2014年4月10日木曜日

ルーツ、ルーツを探るってなんだ!オンリーワンを見つけることさ~

大阪ではソメイヨシノもまもなく散り終わり、八重桜の季節が始まろうとしている今日この頃、いかがお過ごしですか。

こんにちは。なみはやノーツです

そうですそうです。造幣局ですよ。もうそんな季節になったんですよねー。すっかり春なので、私はぼちぼちと冬の防寒具を仕舞っていっている最中です。
なお、ルイスさんが造幣局の桜の詳しい歴史を調べていますので、お出かけの際は前の記事を見ていただくと、また違った通り抜けになるんじゃないでしょうか。


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今日は、私の親の話を。

この「つひまぶ」は、固い話なんですが、北区の魅力向上事業という役所の政策の中から誕生したものです。中の人は、私も含めてボランティアで作業しています。
いちおう、北区が大好きな人という応募が昨年の秋から冬にかけて行われて、私はそこで応募したということになっています。(実は、このあたりは複雑な経緯があるので、時間があったら書いてみようと思います)
ただね、私は直接北区との接点があるわけではないんですよ。生まれも育ちも東淀川。会社は西淀川とか淀川、浪速区あたりにあったので通勤で通過するくらいな感じです。

ひとつだけ接点があるとすれば、私の父親が樋ノ口町育ちなんですよね。

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当時の家は都島橋の橋のたもとにあったようです。当時の大川の河川敷には不法な住居を建てて住んでいる人が多数いたようで、私の父も、その中の一人だったようです。まあ、裕福な家庭ではなかったようですな。
小学生の時がちょうど太平洋戦争のまっただ中。本来は学童疎開をしなければならないはずだったのに、何故かそれを拒否するという大胆不敵な行動に出て(これ、当時としては犯罪のような気がしますが)、空襲に何度も遭っています。
多感な頃の戦争であり、私に話をするときは、決まって空襲の話。天六周辺は焼けませんでしたが、扇町から南側はすごかったとか。お腹をすかせて長柄斎場裏の墓地で、お供え物を食ったりしたとか。赤川鉄橋あたり(毛馬の閘門付近だったかも)では米軍グラマン機の機銃掃射にも遭ったことも話してくれました。戦後も動乱期でしたので、辻売り(おみくじのようなものを売り歩いた)なんかもしたり、大変な苦労をしたようです。

戦後、学校を出てからは、これまた都島橋付近にあったガラス工場に就職します。
天満は大阪のガラス発祥の地。造幣局があったお陰で、原材料が安く仕入れる事が出来、ガラス工場がいち早く操業して繁栄を極めました。正に、天満にふさわしい仕事をしていたようで、主に日用品としてのガラス食器類を手がけていたんだとか。しかし、時代の流れか、結婚して新居を城東区の新喜多に移してから間もなく、ガラス工場が倒産してしまいます。機械化の波に会社が乗り越えられなかったようで、ここで北区の縁が切れてしまうのです。

そこから数年間は、またまた辛い日々の毎日だったそうで、職を転々と変え、何度も宿替えするなどの連続。しかし、万博の年に、やっと市営住宅が当たり、私の実家と言うべき東淀川区井高野に定住したのでした。

というわけで、本当に私自身は北区との接点はありませんが、今、父親との接点を見つけるため、こうしてブログを書きながらフリーペーパー作りに精を出しております。

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父の話を聞いて、私は歴史をさかのぼるという行為に異様に興奮しました。私の知らない大阪の街を知っている、そこから、何故私がここで生まれたのか?両親はどのようにして出会ったのか?その当時の暮らしはどうだったのか?当然、生まれる前の話ですから、想像力をかきたてて聞く。それはどんな小説よりも面白いお話でした。だって、「自分のルーツ」がはじめて明らかにされたんですから。
ここから、「地元愛」というのが芽生えたのかもしれません。私にとって、今後の生き方を決められたような話でした。
もっと話が聞きたいんだけど、残念なことにすでに他界して10年以上経ちます。今となってはそんな昔話も聞けず、もっと詳しく聞いておけばよかったと今は後悔するばかり。

ふとここで考えると、古い時代を知っている「時代の生き証人」は、今後どんどん鬼籍に入っていくわけですよね。昔を知っている世代がだんだんいなくなるんです。
歴史は埋もれていくものなのでしょうが、地域にとっては大切な財産を失う事になるんじゃないかと思うのです。
そう、街の歴史は財産なんです。

私は、この歴史の中に、街の発展につながるヒントが隠されていると思うんですよね。このヒントから、街のリノベーション(刷新)が出来るようになる場合があるはずです。
一例を挙げるとするならば、先ほどの話にも登場した「天満ガラス」。戦後まで残っていたガラス工場は、高度経済成長期の公害問題や法規制、また、大量生産品などに押されて、どんどん郊外に移転したり、沙汰されたりしていき壊滅状態にまでなったんですね。しかし、わずかに残った会社から、「天満切子(きりこ)」と呼ばれるガラス工芸が復興していくのです。切子とは、ガラスのコップや器に彫刻して模様を描くという技術。天満切子は、現代に合わせたデザインに変えて試行錯誤をした結果、希少価値もあわせて高価な金額で販売されています。(また取材に行きたいですね)

このように、地域に元からある「資産」を発掘をすることによって、まずは魅力・特色を見いだしていく。これはどの地域にも負けない「オンリーワン」なはずです。歴史という、逆立ちしても色褪せないものがあると、強い。
これをリノベーション(組み合わせたり手を加えたりして新しいものを作る)して、これを産業化するのは地元企業に任せましょう。地域が潤います。
そういうものが新しく勃興すると、地域に生きることの誇りになります。住むのが楽しくなる。そういう街になればいいかなって思っています。

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新しい街作りも面白いかもしれませんが、それよりも、今あるものを使って育てる方が、住む人にも愛着を持ってもらえる。
そのために、まずは古老の話を掘り起こして、新しい革新の糸口を探していきたい。
探し出したものは、地域以外の人でも受け継いでくれる人が出てくればそれでいい。そういう流れになればいいなって思います。