2014年7月28日月曜日

古い写真は一級価値の資料なのだ

毎日毎日毎日毎日炎天下の日が続き、家を出た瞬間から汗が噴き出てしまう今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。こんにちは。なみはやノーツです。
暑いですねー。ε=(・ρ・*) フゥ 汗っかきで湿度がダメな私はこの時期が一番からいです。違います。つらいです。「辛い」ね。からいとつらいは。なぜ同じ漢字を使うのでしょうか?それを考えると夜も寝れなくなっちゃいます。嘘ですけど。
大阪は湿度が高い夏が続くので、この時期だけでも北海道にでも移住したいと毎年思います。誰か別荘くれませんか?土地付きで。5万円くらいでw




さて、つひまぶWebはflickr(フリッカー)というものを開設しています。アドレスはこちら
https://www.flickr.com/photos/tsuhimabu/
この中に、古い大阪の写真集があるんですよ。古いもの好きにはたまらない、熟年の方には懐かしの写真が収まっています。

その中から、今日はこちらをご紹介したい。
https://www.flickr.com/photos/tsuhimabu/14317195601/in/set-72157644959649155

都島橋であります。現在活躍している橋が絶賛架橋工事中の、とても貴重な写真だと思います。
解説の通り、市電の開通と共に架けられたのが最初なんですが、その後、都市計画道路として使用することが決まったので、北側に仮設の橋を架け、市電は新しく作られた橋脚に電車専用の仮橋を架けて工事をしていたようです。まさにそれがわかる写真。北区側から都島方面に向いて撮られたのが分かります。

実は、この場所には気になる部分があるのです。

都島橋東詰南側
ここに鉄橋を置いた(ようだ)

都島橋東詰の南側、「橋台」と言って、橋桁を置く構造物なんですが、こういうものが今でも残っているのです。古い鉄道遺跡や道路マニア(そういうジャンルの愛好者がいるんです。世の中広いね)は好きな人も多いんですね。ここからいろんなものを想像したり、調査したり、当時の繁栄を思い描いたりと、ノスタルジックにひたるわけなんですねー。いやー、すごい趣味ですわー。

さて、この都島橋の橋台。私も少し前から気になっていて、少し調べてみたんです。
都島橋は今の橋に建て替えられる前に、北側に仮設の道路橋を架けて南側に市電の橋を架けた。戦時中の空襲で電車鉄橋に大規模被害があり、復旧にかなりの時間を要したらしい。仮設道路橋もかなり被害を被ったようで、昭和23年まで一部の市バスも源八橋に迂回を余儀なくされた。等々は突き止めたんです。(交通局の年史他に多数記載あり)これらの」事実から、市電の鉄橋が架けられていたのかなあ?などと考えていたのですが、確証が持てなかったんですね。それは、この橋台を見てみると、明らかに単線分しか確保されていないからなんです。この区間は市電でも10(守口車庫-肥後橋)・15(都島-なんば循環)号系統などという幹線系統が走る路線。お隣には天王寺車庫と肩を並べるくらいの重要な都島車庫があります。単線な訳ありません。一体これは何だろう?本当によく分からなかったのですが、その疑問がこの写真を見て解決しました。


水道橋ですわ。


この写真を見ると、電車の走っているもう一つ南側に、鉄橋が見てとれます。これ、おそらく水道管を渡す橋が架けられていたんです。水道管は道路の下に埋まっていることが多く、その水道管も橋を渡るんですね。

橋の下にはライフラインが走っています
ガス管も通る

多くの幹線道路の橋の下や横にはそういうライフラインが渡っていて、今の都島橋を見てみると、水道とガス管が渡っているんですね。橋は人も水もガスも渡るんです。(下水はさすがにないだろうけど)しかし、都島橋は仮設の橋だし、以前の都島橋は一部木造だったようで、過重の問題で水道などのライフラインを取り付けられなかったのでしょう。しかたなく専用の橋を別に架けたのでしょう。今残っている橋台は、この水道橋を架けていたものと断定出来ます。

こういうように、古い写真は説得力があります。今となっては何か分からない遺構が残っていても、当時の写真があれば何がどうなっていたのかがすぐに分かる。資料としては(特に近代遺跡を調べるには)一級的価値があると思います。何気ない普通のスナップ写真の中にも、これだ!って言うものが写されている場合も多いので、古い写真をアーカイブとして保存出来て、みんなと共有出来る、そんなサービスがあればいいのにって思うんですがね。



で、このつひまぶブログ、北区に関することを取り上げるんですけど、この橋台が存在しているのは都島区……(北区側には遺構は残っていません)……








 Σ(゚Д゚)ガーン(いいじゃん。昭和19年までは北区だったんだもーん)