2014年9月29日月曜日

ツッコミどころ満載!キタのアミューズメント型マンションのパイオニア

扇町から源八橋へ向かう途中、突っ込みどころ満載のマンションがあります。
昨今、複合施設を併設させたアミューズメント型のマンションが流行りだけれども、ここは、40年も前からアミューズメント型マンションです。アミューズメント・マンションのパイオニア(笑)


あんまりおもろいんで、写真とってきました。

共用部分の通路の両サイドに、壁画あります(笑)
左が赤富士で、右が彦根城(笑)
しかも、彦根城なんて、石垣を実際につくってあります
なんでやねん!(笑)

そのまえには、アンティークな和家具が。

なんでも、先々代が近江の出で、近江商人やった人で、ここにマンションを建てたときに、実家の蔵に置いてあった古家具を持ってきて、ここに展示したんだとか(笑)

なにも展示せんでもいいとは思うんですが、みんなに見てもらいたい!と(笑)
ちなみに、彦根城は、先々代の奥さんが大好きで、大阪に出てきて彦根に帰ることもなくなったから、せめて壁画を、ということで、描いたんやそうです。
なんでやねん!(笑)

ということは、みんなに見てもらいたいというのは口実で、自分らが見たいだけなんじゃ(笑)
だって、普通、石垣までつくらんでしょ。
それに、通路にモノを置くな!って札まで張ってるのに、自分らだけは置きまくりやし(笑)

ほか、水車やら乳母車やら行李やら井戸のポンプやら、珍しいもんがたくさん展示してあって、とてもマンションのエントランスには見えません(笑)

でもね、中庭があって、そこが日本庭園になってるんですよ!
マンションの中庭が日本庭園ですよ!

でも、よく見ると、お地蔵さんなんかに混じって、地球儀の石像やらゴジラの石像やらも(笑)
もうね、このセンスが、まーったくわかりません。
なんでやねん!(笑)

でもおもろいから、これからも、ちょこちょこ見に行こうと思ってます☆

さすがに、住む気にはなりませんが。


昨今流行のアミューズメント・マンション。
大阪のは、ちと違います。
ちなみに、築40年。






道に面しているのは6号棟。
ってことは、奥に向かって、合計6棟あるってことです。意外とデカいです。
で、通路というか、奥へ入っていくための連絡道なんですが、両サイドに、な、なんと、壁画(笑)
で、壁画の前には、なぜか古家具が(笑)
なんでやねん!(笑)















中へ進むと、日本庭園があります。
えべっさんの石像があります。
見ざる聞かざる言わざるの三猿もいます。
なんでやねん!(笑)















どさくさにまぎれて、石でつくった地球儀もあります。
なぜか、ゴジラの石像もあります(笑)
なんでやねん!(笑)














先々代がこのマンションを建てたのだそうですが、出身は、近江商人。
近江の実家の蔵から、いろんなものを持ってきては、このオープンスペースに飾って、みんなに見てもらっているそうです。
水車、水瓶、乳母車なんてものまでありました。
なんでやねん!(笑)















アンティークの箪笥も。
今となっては、結構な高値で売れるんじゃないですかね?















なんかね、あちらこちらに、珍しい不思議なもんがさりげなく置かれているんですよ(笑)
なんでやねん!(笑)















オーナーが率先して、禁を破ってます(笑)
なんでやねん!(笑)


2014年9月25日木曜日

大阪梅田一番地


梅田の阪神百貨店が建て替えしますね。
もともと僕は阪神電鉄沿線の住民なので、阪神百貨店や阪神電車には普段から親しみを感じています。阪神電車のあの、ホームを真剣に走れば発車を少し待ってくれる寛容さ。阪神百貨店のあの、百貨店なのにたまに妙な安売りをしてたりする人情味。阪急や近鉄とはひと味違いますよね・・・。
阪神百貨店というとその昔、テレビでコマーシャルを流してましたよね。「はーんーしーんー、はーんーしーんー、おおさっかぁ、うっめっだぁ、いちばぁーんーちー」って。
そう、あの大阪神ビルこそが「大阪市北区梅田の一番地」やったんですね、たぶん。てゆうか、あの歌を信じるとしたならば。
梅田の、まだ丁目が無い頃の、さらに住居表示もされていない頃の「一番地」。つまり、そここそが梅田の真ん中やったんですよね、きっと。
そんな阪神百貨店には、昔よく通った一角がありました。六階の、電気売り場の奥にあった「オーディオファイル」です。ここには日本橋も顔負けのマニアックなオーディオがたくさん有りました。既にCD全盛になった頃にも、オルトフォンやシュア、ピカリングといったレコード針、そしてジャズやクラシックのレコード等をしっかりと揃えていて、いつ行ってもちょっとオシャレなおじさまがお店の人とオーディオ談義をしてたりしたものです。
めくるめく大人の趣味の世界。昔のオーディオは、そんな雰囲気がありました。夜九時から、テレビで映画を見ていると、合間に流れたエトワール海渡や三楽オーシャン、タクティクス、銀座IGINといった辺りのコマーシャルのような世界とでもゆいますか(よくわかりません?)。
婦人服、紳士服、おもちゃ、オーディオ、レストラン、屋上遊園。そんなこんなのあれこれを詰め込んだ「百貨店」というものは、単にものを売ってる場所ではなくて、その建物自体の威厳とか重さとかも含めて、ある種特別な世界やったと思います。
梅田から、最後の「百貨店」が消えてしまう。そんな寂しさをふと感じる秋です。

2014年9月22日月曜日

ウメダでカメラ


外出が気持ちのよい季節になりましたね。
のっけから恐縮ですが、長年愛用のカメラが、不調です。
気持ち良くシャッターをきっているのに、フィルムが真っ白。
こんなことが何度も続いています。
そう、フィルムを使う、古い古いカメラなのです。
旅先で落としたからなのか、海外に持ち出した際には、荷物検査で消えたのか、など色々思い当たることもあり、その都度勝手に決めつけて残念な思いをすること、数年が過ぎました。




転機になったのは、今年にはいってから。
普段は、スマホのカメラを利用しているのですが、おでかけする機会があり、どうぜならと取り出してみたのでした。
案の定、出来上がりは真っ白で、またも悲しい思いをしたのでした。
フィルムも入れたばかりだし、シャッターもきれるし、壊れている様子もない。
やっぱり、なにかおかしい!
というわけで、カメラ屋さんに行くことにしました。




お邪魔したのは、大阪駅前第四ビルのツカモトカメラさん。
カウンターで、カメラをお渡しし、状況を説明。
フィルムを入れたところで、残数24枚の表示がありました。フィルムを取らないと様子がわからない。フィルムは、撮りきらないと外せない、とのこと。
このフィルムは捨てるしかないな、とおもっていたところ、どんな技なのか、フィルムはサラの状態でまた使えますよ、と返していただきました。
なんて良心的な!!

そして、カメラをみていただきました。
瞬間に、「あぁ!」とため息がもれました。「これは典型的な」状態だそうで、フィルムに焼き付ける際に上がる幕の部分が、カメラ内部から浮いてきたノリのようなものでくっついてしまい、動かなくなっていたみたいです。
経年変化、だそうです。なにせ、古いカメラですから。
古いので、メーカーに修理を依頼しても部品がない可能性が高いと教えていただきました。



直らないとわかった今、どうするのか?
「フィルムカメラにこだわっているのか」
「同じ機種がよいのか」
「このカメラにこだわっているのか」
新たにカメラを購入するなら、フィルムカメラでなくてもよいのです。
この機種にこだわっているわけでもありません。が、同じ機種を中古でおいておられるとのことで、見せていただきました。
実は、これは思い入れの強いカメラで、使えなくても手放す気はないことをお話したところ、
「自己責任ですが」
との前置きされた上で、ノリを取り除く方法を教えてくださいました。ただ、取り除いても、今後も同じ状況は何度でも起こりうること、ノリが取れないこともあることも説明してくださいました。

結局、カメラを修理することはできませんでしたがフィルムを使える状態にしていただき、直せないまでも対処策まで教えていただいたのでした。
カメラ屋さんにとっては、まったく、どうしようもないお客です。それなのに、とても丁寧に対応してくださり、また、親身になってくださいました。

モノを買うのは簡単で、それこそキタには、たくさんのお店がありますが、買ったモノが壊れたとき、どうするのか。買うのと同じくらい捨てるのも簡単ですが、大事にしたいものであれば、悩みますね。ツカモトカメラさんは、新たに買う以外の方法も教えてくださいました。商売にはらなないんでしょうけど、お客としては、ありがたいお店です。壊れて、残念なことには違いありませんが、見ていただいたことで、なんだかすっきりしました。とても満足して帰路についたのでした。
梅田は、お店の入れ替わりが激しく、殺伐とした部分も感じますが、こんなお店が、その梅田の真ん中にあることが素敵ですね。

2014年9月18日木曜日

北区役所の中に子育て支援ルームができました。名前は…?




 北区役所の1階に、小さなお子さん(乳幼児)と親ごさんがちょっとほっこりできる部屋(スペース)ができました。
これは北区役所が「ひとりじゃないよ!こそだての‘わ’」として、区役所の建物の中に常設のルームを開設して、親同士の交流を持つことで、孤立しがちな親ごさんの負担感や不安感が少しでも軽くなれば…、区役所としてそんな保護者の方と出会いたい…ということで作ったものです。なので場所の提供だけでなく、必要に応じて専門スタッフが相談も受けています。
 オープンからまだ2ヶ月ですが、毎日平均20組、延べ800組ほどの親子が来られたそうです。
 入り口から覗いたことはあったけど、初めて中に上がらせてもらいました。外から見た感じより、中に入ると思ったより広いです。木のおもちゃや乳幼児向けの絵本もあります。
 1歳前後くらいのハイハイ、よちよち歩きの赤ちゃんとお母さん達が、たくさんいらっしゃいました。来られているお母さん達に、「写真載せてもええですか〜?」とお願いすると、「子どもならええですよ〜」とご了解いただけたので、お話も伺ってみました。

「ハイハイの頃って公園ではなかなか遊べないでしょう。ここでは思い切りハイハイさせてやれるし、よそのお子さんとも触れ合えるのが良いです。幼稚園に行くまできっと昼間は子どもと親だけやから、こんな場所があると助かります。」
「ここは3時半までやけど、毎日やっているので行こうって思ったら来れるから良いですよ。他のこんなスペースは私の家からは遠いから行けなくて。」
「昼間いっぱい遊んだら、夜ぐっすり寝てくれるかなあと思って。家にふたりでいると、家事は進まないし、ちゃんと遊んでもやれなくて中途半端になっちゃうので、思い切って来ます。」
「ベビーカーで商店街の中を通ってくるので、あんまり雨にもかからないし便利ですよ。」
「この子は障がいを持っているけど、ここで元気に遊んでいます。障がいを持ってる子も来てますよ〜。」
「最初はママ友に教えてもらって来ました。今日はひとりで来ました。ここで顔なじみになったお母さんもいますよ。」
「今日は3階の福祉課へ保育所の書類を取りに来て、帰りに寄ったんです。」
「ここは、子どもとふたりだけでも来やすいんです。」

 確かにベビーカーを押してひとりで来られるお母さんも多いです。来られた様子を見ていると、「何ヶ月ですか〜?」をきっかけに会話を始めておられました。
 赤ちゃんを見ているだけでも和んじゃいますが、このルームの空気も穏やかなので、私もつい長居をしちゃいました。



開設時間は、平日10:00から15:30まで(12:00から13:00を除く)。
毎月第3火曜日の10:00から12:00は、臨床心理士や保育士などの専門スタッフが個別子育て相談会をやっています。9月の相談会もたくさんの親子が来られたそうです。
第2月曜日と第4月曜に、親子ふれあい遊びやボランティアの方の絵本の読み聞かせがあります。ひとりで子どもを連れて行くのはドキドキ‥なんて方は、こんなイベントから参加されるのもいいかもですね。
いずれも予約は不要。もちろん無料です。

 保育所や幼稚園などに通いだしたら相談相手も増えるんだと思いますが、乳幼児期って悩むことが多いですもんね。あと、最近はネットでもいろんな情報が手に入りますね。でも、実際に会って「たわいもない話」をする時間って結構大切じゃないかなあと、ルームでおしゃべりされているお母さん達を見ていて思いました。
 北区内には、子育て中のお父さんお母さんを応援するスポットがたくさんあります。 地域の人達が開設されている子育てサロン、子ども子育てプラザ、 子育ていろいろ相談センター、集いのひろば…など。ちょっとしたことを聞いたり話したり、子どもを遊ばせたりしたいなって方は、一度のぞいてみませんか?「今日は一日大人としか喋らなかった‥」なんて日が続いたらぜひ。
 
 ところでタイトルにも書きましたが、8月にこのルームの愛称募集をしていて、10月号の広報紙で発表するそうです。こっそり聞いちゃいましたが、どんな名前になるのやら・・・?


2014年9月15日月曜日

北区は学校にも歴史あり!?


滝川小学校:明治5年    堀川小学校:明治6年   西天満小学校:明治5年

菅北小学校:大正11年  豊崎東小学校:大正6年   豊崎本庄小学校:明治8年

中津小学校:明治7年    大淀小学校:大正元年   豊仁小学校:明治40年

豊崎小学校:大正4年    扇町小学校:平成16年

 北区には現在11の小学校があります。上記はその学校の創立年。そのほとんどがかなりの年代物!大半が創立100年を超えています。(写真は明治5年創立の2校)
 
(滝川小学校)
(西天満小学校)
 
明治5年に公布された日本の近代学校制度に関する最初の法令「学制」により、小学校が整備されたのでこの頃に設立された小学校が多いのも事実(北区以外にも結構あります)。

それでも、少子化などで統廃合が進み、しかも北区のように人口が多いとは言えない地域でこれだけ歴史ある学校が多く現存しているのはかなり珍しい。
中には戦争の空襲により全焼し、数年間別の学校に統合され、再び独立した歴史を持つ学校もあります。
学校の歴史を調べていくと、その地域の歴史背景が見えてきます。ある意味、学校は地域の「生き証人」なんだなぁと感じます。
  
 さて、少し視点を変えて。最初の創立年を見ていると、1校だけ「平成生まれ」が!(「昭和生まれ」がいないのも面白いですが)
ここはあえて、この平成っ子について、少しだけ触れておきたいと思います。
                                                           (扇町小学校)

新しい学校なので、歴史も浅い・・・わけではなく、扇町小学校は北天満小学校と済美小学校が統合されてできた学校です。
その後、平成19年に大阪北小学校と統合し、現在に至ります。
 
大阪北小学校は曾根崎小学校と梅田東小学校が統合されてできた。その曾根崎小学校は大阪市立堂島小学校、大阪市北野国民学校、大阪市中之島国民学校が統合。
(国民小学校:現在の小学校。昭和16年の国民学校令により使用された名称)
というように、合併した学校を挙げるだけでも、芋づる式に歴史が広がっていきます。
全てに触れるには、このブログの量的にも、私の脳的にも容量が足りませんので、最後に!この歴史の結果、扇町小学校がどうなったか・・・
(ピンクの斜線が扇町小学校の校区)
 
北区内に11の小学校があるとは思えない巨大な範囲ですよね(汗)
 
小学生の時は「校区外に遊びに行ってはいけません」と何度も言われた記憶がありますが、これなら何処でも遊べそうですね。
 
 
 
 
 

2014年9月11日木曜日

あらためて平和の大切さを考えさせられました ~北区の空襲被害の写真を見て~

終戦直後(昭和21年頃)の扇町公園付近の地図を見る機会がありました。



少し字が読みづらいかもしれませんが、周辺は「戦災焼失地」ばかりです。
大阪大空襲などの影響によるものかと思われますが、実際こうやって「戦災焼失地」という文字がそこかしこにある状態を見ると、当時の空襲のすごさが浮かんできます。

そんな話を地域の方としていたら、当時の写真を見せてくれました。


これは大阪大空襲のときのアメリカ空軍による焼夷弾攻撃の写真です。こんな大量に空から爆弾が降ってきたら、とてもじゃないけど逃げられません。


続いて空襲後の桜橋交差点付近の写真です。おそらく扇町公園周辺も同じような形で燃え続け、「戦災焼失地」になったと思われます。

実際に写真を見ると、あまりにも衝撃的だったので、しばらく言葉がでませんでした。戦争は本当に恐ろしいです。

今では想像もできませんが、北区にもこういう時代がありました。区民の方々は、まちを復興するために相当な苦労をされたと思いますし、地域で支え合いながら辛い日々を乗り越えていったと思います。
将来、戦争が起きることはないと信じていますが、あらためて平和の大切さを考えさせられました。

2014年9月8日月曜日

私なりの北区待ち合わせスポットとは??

この夏、自転車を買ったのですが、天候が良くなくて活躍できる機会があまりありませんでした。

電車やバス、自動車が活躍したこの夏だったのですが、人と待ち合わせて食事に行ったり飲みに行ったりする際は、たいてい地下鉄かバス停付近で待ち合わせをするようにしています。
北区の待ち合わせ場所といったら「BIGMAN」なのでしょうが、混雑しているので自分はあまり利用しません。皆さんはどこで待ち合わせをしますか?

ということで、私がよく利用する待ち合わせ場所をちょっと教えます!

A.天神橋六丁目交差点の東側交差点
 24時間営業のファストフード店が目の前にあり、待ち合わせ場所には最適!
 地下鉄谷町線、堺筋線から濡れずに集合できます!
 天六界隈で行動するならこの場所がベスト!

B.南森町駅交差点南東
ここも24時間営業のスーパーマーケットが目の前にあります。
JR東西線、谷町線、堺筋線とアクセスが良く、どんな人との待ち合わせもできる場所です。
「4B出入口」と指定しておけば、待ち合わせの人は目の前の階段を上がってきますよ!

C.JR環状線天満駅
ここは、自分のほかにも夜は結構待ち合わせに利用していますね。
待ち合せたら、このまま池田町界隈へ繰り出す方々に重宝してますし、自分もしょっちゅう利用しています。

D.曾根崎お初天神通り北側角
以前、うめだ花月があった場所といったほうがピンと来る人が多いでしょうか。
ここも、人通りが多い割には、待ち人を見つけやすく見つけられやすいです。
ここから、曽根崎警察前の地下入口から地下街に入るもよし、北上して阪急東通りに向かうもよし、南下してお初天神界隈へ繰り出すのもよし、いい場所だと思います。
扇町通りを北に見ると、
ガラス配置が特徴的な「大阪富国生命ビル」
ちなみにこの待ち合わせ場所、電車だけではなくて市バス停も近くにあるんですよ。
みなさんも、北区で待ち合わせして、北区に繰り出しましょう!

あ、創刊号で紹介していた北新地駅の「キタノザウルス」前もよろしくお願いします!

2014年9月4日木曜日

都会のオアシス・中之島公園vol.3♪ 今回はつひまぶ2号に登場したあの楽器も参戦♪


こんにちは、ヨリトモです。

以前もおすすめした、Night Picnic
8月の下旬に開催した、この夏最後のNight Picnicをレポート!

この日はあいにく、突然の雨で、
急遽、芝生広場から阪神高速の高架下に!
少しお尻は痛いけど、
橋脚のライトアップが、雰囲気を盛り上げてくれました。

今回のピクニックもMusicくくりで、
合奏のための楽器を持参することが参加条件!
恒例のギター、ビアニカ、リコーダー、トライアングル、タンバリン等々、
毎回、参加者が思い思いの楽器を持ちよります。

そんな中、今回はかなりの強者が!!
それは、こちら!!

参加者は我先に!と、ミュージック・ソー体験♪
なかなか、触れる機会ないですよね!
S字にカーブさせるのがいい音を奏でるコツだそうです。


そうです。つひまぶ2号の特集にご登場いただいた、
横山ホットブラザーズのアキラさんでおなじみ、
ミュージック・ソー!

まさか、私物として持っている人が居るなんて!
持ってきてくれた女の子は、
まだ習い初めだから・・・と照れながらも、
定番の「お〜ま〜え〜は〜ア〜ホ〜か〜」で
ガッシリとみんなのハートを鷲掴みに!
いや〜、Night Picnic×Musicの世界がまた広がった夜でした。

青く照らされた、阪神高速もムード満点!

そうそう、この夏、ピクニック仲間たちのコラボで、
オリジナルピクニックソングも出来たのです!
お外遊びに出かけたくなる、とっても素敵な曲なので、
いつか、こちらのつひまぶブログでもご紹介したいと思います♪

2014年9月1日月曜日

人口統計から読み解く~時代を流れる街、これからを作る街~

夏の暑さも一段落で、朝晩も何とか過ごしやすい日が続いている今日この頃、いかがお過ごしでしょう。

えー、私ごとで恐縮ですが、このブログを書いた翌日(9月2日)、引っ越しをいたします。理由は諸々であります。今住んでいる場所が気に入っているので(都心からは遠いけど)、まさか引っ越すとは夢にも思わなかったですね。自分がいちばんびっくりしています。ここが終の棲家になるんだって、そう思っていましたから。
問題がありまして、今はひとり暮らしなんですが、それにもかかわらず異様に荷物が多いんです。現在部屋の中にはダンボールがエベレストより高く積まれた状態。。。。。その横で、必死にパソコンと格闘している状態です。このつひまぶブログは毎週月・木更新で、今回は私の担当なんですね。なんて間が悪いんでしょう。これなら誰かと変わってもらったらいいのに。しかし、ブログの担当日決めているのが私と来たもんだから、もう誰も責められない状態。。。。。。(´・ω・`)ショボーン



とにかく本題。



そんな引っ越し事情があったので、ふと昔の人の移り変わりってどんな感じだったのかなって、ふと思ったんです。大阪市北区は都心と言うこともあって、いわゆる「ドーナツ化現象」を一番最初に受けた地域ですよね。しかし、最近はマンション建設と都心回帰ブームが同時にやってきて、人口も緩やかな増加をたどっている。本当でしょうか?そこで、国勢調査のサイトから関連する部分だけを抜き出して思いをはせていきましょう。

(左から順に、北区・大淀区合計、北区総数、大淀区総数となっています。平成からは北区の総数ね)
昭和21年 57989 北区 32983 大淀区 25006
昭和22年 84209 北区 51548 大淀区 32661
昭和25年 109905 北区 66918 大淀区 42987
昭和30年 137553 北区 82008 大淀区 55545
昭和35年 146092 北区 84494 大淀区 61598
昭和40年 130819 北区 72017 大淀区 58802
昭和45年 102149 北区 53344 大淀区 48805
昭和50年 86425 北区 43983 大淀区 42442
昭和55年 87969 北区 43741 大淀区 44228
昭和60年 91285 北区 44501 大淀区 46784
平成2年 87447
平成7年 85487
平成12年 91952
平成17年 100385
平成22年 110392

国勢調査の資料のうち、区内総人口だけを抜き出してみました。国勢調査って、最近は興味深いデータも統計を取っているので、そちらも興味があるのですが、今回は人口増減だけを限って見ることにします。(時間がないので解析出来なかったりしますし。)なお、戦前は区域が違うので戦後の統計だけを抜き出しましたが、これでも大変興味が沸いてきます。(昭和22年は臨時国勢調査を実施した年です。前年度のデータは参考資料より)

昭和21年から25年にかけて、人口はほぼ倍増しているのがわかるでしょう。戦後すぐの時代、復員兵や疎開先からの帰郷などが考えられますが、この時期は第一次ベビーブームの頃、「自然増」というのも相当多かったように思います。(このあたりも国勢調査は調査しているので、資料を読むとよくわかるんですが。)

その後、人口のピークは35年頃。ここから人口は減少していきます。35年から40年にかけて、北区・大淀区合わせて1万5000人が減っているのは驚きとしか言いようがない。住民の1割(流入もあるのでもっとでしょうが)が姿を消したと言うことですから、ドーナツ化現象が急激に進んでいることがうかがわせます。
そういや、私の住んでいた、郊外にある東淀川区の豊里小学校や井高野小学校が、児童数2000人を越えてマンモス小学校と呼ばれたのもこの時期。校区内には市営住宅や民間のアパート・文化住宅が続々と造られ、団地ブームってのもありましたよね。また、昭和40年から45年にかけて、30kmにも満たなかった地下鉄路線が、この時期だけ65kmも作られましたから、大阪万博を契機とした市街地改造が急速に進んだ時期でもありますね。

その後は北区・大淀区合わせて9万人弱で人口は推移していきますが、平成7年度からは1割程度の増加をデータは示しています。この増加がおそらく高層マンションラッシュによる人口増加でしょうか。国勢調査は、ご存じのように現在住んでいる家屋の形態や、5年前に住んでいた場所なども調査しているので、本当にマンションが出来たお陰で人口が増えたのか、資料を読み込めばわかります。データは解析していけばある程度の真実がわかりますから。

さて、これから都心の町、北区はどのような人が住むことになるのでしょうか。私は、新たに住民となった人たちが作っていくような気がします。出生率の問題も言われていますが、新しい、柔軟な発想を持っている若い人たちに託してみるのがいいと思いますが、これから時代を牽引していくのは彼らですから。