2015年3月16日月曜日

郷土研究「上方」にみる昭和初期のご長寿

以前にご紹介した郷土研究「上方」。
昭和12年1月号はなんと「上方長寿号」でした。
「上方」にはさまざまな特集号がありますが、今回はこちらをご紹介したいと思います。いずれ、「上方」の特集一覧みたいなのをつくりたいと思っている今日このごろです。余談ですが。



編集後記にあたる欄で、上方在住の長寿者は少なくないが、ただ歳を重ねているというだけでなく、なにか日々の仕事に精進を続けられている方が尊いと思い、心付いた人々だけを記録。年齢の基準は80歳以上としていることが明記されています。

三代目井上八千代さんは「百歳にして舞ふ」
四天王寺吉祥院三面大黒の福生講の講元・山崎文助翁は93歳
墨流加藤治翁は91歳
「上方」表紙絵を描く長谷川貞信翁は90歳
箏曲会の最長老・中平福之都さんは86歳
新聞界の長老・小西勝一翁は80歳
舞嫗佐藤くにさんは80歳

など、現役で活躍されている方々ばかり。もちろん、昭和初期にこの年齢なので、生まれは明治ではなく江戸時代。「嘉永」「弘化」「天保」などとあります。江戸から明治、大正、昭和を経ているいま、江戸時代のことが、余計に遠く、現代とはかけ離れていると思いがちですが、「上方」をみていると、とても近い時代のことのように感じられます。たとえば、「上方」表紙絵の長谷川貞信翁の話のなかにこんなくだりがあります。

梅田から神戸へ汽車が開通したのはたしか明治六七年の頃かと思ひますが、その頃私は神戸の商館へ茶箱の書を描きによく参って居りましたので、開通早々一番に初乗りをいたしました。いつも神戸へ参りますと一ニ泊止りでしたが、汽車のお蔭で朝行って午後に用済みで宅へ帰りますと、驚いたのは両親で(初代貞信)お前どこへ行ったのや神戸やないかと不審そうに尋ねますから、ヘイ汽車が出来ましたから乗って来ましたと申ますと、母は呆れて、この児はまア大胆なそんなものに乗ってどうするのやと大変に叱られました事を思ひ出します。近頃孫が一度飛行機に乗りたいと申しますから私が一番に止めましたが、よく考へて見ると時代がそれだけ変って来たことをハッキリ判ります。

時代の変化を肌身に感じる時代だったことがよくわかります。

また、舞嫗佐藤くにさんの逸話では、くにさんが三度の飯より藝ごとがすきで、(六代目)菊五郎の芝居は名古屋、東京まで観にいっていたことや、東京の藝である長唄、清元、常磐津などを北新地に移したこと、それから全大阪の花街伝わっていったことなどが記録されています。こんな話を読むとまたおもしろいですね。

隙間に描かれている「萬歳 アーラ目出度や 鶴は千年亀は萬年東方朔は九千歳ポンポン」というのもめでたく面白く、にんまりしてしまいます。



人だけでなく、長寿にまつわるさまざまな見出しをみていると、ついつい引き込まれてしまいます。
上方における老樹名木など、いまどうなっているのか気になります。
ここに記載されている名木巡りをしてみたくなりますね。
そんなお話はまたいづれ