2014年6月30日月曜日

子育て中のお母さんに届け!その名も「うりぼうメール」!

 北区の北東部(地下鉄天神橋筋六丁目駅の北東部)に、豊崎東という緑豊かでおだやかな住宅地域があります。ここは、連合振興町会でつながる一昔前の古い街並みと、昭和60年に大阪まちなみ賞「大阪市長賞」を受賞した淀川リバーサイドタウンさざなみプラザが混じり、自然が豊かで景観の良い地域ですが、賃貸住宅が多いため、ご近所付き合いが少なくなりがちな地域でもあります。

 そんな中、豊崎東地域では、「人は人でしか守れない」を信条に「地域見守りネット」を結成して支援の輪を広めたり、街頭犯罪情報などを配信する「大阪府警安まちメール」を参考にして豊崎東地域の街頭犯罪情報などを配信する「とよひが安全メール」を地域独自で運用したりするなど、地域のみんなが助け合って安心で安全なまちづくりを行っています。

 今回は、豊崎東地域が、「うりぼうメール」※と呼ばれるメーリングリストシステムを活用して、子育て中のお母さんを支える取組みをご紹介します。

 ※「うりぼうメール」の正式名称は、「豊崎東『うりぼうクラブ』お知らせメール」

●「うりぼうメール」を始めたきっかけ
 豊崎東地域では、豊崎東地域活動協議会健康福祉部が「とよひが・うりぼうクラブ(以下「うりぼうクラブ」)」と呼ばれる子育てサロンを、毎月第3水曜日(8月と1月はお休み)に豊崎東福祉会館老人憩いの家で定期的に開催しています。「うりぼうクラブ」は、毎回25組くらいのお母さんが参加してワイワイ楽しくやっていますが、参加者との連絡手段がないため、お葬式などで会場が急に使えなくなったり悪天候で中止したりした場合に、無駄足を踏ませてしまうという悩みがありました。

 子育て中のお母さんは、抱っこひもで子どもを抱っこしたり、ベビーカーに子どもを乗せたりして移動するので、自宅から会場に行くだけでも一苦労です。かといって、「うりぼうクラブ」には、総勢60組くらいの人が参加している(「うりぼうクラブ」は地域を限定していないので、豊崎東以外の地域や、遠くは都島区、淀川区からも参加される人がいる)ので、一人一人に連絡するのは、とてもじゃないけど無理です。

 そこで、先ほど紹介した「とよひが安全メール」で使われているメーリングリストシステムを「うりぼうクラブ」用で使うことができないかと考え、専用アドレスをつくり「うりぼうメール」として運用することになりました。

●豊崎東地域の子育て情報も配信します
 平成19年に始まった「うりぼうメール」、当初は「うりぼうクラブ」が中止になった場合のお知らせ用として活用していました(そのため、配信は「うりぼうクラブ」前日の午後5時以降に行われます)。

 しかし、それだけではもったいないということで、今では「うりぼうクラブ」の内容や、子どもが遊べる地域イベント、盆踊り、子ども服やおもちゃのバザーなど、豊崎東地域の子育て情報全般を配信しています。また、豊崎東地域が関わる北区全体の情報も配信しています。「うりぼうメール」の配信内容は、こんな感じです。

 

 こんな顔文字もあり、温かみがあります。

 

 この「うりぼうメール」、今では120人くらいの登録があり、一度登録したら配信停止をする人はほとんどいません。「うりぼうクラブ」に参加する人は60組くらいなので、半分は「うりぼうクラブ」を卒業した人(うりぼうクラブは、だいたい0歳~2歳くらいの子どもが参加するので、3歳以上の子どもの親)です。そういうこともあってか、リサイクルバザーを開催するために「うりぼうメール」で用品回収の依頼を配信してみたところ、たくさんの協力を得ることができたそうです。「うりぼうクラブ」で子どもにプレゼントするお菓子などの費用は、行政からの補助金で負担することができないので、バザーは貴重な収入源となります。まさに地域の助け合いです。

●運営も助け合いです
 このように好評な「うりぼうメール」ですが、配信内容に間違いがあれば誰も信用してくれません。先ほどのバザーの件もそうですが、信用されて初めて受信者は行動してくれます。

 そこで、「うりぼうクラブ」では、運営スタッフ全員で配信内容を確認し合って、全員がOKをしたら「うりぼうメール」を配信するようにしています。ただ、運営スタッフが全員集まって確認する余裕はありませんので、携帯メールでやりとりをしながら配信内容を確認しています。手間はかかるけど、配信内容に間違いは許されない。そして、その責任を特定の人に追わせたくない。「うりぼうメール」の運営も助け合いです。

 そうして確認された後、運営スタッフの一人である川瀬さんが配信処理を行います。本当は、配信処理も全員で交代しながらやったほうがよいかもしれませんが、機械が得意でない人が多いことから、川瀬さんが担当しています。ということは、言い過ぎかもしれませんが、川瀬さんがいなくなったら「うりぼうメール」は終了してしまうのでは...。

 そこで、川瀬さんにそのことを聞いてみたところ、「いずれは次世代の人に引き継がなければならないと思っている。だけど、メーリングリストシステムそのものを引き継ぐのではなく、そのときそのときの人がやりやすい方法でやってくれたらいい。今の若い子は、LINEなり、Facebookなりで情報発信するのがいいかもしれない。私たちの世代は、メールで十分だけどね(笑)」と柔軟なご意見をいただききました。

 それぞれの世代がやりやすい方法で活動する。取組みが長続きする秘訣だと思います。




●地域活動は理想ばかり求めて活動するものではありません
 「うりぼうクラブ」をはじめ、子育てサロンが抱える悩みの1つとして、「子育ての悩みを独りで抱え込んでいるにも関わらず子育てサロンに来ないお母さん」をどうやって支えてあげるのかという問題があります。児童虐待などのニュースを見るたびに、なんとか救えなかったのかと胸が痛みます。

 そこで、運営スタッフさんに、「『うりぼうメール』を使って、情報を発信するだけでなく、相談にのってあげるようなことはできないのか」と、失礼ながら思ったことを素直に聞いてみました。すると、「正直な気持ちとして、独りで子育ての悩みを抱え込んでいる人のために、メールで話を聞こうかという思いはあるけど、ボランティアという立場で、そこまで踏み込むのは行き過ぎかなと思っている。相談された側も不安になるし、責任もとれない。だからこそ、一歩勇気を出して『うりぼうクラブ』に来てほしい。来てくれたら、みんなで支えてあげられる。」と思わずハッとするご意見をいただきました。地域活動を続けていくためには、この感覚が大切なんだと。踏み込み過ぎず、自分たちができる範囲で活動する。地域の活動は、理想ばかり求めて活動するものではないと。 

 過去のブログ(http://tsuhimabu.blogspot.jp/2014/04/blog-post_24.html)で、「地域で活動している人は、単純に好き好んでやっているわけではない。そういうのが好きだからやっているなんて言ったら絶対にあかん!!」というお言葉をいただいたと紹介させていただきました。そして、今回は「自分たちができる範囲で活動する。理想ばかり求めて活動するものではない」ということを学ばせていただきました。まだまだ地域活動をされる方々の想いを理解しきれていませんが、今回の取材を通じて理解が一歩前進したような気がします。


 「うりぼうクラブ」のスタッフのみなさん、そして参加者のみなさん、取材のご協力ありがとうございました。




●おまけ
 豊崎東の子育てサロンは「うりぼうクラブ」と呼びますが、これは、いのしし年に子育てサロンが始まったことから、このような名前になりました。





2014年6月26日木曜日

OSAKA PiTaPaってお持ちですか?

梅雨入りしたと言われつつ、なかなか梅雨本番に入らない天気が続いていますね。
雨が続くのは苦手なのですが、この時期の降雨は穀物をはじめ野菜などの成長、収穫に大きく左右されるそうなので、そろそろ適度な降雨をお願いしますと空を見上げています。

さて、そんな今回は「OSAKA PiTaPaってお持ちですか?」というタイトルなのですが、皆さん交通系ICカードは何枚お持ちですか?

自分の場合は、画像のOSAKA PiTaPaとSuica(携帯電話内臓モバイルタイプ)の2種類を使っています。
その他に、PiTaPaを忘れた時のための「大阪市交通局の回数券」、地下鉄とバスを乗り継いで1日を満喫したい!と急に思いついた時のために買い置きしている「ノーマイカーフリーチケット」(現在は販売終了して、エンジョイエコカードに引き継ぎ販売中)が常時サイフに入っています。
左から モバイルSuica、回数カード、OSAKA PiTaPa、ノーマイカーフリーチケット(発売終了品)
ちなみにSuicaは、これ1枚で加盟社全国どこでも使えるうえ、新幹線の場合でも携帯電話オンラインで座席予約から乗車時間変更が可能で、この携帯電話を自動改札をかざすだけで新幹線乗車や在来線乗り継ぎもできるため、1枚でオールマイティーに使えてしまうのです。(※EX-ICに加入の条件あり)
もちろん、大阪市営地下鉄やバスにも利用可能です。

しかし!
なぜこんな便利なSuicaがあるのに、PiTaPaを使うのか…
日本全国、さまざまなIC乗車券があるのをご存じですよね?
そのなかで、PiTaPaだけが「ポストペイ方式」で運営されています。
ポストペイとは、いわゆる「後払い方式」でクレジット決済になっています。

クレジットカードと同等の機能のため、発行には各信販会社の審査が必要になるので、ほかのプリペイドカード方式(先にカードに入金するシステム)に比べ、極端に加入者数が少ないんですが、やっぱり割引率や乗り継ぎ自動判定システムなどは利用者には便利と感じますし、乗車するたびにポイントが貯まり、貯まったポイントは自動的に運賃割引される仕組みで使い忘れもありません。
1カ月の利用運賃を合算して割引率が変わってくるのも、ポストペイの最大の武器です。

最大のメリットは、駅でチャージする必要がない。残額を気にせず乗車できるっていうところでしょうか。

北区は、地下鉄もバスも、かな~り便利に運行していますから、上手に使って上手に北区をエンジョイしてみてください!


最後に、ちょっと小ネタを
自動改札機を通る際、PiTaPaとICOCAではタッチした時の音が違うのをご存じですか?
2枚お持ちの方は、いちど試してみては?

2014年6月23日月曜日

都会のオアシス・中之島公園vol.2♪ 暑い季節はNight Picnicを : )


こんにちは。よりともです!

ジメジメの梅雨〜。
なんかだ気分もさえないな〜と言う方も多いのでは?
そんなあなたにお届けする、梅雨〜夏の暑い季節のおそと遊び。
ずばり、「Night Picnic」です。

天気の良い日の昼間は暑い!日焼けが気になる!
それなら、日が沈んだ夜からピクニックをしてしまおう!というもの。
夜の公園って、本当に涼しいんです!


先日のピクニック仲間とのNight Picnicをご紹介☆
今回は、「Night Picnic × Music」がテーマでした。

こちらは、今回のフライヤー
仲間内の遊びですが、
こういうのをつくるとテンションあがります!

しつらえは、かわいいガーランド(借り物)を飾って、雰囲気アップ!




お酒も入って、盛り上がって来た頃。
ギーターにピアニカ、リコーダー、トライアングル、タンバリン・・・etc
思い思いに持ち寄った楽器を取り出して、
「オーシャンゼリゼ」を合奏♪


みんなで楽しんでいると、音楽に誘われて、
離れてピクニックしていた女の子グループが駆けて来て一緒に踊りだし♪
そばでギターを弾いていたお兄さんたちも、合奏に参加♪
音楽は人をつなぎますね〜♪
嘘みたいにハッピーなNight Picnicでした☆


みなさんも、たまには、お家やお店を飛び出して、
夜風に吹かれながら一杯!一曲!
いかがですか〜?

2014年6月19日木曜日

職人さんに頼んではんこを作ってきたよー

はんこ。最近のデジタル技術の発達で使う場面は限られてくるようになりましたが、今でも重要書類などには必須のものですよね。

私事で恐縮なんですが、とある役所に書類を出す場面に出くわしました。印鑑証明書が必要と言うことなので、印鑑登録証を持って役所(私は住之江区の南港ポートタウン内の出張所)に行き、印鑑証明書2通を発行してもらうはずだったのです。が、なんとその印鑑登録証が古いものだったらしく、しかも、実印として使っていた認印がどれかわからないという状態に。あきませんな〜
役所に出す書類は別にいつでもいいんですが、やはり、実印はしっかり管理しなきゃいけません。(認印でも実印として登録出来ますが、複製可能なものですのであまりオススメしません。とのこと)と、いうわけで〜、認印ではない、しっかりした新しい実印を作りに行ってみたのでした。




南森町の三枝堂さん。天神橋筋商店街(2丁目北)の中にあります。ここ、国家資格である「一級印章彫刻技能士」を持っていてはりまして、技術の高さは定評があります。というか、今のご主人で3代目だとか。

今回は15mmの白柘(ツゲ)をチョイス。私の親からは、はんこを作るならツゲで作ること。安くて丈夫な印材。象牙や水牛のように生き物を殺すこともないから。という掟に従い、今回選んでみました。
ちなみに、お店の方でもツゲは彫りやすくやりやすいので、結構細かな書体になっても対応出来るとのこと。なお、使う用途によって大きさや形が決められているので、注文するときに確認しましょう。だいたい16mm〜18mmくらいが値段的にも手頃でよく出ているらしいですよ。実印に使うのも8mm〜25mmまでと決まっているので、まあこのくらいが妥当でしょうか。

文字は基本的に篆書(てんしょ)体という、あの独特のはんこの文字ですね。人によっては隷書体だったりとか、篆書体であっても、文字を縁につけるやつとかつけないやつとか、女性なら行書体を使う人もいてはりますねーとか、色々あるみたいです。ここらへんは私も知らない世界。きっと奥が深い分野なんでしょうね

納期は約1週間で仕上がります。その時に、ここだけしかもらえないものが付いてくるのです。





そう、ちゃんと「一級印章彫刻技能士」が作った証明書を頂けるのです。一級は実務経験が7年なければそもそも受けられない国家資格なので、持っている人もなかなかいない資格です。その人にしか発行出来ない証明書は一種のステータス。
これぞ職人技の証ですな!(印影は防犯上写しておりません。ネコのバッチで隠しております)


ここでご主人と色々とお話ししたのですが、印鑑に関してもこだわりがすごいんです。職人魂を感じました。

今はネットで安い実印を作ったりできますが、そもそもレベルが違うらしいのです。
ネットで作る印鑑は、最初から最後まで機械で彫るらしいのです。修正する場合以外はそれでおしまい。
しかし、三枝堂さんは、あるところまでは機械彫り(荒彫り)をするのですが、そのあとの仕上げはちゃんと手作業で彫ります。そのため、比較をすると雲泥の差が出るんだとか。ネットで作った安いはんこは、直線が直線でなかったり、文字の太さがまちまちだったり。細かなところは文字がつぶれていたりするそうです。
「私のところのは見てもらったらわかりますが、直線は綺麗にまっすぐで、文字の太さもきっちり整えてます。わかる人が見たらもう一発でどこで作ったんかわかりますわ。」と、ご主人。はっきり断言されました。
このご主人の発言の「わかる人」はとても重要です。
会社などで、契約書などで押された印影は、相手方も見ますよね。大体双方で重要書類は保管しますから。
そういう時に、印影を見て安いはんこを押したというのがわかれば、「こいつはそんな安いやつつこてんのか。」ということになって、相手方の信用や信頼が少し落ちるんですね。
特に、脱サラや起業しようと思われている方、こういうところでも「評価」を落とす場合もあるので、くれぐれもはんこ(特に会社の実印や銀行印)はコストを削減しないで、信頼されるはんこ屋さんに頼むのをオススメします。

最後に、はんこの押し方も教えていただきました。
「朱肉を付けたあと、はんこは紙にそっと置くような感じ。最初は力を入れないのが重要。そのあと、真上からまっすぐに押して、そのあとはんこを「の」の字を描くように押しつけて下さい。これが一番綺麗に押せる方法で、しかも、はんこも長持ちさせられます。」ですって。はんこを押す場合はこれを実践しましょう。

さて、私の実印もできたので、来週くらいに区役所に行って印鑑登録してきま〜す。

2014年6月16日月曜日

忘れ去られた昭和は、変貌する大阪駅の足下にあった

朝4時半という早い時間に仕事に行くのですが、もうその時間でも夜が白みかけているほどになってきた今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか。こんにちは。なみはやノーツです。
もう夏至ですよ。げし。1年で一番太陽が長く昇っている(昼が長いのね)日であります。今年は6月21日だそうですがね。

さて、つひまぶでは「駅探」というコラムを担当させていただいておりまして、駅にまつわる不思議なもの、変なものを見つけてこいという、そういう記事を書いております。
ただですね、大阪市北区内の駅限定という制約がありまして、面白いものを見つけても、それは北区内じゃないから使えないとか、それ、駅違うし〜とか、色々あってボツになるものも多数あるんです。今日はそのボツネタの中からひとつご紹介しましょう。

新阪急ホテル向かいにあるちょっと汚い電柱。これは何?

画像が今これくらいしかないのでご勘弁下さい(後日追加いたします)
大阪駅の北、新阪急ホテルが背景にあるこの場所は、その昔、大鉄局(大阪鉄道管理局)があった柴田町交差点の南西角にあります。頭上には、JR大阪駅と阪急梅田駅を結ぶ陸橋があったりして、地上はちょっと殺風景ですかね。そこにあるひとつの電柱。いたって、普通の電柱なわけですが、これなんだと思います?
実はこれ、昭和28年に開通した大阪市営トロリーバス1号線の電線を支える電柱なんです。
正式には架線柱と言われるんですが、今でもこんなすごいお宝のようなものが現役で頑張っているんです。

トロリーバスというのは、見た目はバスそのものなんですが、電気で動く電車であります。路面電車と同じように、架線から電気の供給を受けるんですね。日本では、黒部立山アルペンルートの中にある、関西電力が運営している2カ所にしか存在しない貴重な乗り物なんですが、昭和の頃には、路面電車よりもコストがかからないため、大都市を中心として普及していました。大阪市でも、昭和28年の大阪駅前-神崎橋間で営業を開始して、数路線を営業していたんですが、車の増大によって走行環境が悪化してしまい、わずか17年の短い歴史で幕を下ろしてしまいます。

この架線柱は、その最初に開業した昭和28年から廃止される昭和44年まで使われていたと思われるものです(最初は違うものが建てられていた可能性があります)。実働16年ですが、廃止されてから現在までの方が圧倒的に長いという架線柱であります。
廃止されても撤去されなかった理由は色々あって、電柱というものはひとつの電線だけに使われる事はまれで、他にも電話線とか通信ケーブルが架線(「がせん」と言います)されてあったり、街灯や信号機が設置されている場合もあります。そういうところは用途が廃止されてしまってもおいそれと撤去することも出来ず、そのまま残ってしまうのですね。たまたま、この架線柱は、そういうものがあったために生き延びたのでしょう。ちなみに、阪急中津駅周辺の国道176号線付近は、このトロリーバスの架線柱がほとんど残っていますし、十三の駅前とかにも残っています。さらに、市電の架線柱も、大阪市内でもそこそこ現在でも残っているんですよ。また機会があったらどこかで紹介してみたいです。

変貌する大阪駅に、ひっそりと忘れ去られた昭和。何となくノスタルジックな気分にさせてくれるではありませんか。しかしですね。この架線柱「現役で頑張っているんです」と書きましたが、現在は他のケーブルが架線されていることもなく、街灯などにも何も使われていない状態です。忘れ去られている感じ。もしかするとそのうち撤去されちゃうかもしれません。見たい方はお早めにどうぞ〜

2014年6月12日木曜日

今だけよ~☆フェスティバルタワーから見えるふたつの川!


1958年フェスティバルホール完成、2008年閉館
マッチ箱を立てたような形のホールは、舞台に立つと拍手が天井から舞い降りてくるように聞こえ、
ミュージシャンからは「神様が造ったホール」と言われいた。
観客席からは音が共鳴せず包み込まれるように聞こえ、世界的指揮者カラヤンも大絶賛したホールでした。

ホールそのものだけでなくファサードも有名でした。
太陽・月・星のギリシャ神話の神々「牧神、音楽を楽しむの図」
信楽焼の陶板で制作、青い釉薬は建設当時、信楽焼でたくさん生産されていた火鉢に使用していたものと同じということを聞くと、神様をモチーフに使っているけどちょっと身近に感じました。

ホールが入っている新しいタワーにも以前のファサードが復活
ビルが大きくなった分、ファサードの大きさも少し大きくなりました。
中之島の見慣れた風景です。


そして新しく完成したフェスティバルタワーには、今だけしか見れない景色があります。
初めて13階展望ロビーに上がった時、今までと違う景色が目に入ってきました。
朝日新聞ビルが解体され、西側が広く展望できるようになり、堂島川と土佐堀川が同時に見えました。
二つの川が同時に見えるのは今だけ、ツインになるビルが完成すると見えなくなります。
短い間のトリビアです。今のうちにお楽しみあれ!

また、13階展望ロビーは平日のみ戸外に出ることができます。
中之島の風も同時にお楽しみください。

13階展望ロビーから見た(右)堂島川と(左)土佐堀川





2014年6月9日月曜日

「ミイサン」伝説に見る、キタの人と樹木の深い繫がり

大阪はよく、緑が少ないと言われる。
梅田界隈と東京の都心とを比べてみると、緑の少なさが際立つ。
最近建設される大型施設では屋上庭園などの緑化が施されたものが増えてきてはいるけれども、基本的には、梅田のまちは高層ビルと道路で埋め尽くされていて、緑地といえるようなものは、ごくわずかしかない。

梅田のまちに緑が少ないのは、なぜだろうか?
歴史を遡って、探ってみたい。

梅田に鉄道の駅舎ができたのは、1874年(明治7年)の大阪駅が最初だ。
当初は市街地に近い堂島に建設する予定だったのが、地元住民や商家の反対にあい、当時はまだ田園地帯で人気のなかった梅田に建てられた。
田園地帯だった梅田が鉄道の開通に伴い急速に開発され、次第に大阪の玄関口として発展していったのだが、もとは田園地帯であることから、元来、樹木の少ないところだったのだ。

とはいえ、梅田周辺にまったく樹木がなかったわけではない。
1924年(大正13年)発行の「大阪市パノラマ地図」を見ると、天満の寺町に、まとまって樹木が描かれている。寺院が建ち並ぶエリアだが、それぞれの寺院の境内を埋めるように東西に樹木の緑がひろがり、グルーンベルトを形成している。
また、露天神社(お初天神)の境内にも樹木が見え、その北側にも広い緑地が描かれている。
そこからさらに北北東に行くと、東海道線の西側にある豊崎町南浜にも少し緑が見える。
このように、当時の梅田の周辺は開発が進んでいたとはいえ、寺社の境内や集落の一部に、緑の空間が存在したようである。

 1924年(大正13年)発行の「大阪市パノラマ地図」

 「大阪市パノラマ地図」に描かれた寺町。グリーンベルトが見える。

  「大阪市パノラマ地図」に描かれた露天神社(お初天神)の北側の緑。


 「大阪市パノラマ地図」に描かれた南浜。東海道線の南西の集落に緑が描かれている。


現在、キタの緑はどのようになっているか。

曽根崎一帯で今でもわずかながらに緑を残しているのは、露天神社(お初天神)だ。
ここには緑が多少残っているが、古木や巨木は見当たらない。
ただ、1993年(平成5年)に境内社の改装を行った際に、稲荷社に掛かっていた一枚の額が、古木を利用してつくられたものであることが墨書されている。
墨書によると、露天神社の境内にはエノキの大木があったが、1909年(明治42年)のいわゆる「北の大火」で焼け、その焼け跡に残ったエノキの残片を用いて、記念に額をつくったという。額に使われたエノキの形状からすると、かなり大きなエノキであったことが推測されているようだ。

中崎西の路地奥にも、古木がある。
細い路地の突き当たりにお地蔵さんの祠があり、そのお地蔵さんに引かれて路地に足を踏み入れると、その奥に古木が立っている。古木の根元には、祠が設けられている。
この古木はクスノキで、もとは民家の庭だったとか。つまり、もともと民家の屋敷地のなかで私的に祀られていたクスノキが、いつしか路地の古木となり、次第に地域の人たちの手によって祀られるようになった。
祠の額には「白龍大神」と記されている。毎年5月に、豊崎神社から人を招き、お祓いをしてもらっていて、地域の人たちは、この古木を熱心に信仰している。

中崎西の「白龍大神」とクスノキの古木。


淀川の河川堤防のふもと、本庄には、注連縄で祀られた巨大なクスノキがある。
このクスノキは、このあたりの庄屋さんの屋敷内で、ご神木としてずっと祀られてきた。
明治の終わりの新淀川(現在の淀川)開削の折り、旧中津川の一部を利用して、毛馬から此花の伝法まで一直線の放水路が造られたが、土砂の運搬や工業用水の供給の問題があり、このご神木のある本庄に、新淀川に沿って長柄運河が開削された。
運河の開削ルートにこのクスノキがあり、さすがにご神木を根こそぎ、というわけにはいかず、ご神木を避けるかたちで、ここだけ川幅を狭めた。そのせいで船の渋滞が起こってケンカがいくつも勃発したという話が残っている。

本庄にある、注連縄を掛けられたクスノキ。


長柄の豊崎東小学校の北側にも、玉垣で囲まれた大きなムクがある。玉垣のなかには、ムクのご神木、鳥居、祠、石碑があり、「鶯塚」と呼ばれている。
ウグイスは、ヘビと並んで、古代からの伝承によく登場する。
今から1200年ほどむかし、長柄の長者の美姫がウグイスを飼っていて、かわいがっていた。ところが、この姫が病のために亡くなると、ウグイスはその死を深く悲しみ、歌を詠み、あとを追うようにして死んでしまった。長者たちは、この麗しい話を後世まで伝えようと、ウグイスを姫とともに埋葬し、この地を鶯塚と名付けた。

また、長柄のこの地は、約1300年前の第36代孝徳天皇の皇后の遺跡であり、中大兄皇子と藤原鎌足中臣が大化の改新を断行した由緒の地でもあり、『摂津名所図絵』によると「孝徳天皇の御陵は南河内の山田村に古来より鶯凌と称へられているので、この鶯塚も天皇に関係の高貴の方の御墓であろう」とある。

また、(正徳3年)の夏、河内狭山の藩士で笹本源之介が父の仇である加州の浪人羽滝伝太郎を母とともに4年間探しており、長柄長者の配慮により、この鶯塚のほとりで見事仇討ちを遂げ、狭山藩に帰ってから長者の娘お梅を妻に迎えたという、この鶯塚を舞台にした芝居もある。
むかしは小丘の上に五輪塔の墓があって、その前に「鶯塚」と刻んだ今の石標が立てられ、小庵もあり、線香の煙が絶えなかったという。

というように、長柄の鶯塚には3つの伝承がある。
最初の長良長者の姫と鶯の話は、バリエーション違いをよく耳にする。
大化の改新の縁の地だとする説は、一見、飛躍が過ぎるように見えるけれども、難波宮が長柄にあった可能性を考えると、案外と無関係ではないのかもしれない。前期難波宮は、別名、難波長柄豊崎宮と呼ぶのだから。

長柄の鶯塚とムク。


野崎町、読売新聞社の西側の道路には、イチョウの古木が残っている。
イチョウの周囲には立派な玉垣がめぐらされ、根元の南側には「龍王大神」の祠が建てられている。
このイチョウには、伝承がある。
イチョウが生えているこの場所は、もともとは太融寺の境内で、その後、一体が道路となり、このイチョウも伐採されようとしていた。ところが、幹にノコギリを入れて伐りはじめたときに事故が起こり、伐採を行なっていた人が死んだという。その後、このイチョウは伐採されることもなく、道路の一角に残されることになった。

野崎の「龍王大神」とイチョウ。

「龍王大神」とは、ヘビの神さまである。
「龍王大神」のイチョウには白ヘビが棲んでいるといわれ、その白ヘビはイチョウの根元に供えられた玉子を食べている。

ところで、太融寺の境内には淀君の墓がある。
戦前は、淀君にあやかろうと、キタの花街の女性たちが参拝する姿が後を絶たなかったという。
特に、「巳の日」の縁日のときには、参拝する女性が大挙した。
というのも、淀君の墓の横には、守り神のように「白龍大社」の社があり、縁結びの神さまと伝えられているからである。
「白龍大社」の白ヘビはメスであり、前述の「龍王大神」がオスのヘビであり、両者は番(つがい)である。

太融寺の境内にある「白龍大社」。野崎の「龍王大神」とは番(つがい)。


ざっとキタの巨木・古木とそれにまつわる伝承を見てきた。
巨木や古木にはヘビが棲み、祀られているケースが多い。あるいはウグイス。
もうひとつは、巨木や古木の伐採が忌避されてきたということ。巨木や古木の伐採者には不幸が生じるとの言い伝えが、どこにもあり、民俗学の世界では「巳さん(ミイサン)伝説」と呼ばれ、広く知られている。
こうした樹木にまつわる伝承は、梅田周辺の地域にかぎったことではなく、大阪では広い範囲にわたって分布している。上町台地に残るクスノキやエンジュの樹にも、おなじ内容の伝承がある。

このような巨木や古木にまつわる伝承の存在は、なにを意味しているのか。

ひとつには、大きく成長した樹木や苔むした老木に対する、人々の畏怖があると考えることができると思う。
それは人々が持つ宗教性の表れであり、ここではその宗教性が「ミイサン」という象徴によって表され、ご神木として祀るようになる。
人々は、「ミイサン」という存在を介して、巨木や古木と深い関わりを持ってきた。そこには、民間信仰によって結ばれた、樹木と人との深い繫がりの歴史があり、緑が少ないといわれる大阪や梅田周辺にあっても、そのことは変わらない。

キタは、緑が少ないと言われる。
たしかにそうなのかもしれないが、それでも、数少ない緑は、巨木や古木といったかたちで今も残され、人との深い繫がりのなかで生きながらえている。
無関心というわけではないのだ。

昨今は、丸ビルの緑化、新梅田シティの緑の回廊と里山など、既存の施設の緑化が進んでいる。
JR大阪ステーションシティやグランフロント大阪、阪急百貨店など、ここ数年に新しくできた大型施設のほとんどには、屋上緑化が施されている。
昨今のこうした動きは、さまざまにかたちは変わっていくのかもしれないけれども、キタと緑に浅からぬ付き合いがあるということの証左なのだと思う。

2014年6月5日木曜日

正直者には見えるかも知れない看板


以前、天神橋五丁目のビルに有った看板。
とっても目立つ位置に設置された堂々たるものでしたが、矢印だけが描かれていて、あとは真っ白でした。
矢印の示す先に何が有るのか、その矢印通りに行けばどこへ着くのか。「真上に行け」というのは普通かなり無理なので、たぶんこのまま直進しろ、だと思われます。すると方角としては長柄橋。でも、長柄橋にお客さんを案内しても、別に誰も得しないので、きっとこんな広告は出しません。
もしかして、淀川花火? いや、花火は看板より目立つので、案内する必要有りません。あがってればもう、そこに有るのは火を見るより明らかです。火なんですが。
あ、もしかして、西方浄土?はらいそ?あれって真っ白に見えるけど、お迎えが近くなると見えて来る何かが書いてある?
想像の翼を広げながら(はな先生ですね)見ていると、矢印の通りに飛行機が直進していきました。
ああ、あれは伊丹飛行場の方角やったんか。ちょっと納得しました。したらあかんような気もしますが。
いや、実にいろいろ考えさせてくれる、素晴らしい看板でした。

2014年6月2日月曜日

違法駐輪がすごかったのは、今は昔

南森町の交差点の北側、おなじみの天神橋筋商店街を入ったところに、木製のベンチスペースがあります。地下鉄南森町駅3番出口を出たところでもあり、待ち合わせにぴったりの立地です。

以前、ここは違法駐輪で有名な場所でした。もしかすると、正規の駐輪場と勘違いされていた方もいらっしゃったのではないでしょうか。それくらい、自転車がある光景がなじんだ場所でもありました。商店街の中なので、屋根があり、道幅も比較的広く、すぐに地下鉄に乗れちゃう、となれば仕方のないことのようでもありました。
ここを、自転車ではなく人が集まる場所にしよう!と立ち上がったのは、関西大学さんです。このいきさつについては、すでにいろんなところで書かれているので省きます。ただ、調べなおしてみると、ベンチが設置されたのは平成23年12月のことのようですから、もう2年もたっているんですね。


通りかかると、「ほっと一息」という言葉が思い浮かびます。
家族連れ、お茶を飲んでいる子ども、話に夢中な女子2人組、携帯をチェックしているサラリーマン、ちょっと足休めに座っている、いろんな人の姿が見られます。



実際に、座って周りに目を転じれば、少し離れて喫煙スペースがあります。
ベンチの壁側には大きなショーウィンドウがあります。その手前にはお花も植えられています。こんな日の当たらない場所で花は大丈夫なのか?といつも心配になります。きっと、手入れは大変ですね。それに、食べたり飲んだりできる場所なのに、ごみが気にならないのは、掃除してくれる人がいてくれるからでしょう。


商店街にベンチを設置することには、いろいろな人や団体、企業、地域のかかわりの上でできたことだと聞いています。
時間がたった今でも、ベンチがあり続け、気持ちよく使われているのを見ると、憩いの場所として、この場所になじんできたんだなぁと感じます。それは、ベンチを置いて終わり!ではなく、憩いの場所を保つ努力をし続けてくれている人がいてこそなんですよね。身近な風景の中に、いろんな人の想いが込められているんだと感じます。
長い長い商店街、歩き疲れたら、ちょっと座ってみませんか?