2015年12月31日木曜日

専念寺で除夜の鐘を☆




扇町総合高校の向かいにある専念寺で、除夜の鐘を撞くことができます。
このお寺さんの鐘は少し変わっていて、3連になってるのです。続けざまに、3つ、撞きます。3つとも大きさが違うので、音色の高低や伸びが違うのですよ。
大晦日は夜中じゅう開門しているので、ぜひ、撞きにきてくださいとのこと。

大阪市北区同心1-1-5
寺町筋の一番東側です。OAPのすぐ近くです。

2015年12月28日月曜日

ドージマ地下センターのレオニダス

12月28日のつひまぶグログです。
仕事納めの方も多いのでしょうか?
私はまだ納まっていません!

そんなことはともかく。
ドージマ地下センターにある「レオニダス」をご存知でしょうか?


何をかくそう、チョコレート大好きな私。
個人的なことで恐縮ですが、新婚旅行先はオランダとベルギーでした。
チョコレートと地ビール。美食の国ベルギーに行ってきたのです。
通りを歩けばチョコレート屋さんに当たる、と言われるだけあって、歩くほどチョコレート屋さんに出会う国。いく先々でチョコレートを購入したことは、言うまでもありません。同じツアーの方に「それ、全部チョコレート?」と言われたのもいい思い出です。
いく先々で看板を見たのでベルギー国内で有名なお店なんだろうとは思っていたのですが、キタにもお店があったとは知らなかったのでした。 
しかも、よく通っていたドージマ地下センターに!!

聞けば数年前から堂島にお店はあったそう。
ベルギー王室御用達、世界50か国以上にお店があるそうです。
1913年創業の、100年を超える老舗です。
ベルギーのお店同様、一粒から購入可能、セットも箱もあります。
三粒で500円というお手頃な商品もあります。


バレンタインが近づくと、ヨーロッパの有名なお店はこぞって日本にやってきます。
その際に、旅の思い出として、ベルギーのチョコレートをよく買います。
でも、レオニダスを見た記憶はほとんどありません。
そんな、イベントの特別感はなく、まさにベルギーのまちかどにいつもあるようにドージマ地下センターにいつもあるチョコレート屋さん。

一粒で無限の幸福感が味わえるチョコレートが、ドージマにあります。

2015年12月25日金曜日

本日まで!新梅田シティ ドイツ・クリスマスマーケット大阪2015 


みなさん、こんにちは。ヨリトモです。
メリークリスマス☆

まち中にクリスマスソングが流れるのも今日まで!?
ということで、思いっきり今日までの情報を。。。

新梅田シティでドイツ・クリスマスマーケット大阪2015
本日の22:00までやっています!

クリスマス気分を盛り上げるドイツのオーナメントやキャンドルの販売や、
100年以上の歴史ある木製メリーゴーランドもあり、
25日の夜にぴったりです。

また梅田スカイビルの空中庭園展望台は、
クリスマス延長営業をしており、23:00まで入場可、
23:30まで空中庭園からの夜景が楽しめます!!

クリスマスマーケットでホットワインやソーセージを楽しみ、
仕上げにスカイビルからの夜景を☆

詳しくは、こちら。

2015年12月24日木曜日

天満といえば、天神さん!そう思える瞬間。

日付も変わり、本日はクリスマスイブです!
楽しみにしていた人も特に用事がない人も、町中がクリスマス一色になる日です。
ただ、明日がクリスマスで金曜日なので、明日のほうが盛り上がるかもしれないですね。

さて、今日のブログは「天満といえば、天神さん!そう思える瞬間。」です。
北区にいると、天満宮とは切っても切れない土地柄なんだなと、強く感じることがよくあります。
そのなかで、最近JRの駅が「大阪環状線改造プロジェクト」として、さまざまな取り組みを行っていることをご存知ですか?
わかりやすいところだと、「駅美装改良」や「各駅独自の発車メロディ採用」などが挙げられます。
天満駅も例外に漏れずに改良工事がされたのですが、駅トイレ改装くらいで大した違いに気づいていない人が多くないですか?
でも、そのなかでも駅名が書いてある看板、いわゆる「駅名標」が変わっているのです。

ガラリと変わった駅名標
新しく変わった駅名標の下側をよく見てみると、天満はやっぱり天神さんだなぁと思わせます。
梅と提灯。天満宮の梅まつりをイメージさせます
向かって右側には、梅の花と提灯が飾られて、天満宮を思い起こさせます。
天満宮の紋も「梅鉢」ですからね。

でもって、左側を見ると…、
神輿と提灯!
これは確実に天神祭ですね!
しかも鳳凰が乗っているということは、菅南連合(八丁会)が奉仕している「鳳神輿」ではありませんか!
左右に描かれている提灯は、天神祭の提灯の代名詞と言われる、地元の「かわい提灯舗」さんの提灯でしょうか?

そして発車メロディが新しくなって「花火」(曲:aiko/編曲:島田昌典)が流れています。
よく聞くと、花火のメロディに乗せて天神祭のお囃子も乗って聞こえます。

天神さんと切っても切れないと感じる天満駅をぜひ体感してみてください。


2015年12月17日木曜日

中之島スマイルアートプロジェクト「ひかりの実」を製作しよう!

前回に続き、イルミネーションの話題です。

大阪光の饗宴は、1212日から全プログラムが開催されました。


東会場の中之島ローズライトパーク(中之島バラ園)では北区の保育園・幼稚園・小学校に通う子供たちが製作した「ひかりの実」を樹木に取り付けました。



「ひかりの実」は果実を病気や害虫から守る果実袋に笑顔を描きます。その中に果実を衝撃から守るフルーツキャップとLED電球を入れて丸くして明かりを灯します。コンセプトは「中之島を笑顔で彩ろう」というもの、この手作りの「ひかりの実」を公園の樹木に飾りつけ、優しい光で幻想的な夜景を作ります。

光の饗宴は見るだけでなく、「ひかりの実ワークショップ」に参加して光の風景を作りませんか? (122517時~22時まで開催)







煌びやかな飾りのプログラムはきれいで迫力がありますが、今年のような規模は小さくても、温かみがあるプログラムはとても身近な感じがします。

例年通り、阪神高速の下では大道芸のパフォーマー
寒い中、ここは熱気に包まれています。


さて、ほたるまちのプログラムはどんなのでしょう。。。
いろいろ楽しんでくださ~い。





2015年12月14日月曜日

「大坂七墓」のひとつ「浜の墓」は日本最初の火葬がおこなわれた場所らしい

その昔、大阪の町の周辺に「大坂七墓」と呼ばれる古い墓地がありまして、「濱」「梅田」「葭原」「千日」「蒲生」「鳶田」「小橋」の7つだといわれています。梅田墓はなくなっちゃってるみたいだし、北区で現存しているところといえば、豊崎の「濱墓所」があります。俗に、浜の墓といわれている、南浜墓地ですな。

この7つの墓をめぐるツアー、七墓巡りというのが江戸時代にありまして、陸奥賢さんがそれを現代によみがえられております。
そのことについては、今年の3月に発刊したつひまぶ「巡礼号」に寄稿していただいているので、そちらをご覧あれ。
楽しくも意義のあるイベントです。

さて、浜の墓。

行ってみると、墓地の入口脇に、お地蔵さんが安置された祠があり、「行基菩薩開基南濱墓所」「道引之地蔵」と刻まれた石碑があります。



行基さんです。
天平時代のお坊さんで、民衆のなかに分け入り、近畿一円におびただしい数の土木と建築を行なった人で、まさに天平時代の田中角栄というか人間ブルドーザーというか、そういう人です。北区内でも、行基が残した仕事は、たくさんあります。

で、この墓地もまた、行基によって整備されたようです。






お地蔵さんの祠に、以下のような縁起がありました。

南浜墓地は、行基菩薩(約1300年前)によって整地され、我が国最初の墓所であって、天平19年7月阿弥陀如来六観音六地蔵尊を安置し、荼毘開闢の供養が行われた。
その後、世相の変遷により次第に荒退し、大正14年豊崎町より大阪市に移管された。
天満の住人秋田羅以(らい)は、日頃、嫡子を望み、神仏に祈願していたところ、ある日、ひとりの行者が訪れ「南浜墓地の南浜地蔵尊を信仰せよ。必ず願いは叶えられる」と言って立ち去った。早速、地蔵尊を祈願したところ、霊験新たか、明治24年1月9日、男子が授けられた。その御恩報謝として同年9月に現存の地蔵尊石仏並びにお堂が建立され、今日に至った。

昭和60年1月20日 導引き地蔵講世話人


縁起には書かれていないのだけれども、ここは日本最初の火葬場が設置された場所でもあるらしいです。

かつては豊崎町が管理していて、今は、大阪市が管理してます。でも、雑草も目立つし、細かく手入れされているわけではないみたいですね。
年代を感じさせる墓が多いのは、新規でお墓を建てることは禁止されているからだそうです。もちろん、現代の墓地のように区画がキチンと整備されているわけではなく、なんとなくランダムに並んでます。





ここで肝試しやったら、相当怖そうですね。。。
というよりも、ちょっと妙な気を感じて、あんまり長居することができませんでした。胸騒ぎめいたものもあったし、僕とは相性がもひとつよろしくないみたいです。ゆる~い時間が流れてる、素敵な場所やとは思うんですけどね。


さて、火葬もそうですが、仏教は、いつごろから葬式に手を染めるようになったんかということを、ツラツラと振り返ってみたいと思います。断片的にいろんな知識を詰め込んでるんで、ここで自分の頭を整理したいな、と。


法隆寺の釈迦三尊や天寿国繍帳が聖徳太子の追善を目的としたものと考えられるので、少なくとも飛鳥時代には、仏教界に死者追善の考えがあったことになります。
ただ、記録を見るかぎりでは、葬儀そのものに仏教がかかわるのは、奈良時代、聖武天皇の埋葬や持統天皇の火葬があるので、仏教が正式な儀式としての葬儀を執り行ったのは、そこあたりではなかろうかと言われています。
持統天皇の葬儀は703年(大宝3年)なので、飛鳥時代末期、奈良時代の幕開け直前。

その後、仏教式の葬儀や死後の供養は、平安時代の貴族社会にひろく見られるようになります。特に浄土教の普及によって、死後の世界としての極楽浄土の観念が一般化し、どうしたら極楽に往生できるか、また死者を極楽で安楽に過ごさせることができるかが大きな関心事になります。宇治の平等院なんて、まさにその考えの具現化ですな。

平安中期になると、源信らに指導された叡山僧の結社である二十五三昧会が(比叡山は念仏の総本山でもあるので、このような念仏中心の修業を行なう集団がいくつか出てきます)、いろいろと様式を整備していきます。
光明真言、つまり念仏とも呪文とも呼ばれるものを唱え、吹きかけた土砂を亡骸に撒く、安養廟をつくり卒塔婆を立てて墓所とする、などの様式を整えていきます。
光明真言によって加持された土砂を遺骸や墓地に撒くと、罪業を除き、成仏して極楽に行けるという考えは、当時、ひろく普及されたようです。

さて、こうした貴族や出家者の場合ではなく、一般の庶民のあいだではどうだったのか。
一般の庶民に仏教を布教したのは、聖と呼ばれる人たちです。
日本の仏教はそもそもが国家事業として輸入されたもので、新たな世界観を輸入すると同時に、そこに付随するさまざまな文明、文字や土木や建築や律令といったものまでを含めての仏教なので、遣隋使や遣唐使などを派遣して国家事業としてそれをやってきました。で、これらをもたらす人たちは、国費の留学生や国費で招いた渡来人たちです。
僧はそのなかに含まれるので、今でいうところの、国家公務員です。イメージとしては、国立大学の教授というのが一番近いですかね。当時の僧というのは、国家権力をバックにした資格、つまり得度が必要で、オレは今日から出家して僧になる!とは、勝手にはできん存在なのでした。

ただ、そういう人たちはエリートだし、下々のことにまで目配せするのはムリというもんで、彼らの恩恵の及ばない一般の民のために、オレは僧の免許はないけれども、人々の救済のために立ち上がる!と、覚醒した人は、まあ、今でいうところの無免許医師の赤ひげ先生みたいなもんですな。
国家公務員として給料もらいながらやってる正式な僧と違って、彼らはボランティアですから、民衆からは聖として崇め奉られ、生き菩薩と呼ばれます。難しい言葉では、私度僧と言います。公に得度(正式な僧としての免状を与えられる儀式)してないので、私度の僧、というほどの意味です。

天平時代の行基や、平安時代にくだると、つぶやいた念仏の言葉が仏さんになってる(言霊ですな)像でおなじみの空也上人などが、私度僧、聖の代表的な人です。

こういう人たちが、生き倒れた人の埋葬などにも携わり、民間への念仏の普及にも大きな役割を果たします。

15世紀頃になると、僧の仕事の大半は葬儀関係が占めるようになってます。

江戸時代になると、寺壇制度が確立されます。
これは、葬式仏教の最後の総仕上げともいうべきもので、寺院と檀家との関係を固定させるこの制度は、そもそもは、キリシタン禁制の徹底という目的を持ってはじめられます。
同時に、寺院が行政の末端となって、民衆の把握と統制に利用される時代のはじまりでもあるわけです。このあたり、江戸幕府の考えた統治システムはようできてるなあ、と思います。民衆に抵抗がなく、空気のように、統制システムを浸透させていくのだから、ようできた制度です。

そのなかで、葬儀と祖先供養は、寺院と檀家を結びつけるもっとも大きな柱となります。この時代、祖師忌、仏忌、盆、彼岸、先祖命日の供養にはじまり、戒名、宗門寺の住持など、こと細かい決めごとが決められてます。今に続く葬式の様式の完成形は、この時代にできたと言ってもいいくらいで。

明治以後、政治的な強制がなくなっても、寺院と檀家の関係は残り、さらには今日のように古い家の制度が崩壊しても、なお葬式仏教の機能は変化することなく続いてます。もうね、江戸幕府が考えた統治システムが、どれほど日本人の心をつかんでいたか、ということの証明になってますね、これは。

さて問題は、このような葬式仏教が、仏教思想のなかで、なにを根拠にして発展してきたか、ということです。そもそもが仏教は、自らの悟りを求める宗教で、死者供養は少なくともその中核には位置しません。

釈迦だって、涅槃するにあたって、自らの遺体の処理は在家信者に任せ、出家者には修業に専念することを求めてます。それが、のちにはインドでも死者の追善のためにストゥーパ(仏塔。転じて「卒塔婆」の語源ですな)などに寄進することも行なわれるようになってます。なんでか…。

ひとつには、廻向(eikou)という考えかたがあるんやと思います。廻向とは、もともと善行をある目的のために振り向けることで、悟りのための修業はその最たるもの。
ところが、大乗仏教が形成され、菩薩(利他の精神)という考えが出現し、自らの善行を他者の利益のために振り向けることが認められるようになってきます。
死者のように、すでに善行を成すことのできない者のために代わって善行を成し、その功徳を死者に振り向ける追善ということが、ここで可能になるわけです。
このとき、自分自身の業はあくまで自らが背負うのが原則であるはずの自業自得の考えから、大きく転換します。これ、コペルニクス的転換で、ちょっとでかすぎる転換でついていけるんかいな?と思わんでもないんですが、どれほどかの時間をかけて、そういう転換が行なわれたのでした。

この考えが中国に入り、さらに発展します。

中国は根本的に様式美の国なので、いろいろと仏事が整備されていくわけです。
四十九日まで七日ごとに七回の仏事に加えて、百ヶ日、一周忌、三回忌が修されるようになり、全部で10回の仏事があるので十仏事と呼ばれ、これが十王信仰と結びつけられます。十王信仰は閻魔信仰の発展したもので、四十九日までに裁判が行われたり、最後の裁判官が閻魔大王であったりするのは、十王信仰が十仏事と結びついて仏教入りしたもんです。
日本では、これに彼岸と盆を加えて、十三仏事となります。

民俗学的な目で見ると、日本人の死生観は、死とはタマ(魂)が身体から離脱すること、となります。
まだ新しい死者のタマはアラタマと呼ばれ、荒々しく、人に危害を加える危険な存在です。特に若くして死んだり不慮の事故で死んだ人のタマには、その傾向が著しい。そこでそのアラタマを祀り、鎮める必要があります。死者供養が必要な所以ですね。
こうして供養され、時間が経過するにつれ、次第にタマはその荒々しい性質を失い、穏やかなニギタマへと変化します。やがて年数を経るとまたは個性を失い、祖霊とひとつになり、これがカミ(祖先神)です。
タマがカミになるのにだいたい33年かかるので、年忌の最後が三十三回忌になっているのは、そのため。



…とまあ、断片的に溜めてきた知識を少し整理してみたけれども、まだまだとっ散らかったもんにしかなってませんな。。。。またどこかで、さらに深めていきたいと思ってます。

2015年12月10日木曜日

落書きだらけの壁がキレイになりました!キタのボランティアはすごい!!

去る11月28日のこと。
JR大阪駅から阪急側に渡って、新梅田食堂街の向かい。市バスと阪急バスがあるところ。
JR側から横断歩道歩いてると見えてくる落書き。
なんとも残念な光景でした。
それが、この日をもってキレイになりました!




この場所を管理しているのは、大阪市建設局さん。
バスは大阪市交通局さんと阪急バスさん。
それに曽根崎警察署さんと大阪市北区役所さん。
こんなにいろんなお役所が揃っているのも珍しいそうです。

忘れてはいけない、ペンキ!は北区大淀の日本ペイントさん。

いろいろな協力があって実現した落書き消し。
今更ですが「みんなで消すで、みんなで消すでプロジェクト」と言いました。
主催したのは、キタ歓楽街環境浄化推進協議会、北区社会福祉アクションプラン・安心安全セーフティ隊、ライオンズクラブ国際協会335~B地区(大阪府・和歌山県)、新梅田食堂街連合会のみなさん。いっぱいですね。
私も当日うかがいまいたが、もう人だらけ!でした。

幅100メートル、高さ4メートルの壁を道路を規制して消すで!と聞いたときの予想に反し、当日の現場はとても一言では言いあらわせない状況でした。道路規制していたのは1車線で、その中には何台も関係車両が止まっていたので、狭さもひとしお。さらには、ペンキやはけ、ローラー以外にも、参加者用に用意されたカッパ上下セット、靴カバー、ゴーグル、マスク、軍手、ゴム手袋が置かれ、作業が終われば使用済みのそれらも置かれました。人が通れるのは、壁に沿って養生シートが敷かれた1メートル程度のスペースのみ。そこに、およそ130人のボランティアがいました。受付したりカッパを着ている間にも、先着順でペンキは塗られ、気づけは塗る場所を探すのに一苦労、といった風でした。ペンキ塗りだけで言えば、ものの30分程度で終了していました。

プロジェクトの始まりは1年以上前だそうなので、準備段階から関わってこられた方々にとってはあっけないものだったかもしれません。
実際に当日参加しただけの私にもあっという間の出来事でした。
そして、落書き消しのボランティアのみなさんがカッパを脱ぎ、笑顔で去って行った後、後片づけをしていた人々がいました。それもまたボランティアの人々でした。
このプロジェクトは、お役所のいろんな担当の人が見守るなか、ボランティアによって運営されていました。ボランティアは地元の人や、この地に縁のある人たちでした。
ボランティアにはいろんな取り組みかたがあって、ちょっと時間があったからその場で参加!というのもありだし、準備や片付けを予想してそこから参加するのもありだし、事によってはそのスタートから参加するのもありです。なんでもありなんですね。
ボランティアの人々を見ていると、世代や職種を超えるって、簡単なことかもしれない、と思えてきました。
と、ボランティアについてまで考えさせられるすごいイベントだったのでした。
近くを通られる際には、キレイになった壁をぜひ見てみてください。

そして、これからは落書きされないといいですね。








2015年12月7日月曜日

大阪駅に車で行ったならば…。

師走に入り、街中も慌ただしくなってきました。
年末に向けて済ませたい事が多すぎて、どうしても急ぎたくなる気持ちがありますが、そんな時こそ落ち着こうと、毎年思っています。
そんな師走のある日、大阪駅にマイカーで行く用事がありまして、大阪ステーションシティ駐車場に停めました。

駐車場からノースゲートビルまでは200mくらい離れているのですが、連絡通路の途中に昭和37年拡大増設された大阪駅の旧11番線ホーム(主に北陸方面の特急用ホーム)が残っていて、その面影があるのです。
連絡通路は、大阪駅旧11番線ホームの名残りです
そのホームを残しつつ、足りない場所は屋根を繋いだりしたり、一部は屋根がなかったりしているから、雨天時は傘の貸し出しがあるのだそう。
ホームの面影を見ながら、梅田再開発地域を見ながら歩くには良い感じですけれども、連絡通路としての機能はちょっと低いですね。
しかも、その200mを結ぶシャトルバスまであるそうで、画像を拡大するとわかると思いますが、なんだか本当にこの短い距離で必要なのか…と思ってしまいます。
9:30から21:00まで15分間隔でシャトル運行
年間の経費ってどれくらい掛かっているのでしょうか?
連絡通路を改修するよりも安いのかな、なんて考えてしまいました。
緑ナンバーですが無料。委託業者(確か大阪MK)が運航
結局私たちは、行きも帰りも歩いたのですが、途中にこんなものを発見しました。
シャトルバスに乗っていたら気づかなかったでしょう
目の前の銘板を見てみると、殉職碑でした。
第二次世界大戦で焼失したのち、昭和31年に再建
調べてみると、殉職した当年に殉職碑が建立したが、昭和20年5月に焼失。昭和31年に再建されましたが、駅周辺の再開発でこの場所に移転してきたそうです。

駐車場利用者しか通らない場所であることと、その駐車場利用者もシャトルバスを利用するとなると、清水太右衛門は静かに駅の安全を見守っているのかな、と思いました。

「静か」といえば!
電気自動車タクシーとハイブリッドタクシー専用乗り場もこの先にあるのですが、すっかり閑古鳥状態です。
こちらも静かなことになってます
ただ、ここからの景色は結構いいものなので、年末買い物に行く際は立ち寄ってみてはいかがですか?
大淀地区が丸見え状態です










2015年12月3日木曜日

夜のキタまちあかり探索 イルミネーション


こんばんは。ヨリトモです。
先日のミリさんの光のルネサンスに引き続き、
光の情報です〜

121日から「夜のキタまちあかり」も始まっています!
6箇所のスポットに、個性あふれるイルミネーションが登場。
綱敷天神社御旅所 (17:0022:00)
中崎町駅前 (17:0023:00)
堂山町交差点 (17:0023:00)
露天神社(お初天神) (17:0022:00)
堂島薬師堂 (17:00〜翌3:00)
国産ビール発祥の地(堂島 相互タクシー前)  (17:00〜翌3:00)

かわいいマップも発行されており、
歩いてめぐる楽しみも増えますね!




201623日まで開催されています〜
ぜひ、マップを片手に、夜のキタのまちあかり探索に出かけてみましょう〜 

詳細はコチラ!

2015年11月30日月曜日

~中之島光のルネサンス2015開幕しました~


1129日、光のルネサンス2015が点灯されました。
 



12
11日までは、御堂筋イルミネーションと大阪市役所プロムナードだけですが、1212日~25日は中之島公会堂のプロジェクトマッピングを始め、リニューアルされた図書館のウォールタペストリーも復活、阪神高速下の大道芸などもあります。
重要文化財の中之島公会堂では、ワンコインコンサートがありますので、この機会に普段入れない場所にところに行くチャンスです。
大阪・光の饗宴は、すでに始まっているところが多々あります。大阪駅やスノーマンフェスティバル、ミナミ光マッセ、岸和田、堺東、天保山、新梅田シティ、天満桜の宮など、大阪のいろいろなところで灯される光で明るく元気にしようというもの、寒い季節ですが感動的な光の輝きを見にいきませんか?
 
つひまぶでもいろいろな場所で催されているイルミネーションを、ご紹介していきたいと思います。

詳しくは下記HPでプログラム・イベントをご確認下さい。
http://www.hikari-kyoen.com/renaissance/index.html#con02

2015年11月26日木曜日

イースタンユースのアルバム「旅路ニ季節ガ燃エ落チル」のジャケットには、佐伯祐三の「立てる自画像」が使われている


日本が世界に誇る爆音バンド、イースタンユースの名盤「旅路ニ季節ガ燃エ落チル」のジャケットには、佐伯祐三の「立てる自画像」が使用されていて、それまで佐伯祐三のことをそれほど知らなかった僕は、その絵を見て、震えを覚えたのでした。

調べてみると、1998年に発売されたアルバムなので、もう、17年前のことですか。。

暗くどんよりとした空と裏ぶれた小道に立つ佐伯祐三は、顔がくすめるように塗りつぶされ、暗く、晦渋で、それでいて奔馬のごとき荒ぶる感情を有しているかのような、さまざまな相反する感情がそのまま織り込まれている、まさに青春としかいいようのない匂いを、その絵は放っていたのでした。

本当は愛し、愛されたいのにもかかわらず、そのまえにあらゆるところにノン!を突きつけなければ一歩も前に進めない…、そんな、ロックンロールが本質的に持っている二律背反の感情は、イースタンユースのアルバムにもしっかりと貫かれていて、楽曲とアートワークが拮抗した素晴らしいアルバムだと、今でも思っています。

ロックンロールの本質は、単なる反抗ではなく、この、「本当は愛し、愛されたいのにもかかわらず、そのまえにあらゆるところにノン!を突きつけなければ一歩も前に進めない…」という、ややこしい心の持ちようだと、僕は思っています。
イースタンユースはまさにそういう音を鳴らしているバンドで、彼らがアルバムのアートワークに佐伯祐三の「立てる自画像」を採用したのは、きっと、共鳴したからなんでしょうな。

1898年(明治31年)、光徳寺の13代目住職の家に、4男3女の次男として生まれる。
絵の才能に恵まれ、画塾に通うようになり、東京美術学校西洋画予備科に入学。
25歳で、フランスに渡ります。
この頃は、まだ印象派の画家を模倣している段階で、まだ佐伯独自のスタイルはなく、むしろルノワールやセザンヌを模倣してるかんじ。
ただ、フランス滞在中に、有名なエピソードである、フォーヴィズムの画家ヴラマンクとの出会いがありますな。
佐伯祐三の作品を見たヴラマンクは、「アカデミック!」という怒声を皮切りに、1時間半、佐伯祐三に罵声を浴び続けた、というエピソード。
マニュアルに染まり切った佐伯祐三の絵が、ヴラマンクには許せんかった、ということです。

ひどく自尊心を傷つけられた佐伯祐三は、今までの作品をすべてご破算にし、自分だけのスタイルを模索するため新たなスタートを切ろうとします。その頃に描いたのが、「立てる自画像」。
顔が塗りつぶされているのは、きっと、今までの自分を消し去って新たな自分を探そう!という、彼なりの決意表明やと思うんですね。

この後、佐伯祐三の絵は、ブルーとセピアを基調とした、暗い、晦渋な、奔放なスタイルになっていきます。
グランジ的で、キタノ・ブルー的な印象。この頃の作品は、僕、どれも好きですね。



その佐伯祐三は、もちろん、大阪生まれです。
さらに、中津の生まれです。中津の富島神社の隣の光徳寺で生まれてはります。

行ってみると、正門のところには、「宗教法人光徳寺」「社会福祉法人光徳寺善隣館中津学園」の札がかかっていて、その下に「佐伯」の表札があり、そのおかげで、ここが佐伯家なのだということがわかります。







ただし、記念館的なものでもないし、ここに作品はありません。
悪しからず。

2015年11月23日月曜日

カファレルのチョコレートが好きなだけ食べれちゃうのは、毎週金曜17時から!



赤地に白の水玉模様のまあるいふたに透明なビン。
絵本に出てきそうなキノコ型のポットを開ければ、中からキノコの形をしたチョコレートが!!
この乙女じゃなくても心をくすぐられるデザイン。
他にも、てんとう虫や猫のアルミラッピング入りのチョコレートもあります。
でも、やっぱり外せないのは定番「ジャンドゥーヤ」

お土産でもらったことのある方も多いのではないでしょうか?
一度見たら忘れられないこれらのチョコレートの数々は、イタリアトリノの老舗「カファレル」のものです。






カファレルは、グランフロント南館の地下にあります。
しかもカフェが併設されています。
いつもそんなに混んでいないのは、持ち帰りされる方が多いからでしょうね。



そんな優雅なカフェで、金曜日の夜限定チョコレート食べ放題をやっています。
しかもワンドリンク付きで1080円(税込)です。
チョコレートは2種類。ジャンドゥーヤチョコレートとビターチョコレートがあります。



「え、2種類しかないの?」なんて思うなかれ。
ジャンドゥーヤチョコレートは柔らかく、甘く、じんわりと満たされます。お店の自慢のチョコレートなだけあって、飽きのこない、でもまた食べたくなる理想のチョコレートです。ビターチョコレートは硬く、噛むとカリッという音がするほど。でもつまんでいる手では、指の熱でチョコレートが柔らかくなっていくのがわかります。口どけは言わずもがなです。甘さ控えめなので大つぶでも気にぜず食べてしまえます。まったくタイプの異なる、絶妙の2種類なのです。


おかわり自由なので、取り皿に盛らなくても、少しずつ楽しむこともできます。
一口食べるだけでも疲れを忘れさせてくれる効果のあるチョコレート。
それが思う存分食べられとあって、一週間の疲れもどこへやら、です。
実際、ヘロヘロで荒んでいた私も、お店を出るころには気持ちが落ち着いていました。

温かいお茶ともに、ぜひ。

毎週金曜日17時~22時。
混雑時は制限時間1時間だそうですよ。

2015年11月19日木曜日

理容室での会話でキタが分かってくる!

今週は天候不順な日が続いていますが、体調を崩していませんか?
私はかなりの寒がりなので、すでに暖房のお世話になっています。
みなさんも、そろそろ冬支度を始めて、体調を崩さないようにしてくださいね。

今日のブログは「理容室での会話でキタがわかってくる!」です。

私の場合、理容室に概ね2週間に1度行くのですが、ここと決めたら同じ店に通っています。いまのお店も通い始めて数年っていったところでしょうか。
私はどちらかというと、年配のマスターがいるお店を(たいていこの場合は夫婦で経営していることが多いです)選ぶのですが、年配の方だと散髪中にいろいろな話が聞くことができます。

先週も散髪に行ったのですが、満席のため、後ろの待合いスペースで散髪待ちをしようとした直後に、先客とマスターの会話が耳に入ってきました。

マ:「たまーに、貸してほしいっていってくるなぁ」
客:「写真をか?」
マ:「そう。うちにはあまり写真がないけどなぁ」
マ:「前は読売テレビが来て、そのちょっと前は毎日放送が来てたわ」

という会話から、テレビ局がこのお店に何かの写真を借りにくるみたいです。

マ:「あの時はすごかった」
客:「あんときは天2にいたけれど、すごい音が聞こえたのを覚えてる」

っていうような会話の後に、マスターが私に会話を回してきました。
「(都島通りを指さして)ここの前のガス爆発事故って知ってます?」
聞いたことはあった「地下鉄ガス爆発事故」のことでした。
昭和45年4月8日に起きた事故ですから、まだ私が生まれる前です。

私:「聞いたことはありますけど…」
マ:「じゃあ、これ見ますか?」

と言って出してくれたのは、読売テレビで放送していた特集番組でした。
内容は、地元在住の人には改めて説明する必要はないでしょうが、私は初めて見る映像とともに、事故の大きさを目の当たりにしました。

マ:「そこんとこのガラス屋から、あそこの植木屋までで爆発したんよ」
私:「そうなんですかー」

と言いつつも、はっきりした土地勘がないため、散髪が終わったらブログの写真を撮りがてら、見に行ってみようということにしました。
右手の植木屋から左のガラス屋
(パチンコ屋の電光掲示板が見える手前あたり)
で事故が発生
撮影して気付いたのですが、さっき散髪していた理容室は、現場前に立地していたんだなぁ。そりゃ、テレビ局の人も番組制作用の資料も借りにくるんだろうと納得しました。

国分寺公園に設置された慰霊碑
そして国分寺公園には犠牲者を悼む慰霊碑もありますが、都島通りから1本入っているため、人の目に触れる機会が少なく、時とともに事故が風化されてしまわないか心配です。

せいぜい4~50分滞在する理容室の会話から、北区のいろいろなことが聞けることで、私の北区知識が増えていきます。
今度行ったら、またいろいろ教えてもらおうと思ってます。
皆さんも、行きつけのお店で思わぬ地元話を聞かせてもらってはいかがですか?

2015年11月16日月曜日

つひまぶ2015.11月号「彼女とキタのラブストーリー」の裏側



こんばんは。ヨリトモです。
今日は大川沿いで打ち合わせだったのですが、
大川沿いの桜。もう少し紅葉楽しめそうです。

さて、つひまぶ11月号。
みなさん、もうお手元にお持ちでしょうか?
改めて読み返してみると、いちメンバーですが、
客観的にとてもいい特集だな〜と感じています。

担当させてもらった「彼女とキタのラブストーリー」では、
JACK&BETTYのママ おすぎ純子さんにインタビューさせていただきました。

30年以上の歴史をもつ、老舗ニューハーフショーハウスのママに取材。
なんて、なかなか出来ない経験!
取材はどんな時でも誰にでも緊張する質の私ですが、
いつもにもまして、すごく緊張してたんです。。

ところが、取材をはじめ、お話しさせていただくうちに、
本当に不思議なくらい、安心感を感じながらお話できたのです。
もちろん、編集長やメンバーが同席して下さっていた。というのもありますが、
おすぎ純子さんのお人柄が大きかったのだと思います。

記事にも書かせていただきましたが、
母のような大きな愛と、生き方そのものの男勝りなかっこよさが、
1時間弱の短い取材時間の中でも伝わってきて、
おすぎ純子さんのファンになってしまったのでした。

今度はプライベートでお店に遊びに行きたいと思います!

みなさんも是非、一度JACK&BETTYへ☆
お店のお姉さん、本当に綺麗!(ビックリしました!)
ママの明日への活力になる言葉もいっぱいもらえます!!

【お店情報】 
JACK&BETTY
530-0018
大阪市小松原町1-7 ミスターりんビル3F(旧梅田花月向かい)
時間:19:00Last
定休日:日曜日(祝祭日は営業しております。)

2015年11月12日木曜日

中之島の釣事情。。。釣は厳禁ですよ!

月に一度の地域清掃の日、ご近所さんとの会話
「夜になると釣してる人よく見かけるよね」
「何、釣ってるの?」
「鰻だって!」
「こんな汚れた川の鰻食べたら臭いだろうね・・・」
昔子供の頃、家の窓から天満堀川に釣竿たらしたらウナギがよく釣れてなぁ、よく食べたわ。。。」
昔はきれいな川だったのね。(昭和20年代頃まで)

私が物心ついた頃の天満堀川は、メタンガスがポコポコでていた臭いドブ川でした。
中学に入る前には埋め立てられてしまって、堀川沿いに住んでいた友達は「これから窓が開けれる」って喜んでいたけど、道路になって砂埃や騒音で結局窓が開けられず、吹田に引っ越してしまった。

あれから40年超、今はその頃よりはきれいだけど、ここで釣った魚を食べたいなんて思わない。。。

しかし、ここ数年ホントによく釣り人を見かける。
1m以上もある鯉がいるとか、そういう趣味の方よりも最近はこういう方が多い。

釣竿を何本も使って何を釣るか?って、鰻、それも正真正銘の大阪産天然鰻!

そういえば、堂島川沿いに鰻屋さんがある。

市之側沿い、ここは鰻で有名だったそう、昔は堂島川で釣った鰻を提供していた。その頃は今みたいに高くなかったでしょうね。。。川で獲ったら仕入タダ?(笑)

今は釣った鰻を食べるのではなく売る。

天然鰻は高値で売れるからいいお商売になるらしい・・・

そして、釣り人をよく見かける場所は、堂島川沿い


潮の流れや天気で異なる。

こうして書いて言うのも申し訳ないのですが、中之島は釣は厳禁!
ご注意くださいませ。。。