2014年10月23日木曜日

さようなら、関西大学天六学舎


その年、二部文学部哲学科に入学したのは七人でした。
一人だけ女性が居ましたが、その人は最初から一度も学校に出て来ませんでした。
泉佐野市役所に通っていたKさんは、とても真面目な感じの人でしたが、さすがに物理的に通学が難しかったのか、一年経たずに来なくなりました。
塾講師のSさん(だったかな?)は、仕事が忙しくなって二年目で来なくなりました。
倫理学・宗教学を専攻していたNさんは、三年目に病気でリタイヤして田舎に帰らはりました。
純粋哲学を専攻していたIさんは、「これから何年か図書館に籠もって思想の最先端に追いつくんや」と、見事四年で卒業していかはりました。
そして僕は七年目、まるでナバロンの要塞の如く難攻不落のドイツ語を艱難辛苦の末にやっとのことで攻略し、へろへろになって卒業しました。
なお、これが天六学舎の最後の卒業式になりました。
さて、最後に残った一人、堺市役所のYさんは、どうなったのか知りません。ラスト一年、無事に卒業されたのでしょうか。
考えてみると、あの年に哲学科に入学したうち、確実に卒業したのは二人だけやったんですね。なんか感慨深いです。
そんな私たちの学舎、関西大学天六学舎が、この十月からいよいよ取り壊しにはいります。
飲み屋と雀荘、パチンコ屋のトンネルをくぐって辿り着く、我が学舎。校門に辿り着く前に、それら誘惑の海に絡め取られ、溺れていった者多数。まるでモン・サン・ミッシェルの如き、遙かなる我が母校。
九月半ば、二十数年ぶりに訪ねてみました。毎日のように350円のカツ丼を食べていた地下食堂、野球部が練習していた鳥かごのような運動場、窓の外にひろがる長柄斎場の墓場。まるで昨日のことのように記憶が甦ってきました。昨日のわりに、同級生の名前はうろ覚えなんですが。
ああそしてまた一つ、北区の昭和が過ぎ去っていきます。