建てられました。
明治天皇の命名で、「泉布」は貨幣、「観」は館を意味しています。
明治22年には宮内庁に献納され、大阪への行幸の際の仮御所とされていました。
大正時代には大阪市に移管され、昭和31年に重要文化財に指定されました。
設計者はトーマス・J・ウォートルス、建物はベランダコロニアル様式2階建て、
総煉瓦造りに漆喰塗り白壁、屋根は日本式木造、
1、2階ともに3方に石柱を並べたベランダがあり、英国が多湿なアジアの植民地に建てたコロニアル様式の建物で、内部は中央に廊下があり、左右に部屋を配置する18~19世紀ころの英国上流階級の住宅様式、壁は煉瓦積みに漆喰が塗られています。煉瓦は国内で初めて製作されたため出来のよくないものがたくさんあるそうです。
各部屋にある暖炉の耐火煉瓦や内装品のシャンデリア、磁器タイル、化粧鏡は輸入品であるので19世紀の英国工芸品として文化財としての価値があるとのこと。



 数ある部屋の中に一間だけ造りが違う部屋があります。
「玉座の間」といい、明治天皇が使用した部屋とのことです。
 タッセルにも菊の御紋を模したものが使われていました。

 市松模様の床は木製タイル、当時のままと聞きましたが最近修復されたので色も鮮やかだった。


 高い天井のガス灯照明器具は電球に変わっているだけ

 暖炉の飾りに、見たことのない動物のオブジェが飾ってある。グリフォンという鷲の翼とライオンの下半身を持つ伝説の生物とのこと。

さて、設計者のトーマス・J・ウォートルスについてです。
1842年アイルランドのオファリー州で外科医の長男として生まれ、英国王立香港造幣局建設に携わったのをきっかけに、幕末長崎のグラバー商会に雇われ来日します。
薩摩藩の西洋工場建設に始まり、グラバーの推薦で大阪造幣寮(現:泉布観)を建設し、新政府の中で中心的な役割を担っていきます。
特に明治5年の銀座大火の後に建設された銀座煉瓦街は、集大成と言える事業でした。
しかし、その後来日するヨーロッパの本格的な建築家の意匠は、ながれ技術者としてのウォートルスのものとは異なりました。
解雇となったウォートルスは離日し、上海で技師として活動した後、鉱山技術者の弟と共にアメリカ合衆国に渡ります。
当時ゴールドラッシュに沸くカリフォルニア州ではなく、シルバーラッシュのコロラド州で銀山を当て成功したということです。

蛇足ですが、弟アルバートが、明治12年に横浜山手町に建設した日本初の機械製氷会社Japan Ice Companyは、現在のニチレイの前身です。

2015年4月13日月曜日

1911年、中之島公会堂の設計コンペ応募作品がすごすぎる

3月15日、中之島の地域誌が完成し、そのお披露目会に行ってきました。
そこで、大阪の美術史家・文化史家の橋爪節也先生(大阪大学総合学術博物館長)の記念講演があったので、そちらを楽しみに。

約1時間、スライド200枚オーバーの講演は、ウィットに富んだもので、それはそれはおもろかったのですが、個人的なツボだったのは、中之島公会堂建設が持ち上がった際の、コンペ。

中之島公会堂(正式には、大阪市中央公会堂)には、今でも、当時の応募作品が展示されているので、あの建築が、コンペによって設計が決められたのは、知っていたんです。
それぞれ並べられている応募作品はどれも素敵で、テイストもなんとなく当選作品の現在のものと似ていて、正直言って、もし自分が選考委員だったら、迷いに迷っていたに違いないというものばかりです。

そこで橋爪先生のお話なのですけど、これ、落選した人たちも、名うてのすんごい人たちばかりなのだそうです。いや、そこには思いが至らんかったですが、帰ってきて調べてみると、たしかに、それはそれはすごい人ばかり。

そもそも、このコンペは、「懸賞金付き設計競技」という名の下に行われたもので、オープンコンペではなく、主催者が17名の建築家を指名して、それに応えるかたちで行われたようです。
ずいぶんと上から目線のコンペですが、指名した人たちが、揃いも揃って、名うてのすごい人たちばかりです。それを競わせて、しかも当選の一人以外は落選するのだから、なかなか覚悟のいるもんだったと思います。当時の大阪人の意気込みのすごさが伝わってくるよう。

懸賞金付き設計競技で選ばれたのは、応募当時29歳の新進の建築家、岡田信一郎の作品。岡田の原案に基づいて、辰野金吾と片岡安が実施設計を行っています。並み居るスターを抑えて、29歳の新進建築家の作品を選ぶという度胸も、なかなかのもんやと思います。
しかも、実施設計を行った片岡安は、やはり懸賞金付き設計競技に応募していて、4等に選ばれています。その人に、実施設計を頼んでいるわけだから、しがらみとかどーなってたの?と、ウルトラCすぎる事態になってます。

そもそも、中之島公会堂は、「義侠の相場師」と呼ばれた岩本栄之助の協力なしにはできなかった代物ですが、彼もまた、とんでもない人です。

彼が、仲買人となった直後の1906年5月、北浜の大阪株式取引所を日露戦争終結に端を発する空前の暴騰が襲い、株価は急騰、「買えば必ずもうかる」とささやかれた時代でした。

このとき、北浜の仲買人の大半は、いずれ暴落することを見越して売り方にまわっていたわけです。
ところが株価の暴騰は止まらず、多くの仲買人は破産寸前にまで追い込まれます。そのときに彼らが頼ったのが、栄之助。
なぜか買い方にまわっていた(手堅い!)彼に、売り方に転じてもらい、株価を下落させようとしたわけです。これ、今やと株価操作やらインサイダーやらでアウトなんとちゃいますかね(笑)
買い方として得た利益を吐き出してくれと、常識外れの願いをですね、父親の代からお世話になっているみなさんへの恩返しだと思って協力しましょうと、栄之助は快諾します。
この結果、翌年1月21日に株価は大暴落。売り方である北浜の仲買人は破産を逃れ、莫大な利益を手にし、栄之助自身も大きな利益を得ます。
北浜の仲買人らは、彼には足を向けて寝れないですね。

その栄之助が、強い関心を抱いていたのが、株で得た利益を公共のために活かすことでした。1909年に参加した「渡米実業団」での視察で、西洋のノブレス・オブリージュの精神に触れた彼は、大阪の地にもどこにも負けないホールを建設しようと決意するわけです。
旅の途中、父・栄蔵の訃報を受け取り緊急帰国した栄之助は、父親の遺産の50万円に、自分の手持ち財産を加えた100万円を大阪市に寄付します。現在の貨幣価値で数十億円という額です。
当初は、公園や学校の整備などさまざまなプランが出たそうですが、誰にでも使ってもらえるものを、ということで、最終的に公会堂の建設が選ばれます。

というような豪快な経緯を経て、
1911年(明治44年)に建設計画がスタートし、
1913年(大正2年)着工、
1918年(大正7年)11月17日オープンです。



というわけですが、今回のエントリの肝である、応募作品をずらずらっと並べてみますね。


1等 岡田信一郎
見事1等となり、選ばれたのは、応募当時29歳と最年少の新進の建築家です。ですが、この後、大阪高島屋(かつての長堀橋店)、歌舞伎座、琵琶湖ホテル(今のびわ湖大津館)など、名建築を数多く残しています。選考委員の目利きは素晴らしかった、ということですね。


2等 長野宇平治
日本建築士会初代会長にして辰野金吾の弟子。日本全国の日本銀行の支店をかたっぱしから設計してます。本店、大阪支店、門司、広島、名古屋、京都、函館、小樽、福島、岡山、神戸、松山、松江の各支店、本店別館…。



3等 矢橋賢吉
北海道拓殖銀行の各支店、国会議事堂、石川県庁舎、総理大臣官邸などを設計。



4等 片岡安
旧日本生命保険旧支店(現・福岡市文学館)、旧山口銀行京都支店(旧・北陸銀行京都支店)、鹿児島市中央公民館、芦屋仏教会館を設計。なんとこの人が、1等の岡田案の実施設計を担当します。



古宇田實
法隆寺国宝保存工事事務所長として、奈良、京都、鎌倉の文化財修復にあたっています。文化財修復分野のスペシャリストです。



大江新太郎
日光東照宮の修復を行った人。明治神宮の宝物殿、高野山霊宝館、厳島神社宝物館などなど。



大澤三之助
東京高等工商学校(現芝浦工業大学)建築学科長を努めた人です。有栖川宮邸を設計。



塚本 靖
京城停車場本屋(現・ソウル駅)、東京帝大の先生。



伊東忠太
橿原神宮、平安神宮、豊国廟設計、ロンドン万博日本館、靖国神社神門、築地本願寺、湯島聖堂などなど。



武田五一
「関西建築界の父」。日本勧業銀行本店、京都府立図書館、円山公園、同志社女子大ジェームス館、五龍閣などなど。大阪市営地下鉄シンボルマークも彼のデザインです。



宗兵蔵
帝国奈良博物館(現・奈良国立博物館)、柴島浄水場第一排水ポンプ場、難波橋、旧制灘中学校校舎、生駒時計店などなど。



田邊淳吉
清水組(現清水建設)の技師として銀行、学校、邸宅等を設計し、後に独立し、富山銀行本店、東京會舘、渋沢史料館青淵文庫などを設計。




いやー、全員がwikiに載っています。すごい人たちが競って、中之島公会堂をつくった、というお話でした。

2015年4月9日木曜日

淀屋橋と常安橋の由来をたずねて、淀屋のことを少しだけ。

淀屋橋と常安橋の由来を辿ると、淀屋にあたります。
堂島の米会所、中之島の開発の歴史を辿ってみても、淀屋にあたります。

で、淀屋って?

淀屋の初代常安は、京都八幡の出身で、淀川を通じて木材を運ぶ材木商でした。中之島の開発をしたのを機に大阪に店を構えます。常安橋の常安とはこの人の名前なんですね。
二代目言當は、途絶えていた青物市の復活、雑魚場市の設立、米市の設立をします。淀屋を大きくしたのはこの人だったようです。
三代目箇斎は、二代目言當の弟といわれています。
四代目重當のころに淀屋は最盛期を迎えます。上方以西の大名で淀屋から借金をしていない者はないとまで言われました。
五代目廣當の時に、その富に応じた生活ぶりは、町人の分を超えた豪奢な振る舞いだとして闕所となります。

闕所はけっしょと読みます。
江戸時代の闕所は、島流し、追放、死罪の付加罪で、簡単にいうと、財産没収です。
闕所当時の淀屋の総資産は、現在の価値でなんと100兆円!
すべて幕府に没収されました。闕所の理由については謎が多く、資料はいろいろあるようですが、伝説のようなお話も多いのだとか。近松門左衛門によって浄瑠璃の演目にもなりました。

大阪で淀屋の事を調べると大体ここまでのお話で、終わりです。

ところが、この先のお話があったのです。
四代目重當のころ、淀屋は暖簾分けをします。幕府に目をつけられていることを自覚しており、いずれなんらかのお咎めを受けることを予測していたというのです。
当時の番頭 牧田仁右衛門は、故郷である倉吉の地で淀屋を開きます。
それが、明治まで続く倉吉淀屋です。





大阪の淀屋が闕所となったのちも倉吉で力をつけ、倉吉一の豪商となります。
倉吉淀屋も、鳥取藩の藩米を取り扱うなどしていたそうですが、特筆すべきは、鉄製の稲こき千刃の開発と販売です。

倉吉淀屋は、地元の刀鍛冶とともに開発、販売に尽力したといわれています。稲こきとは、脱穀のこと。稲をもみと藁に分けるための器具が稲こき千刃です。もともと竹でつくられていました。細いくし状の刃に稲をとおすものですが、刃を鉄製にすることで丈夫で楽に大量のもみを脱穀でき、重宝されたそうです。倉吉の鉄製の稲扱き千刃は、もののよさもさることながら、行商による修理などのアフターサービスも充実していたため、全国にひろまります。

その後、倉吉淀屋は大阪に進出、岡本家の時代に屋敷があったあたりに店を構えたといいます。その歴代当主は、倉吉淀屋の当主の弟であったり、子どもであったりと、密接な関係を維持しています。

                                


その後、倉吉淀屋は八代目まで、大阪淀屋は五代目まで続きますが、幕末、突如店を閉め、資金を朝廷に献上して、表舞台から去っていったと言われています。
闕所からおよそ150年以上後のことですが、それ以外にも、幕府との間に深い因縁があったのでしょうか?実際のところは、まだよくわかっていないようです。
闕所といい、店じまいといい、なにか大きな思惑があっての事だったように思えてなりません。妄想が広がりますね!!

2015年4月7日火曜日

MAEDA CRAFTのファクトリーショップ拝見!

ようやく桜も見頃になったのですが、ここ最近の雨模様でなかなか花見もできません。
今年も、淀川大堰の桜を日曜日に見に行ったのですが、あいにくの雨模様で、そそくさと帰ってきました。
これほど雨が降ると、上を見上げて桜を見るより、下の地面を見て散った桜を見たほうが、花見ができるんじゃないかと思ってしまいました。

さて今号の「モノづくり最前線」は、中崎町のMAEDA CRAFTを取材させていただきました。

ここ、製作所に併設して、ファクトリーショップ(ショールーム)があるんです。

おしゃれな雑貨屋に来た印象です
直売所も兼ねているので、どなたでも来ていただけて、しかもおもしろい!!
パン屋をイメージしたコーナー。確かにこんな売場ってありますよね
見ているだけで商品に温かみを感じ取ることができるのは、ひとつひとつにクラフトマンシップの「魂」が込められているからでしょう。
実物を「現地現物」で見ていただきたいと感じました。
所狭しとディスプレイしているのも、社長のセンスです
こんなものも!各種オーダーメードもOKなんです
今回、取材させていただいて、「木材」に対して、「モノづくり」に対して、そして「北区中崎町」でその商いをすることに対して、とても真摯に考えているのだな、と感じることができました。この思いが記事の文面から少しでも汲み取っていただけるとうれしいです。
この場所で写真撮影していく人も多いそうです
ここ最近、中崎町は「おしゃれな街」というイメージが定着しているので、中崎町に遊びに来たついでに立ち寄ってみては?

2015年4月2日木曜日

わたくし、雨男ですから。(駅探4号のつづき)


気がつけば、今年も4分の1が終わってしまい、何となく暮れの忙しさがひしひしと感じてしまう今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか。
ここで、残り4分の3になりましたので、ひとことごあいさつを。


本年もご愛顧いただきましてありがとうございました。来年もよい年をお迎えください……



違 い ま す し 、 早 す ぎ ま す 。
失礼しました。(一度はこのネタをやってみたかったんです。すいません)


しかし、「新年度」であります。本年度2015年度も、新たなスタートを切った方もいらっしゃるでしょう。新天地はいかがでしょうか。
私も今年から仕事が変わりまして、頑張っています。お互いに頑張りましょうね。





さて、つひまぶ第4号が先月下旬に発行されました。皆さんのお手元には届いていますか。
北区役所に行けば確実に手に入りますが、他のお店でも配布しておりますので、お買い物ついでにお持ち帰りください。
このブログの右側に配布先リストがありますので、どうぞよろしくお願いいたします。

私も、前回と同様コラム「駅探」を担当させていただきました。
今回のネタは京阪電車。気になる「あの」物体がどういう「モノ」なのか、京阪電車にお話をお伺いに行く。という話でしたね。
具体的にいうと、これですわ。





記事を読んでいただくと、この写真の説明板の通りなんです。しかし、肝心の「太陽光はどこに使われているか」を、記事の中では文章で説明しているだけなんですね。少しわかりにくかったかなあ?本来なら、太陽光を使用している照明器具を写真で載せた方がわかりやすいですし、取材先の京阪の方とも、この写真を撮りますので駅で撮影の許可くださいみたいな話をしておりました。

でも、その照明器具を本誌では取り上げませんでした。何でか?
それは私が雨男だったから。(´・ω・`)

記事の中でも書いてある通り、太陽光を照明とするアイデアは、太陽が出て、はじめて機能するという性質のもの。陽が照っていない、雨の日、曇天の日、夜の時間帯は、照明器具はあれど、光っていないのです。
私も、普段の仕事の間に、写真撮りに行けばいいかな。と、思っていたんですが、いかんなく雨男の本領を発揮してしまいました。今の仕事の休みが毎週火・水曜日なのですが、必ず曇っています。たまに公休出勤するのですが、その時は晴れているのにね……

雨男はあきません。いっつもそうです。小学1年生の初めての遠足も雨でした。目的地の天王寺動物園に着いても、ほとんど動物を見ず、行き先を阪神高速市内一巡。誰が悲しゅうて防音壁だらけの環状線を走らなあかんのでしょうか。(市営定期観光バスも、いちおう観光コースとして組み入れられていましたが)
初めてのデートの時も、寒すぎる神戸で雪混じりのみぞれですよ。雨男・雨女って、人生いつも損ばかりしていると思います。運命って悲しいですね。。・゚・(ノд`)・゚・。


今回は照明がメインではなく、上の写真のレンズの集合体がどういうものなのかという話なので、とにかくそのレンズのお化け写真をメインに持って来ました。無理しても、太陽光が照らしている照明器具を載せられなくもなかったのですが、本文も700文字程度のコラムですから、これ以上文字スペースを削るのは難しいので断念しました。

ただ、そうは言いつつも、やはり太陽光が届いている所を見たいのが思うのが本当のところ。
今回はおまけとして、その照明がどこらへんにあるのかを動画で撮ってまいりましたのでどうぞご覧下さい。(5分くらいの長いやつになっちゃった)



これに関しても、雨男の力が発揮され、残念なことになっていますけど。。。。

しかし、よく考えたら、別に光っていなくてもよかったんじゃない?って、このブログ書きながら思いました。だって、紙面では光っているかどうかはわかりにくいですからね。

いやはや、雑誌の編集や構成って難しいなあ~